映像における人称的表現

小説の表現に一人称や三人称、あるいは二人称があることはご存知でしょう。

本日の豆解釈
二人称の小説は、読者を主人公にする形になりましょう。読者は自分で考えて行動するのではなく、それを書いた小説家が考えた通りの思考や行動をすることになりましょうか。
映像表現でも二人称は可能ですが、それが劇場作品の場合、一緒に見ている人みんなが主人公にさせられることになり、作るのも、それを見るのも、なかなかに「困難」であるように、素人の私には思えてしまいます。

同じことが、映像表現にもあることを、先週末、ある英国ドラマを見ていて改めて意識しました。

先週土曜日(22日)の夕方、NHK BSプレミアム「シャーロック・ホームズの冒険」を、録画しながら、オンタイム(「放送されている時間」ぐらいの意味で使っています)でも見ました。

その日放送されたのは、シリーズ第13話の「最後の事件」です。テレビドラマを見たことがない人でも、『シャーロック・ホームズ』シリーズを知っている人であれば、22日に放送されたドラマの内容はある程度ご存知でしょう。

その前週に放送されたのは「赤髪連盟」(赤毛組合)で、これが今回の「最後の事件」にもつながっています。「赤髪連盟」で起きた事件を計画して実行し、その途中でホームズによって犯行が完結せず、その「復讐」をするのが今回の粗筋となります。

ホームズが宿にひとりでいると、ハドスン夫人の制止を振り切って、ホームズの部屋のドアに近づく音が聴こえます。ドアの向こうから現れたのは、ホームズの宿敵、モリアーティ教授です。

ここから先は、モリアーティ教授とホームズが、一瞬も相手から目を離さず、死を間近に感じながら、厳しい言葉の応酬が繰り広げられます。

その場面を見ながら、今回取り上げる、映像表現における三人称の表現が意識させられました。

映画でもテレビでもいいですが、演技をする俳優を真正面から撮影していても、その役者が撮影するカメラのレンズを真正面から見ることがないか、極めて少ないことにお気づきでしょうか。

その映画なりドラマなりが、小説の一人称のように、一人称で描かれれば、主人公の「私」なりを、誰かが真正面から見ることをするでしょう。

この場合は、カメラのレンズが主人公の「私」の眼となるからです。

しかし、映像を一人称で描くのには無理があります。はじめから終わりまで主人公の「私」の視線で描こうとしたら、「私」の姿は、鏡や反射するガラスなどに映った姿としてしか観客に見せることができなくなります。

その不自由があっても、どうしても一人称で描きたい作品もあるでしょうが、ほとんどの映像表現は三人称で描かれます。

その演技を撮影するシネマカメラは、それぞれの場面に立ち会う「第三者」の視線で、その場の情景を客観的に撮影します。

いってみれば、その場にいる登場人物は、「第三者の眼」であるシネマカメラがそこにないことを前提に演技をします。ですから、ないもののカメラのレンズに眼を向けるのは実に不自然です。

このあたりの理屈は理解されたでしょうか。

ホームズの「最後の事件」で、ホームズとモリアーティ教授が、命を懸けた言葉の対決をしますが、ふたりの視線は、互いの眼からいっときも離しません。

それを克明にシネマカメラが記録しています。

途中、モリアーティ教授が、ホームズの宿の部屋を、右から左へゆっくり移動します。カメラがホームズに切り替わると、モリアーティ教授の動きに合わせ、視線を左から右へ動かします。

このあたりの「映像の文法」が理解できていない映像制作者が同じ場面を撮影すると、簡単に、ふたりの視線がカメラを真正面から撮ってしまう過ちを犯してしまう(?)かもしれません。

Sherlock Holmes-The Final Problem Part 2

それでは、ホームズとモリアーティ教授が、自分たちを撮影するシネマカメラがそこにあることを知っていることになってしまい、おかしなことになってしまいます。

日常生活の中で、ふたりが向かい合って話をしているとき、そこには存在しないカメラを意識して、それに向かって話をすることなどありません。

そのあり得ない表現上の過ちを犯していることになります。

ホームズの話から少し外れて、ネット上にある動画でたまに見られる違和感を持たせる動画について書いておきます。

ネットの動画共有サイトのYouTubeには、配信者がカメラに向かって独り語りする動画があります。その中で、見る人に違和感を持たせる動画の撮影に使われるものは、スマートフォン(スマホ)に搭載されているカメラであることが多いように思われます。

顔出しで独り語りをする配信者は、動画を見てくれている人に向かって何かを話すという形式を採っています。そうであれば、配信者は、視聴者の眼につながるカメラのレンズを見ながら話すのが前提です。

ところが、たまに、配信者がはじめから終わりまで、カメラのレンズを見ずに話していることがあります。

私はそれが、スマホで起こりやすいと考えますが、別の理由も考えられることに気がつきました。動画が撮影できるミラーレス一眼カメラ(ミラーレス)でも、それが起こりやすいといいますか、そのカメラの方が実はそれが起こりやすいかもしれません。

私は自分がカメラに向かって何かを話す場面を撮影したことはありません。

そのような撮影を日常的にするVloggerのような人は、確実に撮影できているか確認するため、カメラのバリアングルファインダーを使うか、モニターをカメラの傍に固定するでしょう。

バリアングルファインダーやモニターを使っても、カメラのレンズを見ながら話せば問題ありませんが、ファインダーやモニターを見ながら話してしまうと、視聴者と視線が合わないことが起きてしまいます。

そのようにして撮影された独り語りの映像を見る人は、配信者と意思疎通が図れないような心境になってしまいます。

三人で話をしているとき、他のふたりだけが互いの顔を見て話し、自分の顔を見てくれなかったら、疎外感を覚えるでしょう。それと同じ感覚に襲われるということです。

私はテレビのニュースは見ませんが、もしもアナウンサーが、テレビカメラのレンズを見ずにニュース原稿を読んだら、それを見る視聴者はどう感じますか?

そういうことです。おわかりいただけたでしょうか。

気になる投稿はありますか?

  • 動画撮影においてシャッター速度がフレームレートの2倍は嘘?動画撮影においてシャッター速度がフレームレートの2倍は嘘? ネットの動画共有サイトのYouTubeで次の動画を見つけました。 https://youtu.be/vpCz32yNK2s カメラのシャッタースピードはFPSフレームレートの倍と思っている方は絶対見てください! 本動画の配信者の大村氏は、YouTubeクリエイターの傍ら、YouTubeで配信するための動画制作を請け負う会社を経営されているようです。動画で話すこ […]
  • 2000/06/04 めだか課長|17歳の衝動|O’s Editor2000/06/04 めだか課長|17歳の衝動|O’s Editor 私が好きでよく見ている番組に「NHKアーカイブス」があります。 これは、NHKの資料室に眠っている大昔のドキュメンタリー番組を再放送する番組です。見ていると、自分がタイムマシンにでも乗って過去に戻ったかのような錯覚に陥るほど、懐かしい気持ちになります。 前回放送された中の1本は、「めだか課長」と呼ばれる東京都のある役人を描いたものです。 時代は、東京オリン […]
  • YouTubeの追い出し部屋が無差別広告爆弾YouTubeの追い出し部屋が無差別広告爆弾 ネットユーザーにとり、動画が主要なコンテンツであることは理解しています。 私自身、ネットに接続するたび、いつも見ている動画配信者が新しい動画を配信していないか確認してしまったりします。 動画配信の最右翼であるYouTube(2005~)ですが、勢いに陰りが出てきたように私は感じています。YouTubeを運営するGoogle自身がユーザーよりも早くそれを感じ取り、 […]
  • スパイクタンパク兵器?スパイクタンパク兵器? 新コロ茶番騒動と、存在が確認されていない新コロウイルスのために作られたことにされているワクチン(似非ワクチン)騒動は不思議なことばかりです。 https://indy-muti.com/46073/ この騒動を疑う側の人が発信する内容にも不思議なことがあります。 前回の本コーナーは、本騒を取り上げました。 https://indy-mu […]
  • レンブラントの8K『夜警』は克明な動く画集のようレンブラントの8K『夜警』は克明な動く画集のよう NHKで二度、8K(UHDTV)で撮影した絵画作品を紹介する番組が放送されました。 紹介された作品は、17世紀のオランダの画家、といいますか、古今東西の西洋の画家を代表する、レンブラント(1606~1669)が36歳の年に描いた『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊』です。 本作が日本では『夜警』として知られています。 […]