家族だからといって、仲良く暮らしたり、離れて暮らす家族を常に大切に想うとは限りません。
小説家もそのあたりは同じで、たとえば、村上春樹(1949~)は父と不仲だったと聞きます。そのことは、彼が書く小説の通奏低音になっている(?)かもしれません。
同じ小説家であっても、宮本輝(1947~)は村上とは対照的といえましょう。
宮本の作品を私は多く読んでいませんが、彼の随筆や、彼のこれまでの人生を振り返る新聞の文章などを読みますと、両親への感謝や愛情に溢れ、それを疑うことはまずありません。
逆の意味で、それは不思議に感じられるほどです。
本コーナーではここ2回ほど、宮本の随筆集『いのちの姿 完全版』(2017)に書かれていることを取り上げて書きました。
その随筆集の最後を飾る随筆も、両親にまつわる思い出を書いています。
昔、新聞で宮本の人となりを連載したときに読みましたが、村上は遅れっ子として生まれています。村上が生まれたとき、父の宮本熊市(熊市)は40歳を超えていたと記憶しています。
私自身も遅れっ子として生まれました。私が生まれたとき、父は40歳、母は37歳でした。小学校の授業参観のとき、母は他の母たちより年上で、子供ながらに気になりました。
宮本は神戸の生まれですが、父は愛媛県南宇和郡一本松村の出身です。地図でその場所を確認すると、愛媛県の南端であるばかりでなく、四国の南端に近いところであるのがわかります。
熊市が23歳のとき、同じ南宇和郡の御荘町(みしょうちょう)に住んでいた18歳の津田貴子という名の女性と駆け落ちをして、大阪へ出たそうです。
宮本家と津田家は昔から昵懇の間柄で、親同士も仲が良かったため、駆け落ちする必要もなかったのです。結局、ふたりはそのまま大阪で暮らすことになりますが、それが結果的に、ふたりの運命を大きく変えました。
また、このあたりが人の世の不思議なところですが、もしも駆け落ちしたふたりがそのまま何事もなく大阪で暮らしたなら、宮本はこの世に生を受けることもなく、小説家の宮本輝は誕生しなかったことになります。
ふたりが大阪で暮らし始めて間もない頃、近畿地方を中心とする流行性感冒が猛威を振るいます。18歳の貴子がその病に襲われ、高熱を出して、三日後にあっけなく亡くなってしまったのです。
ひとり残された宮本の父の心中はいかばかりだったでしょう。
周囲のいうことを聞いて、大阪へ行かずに四国の郷里で暮らしていたら、悪い病気で死ぬこともなかったろう、と熊市は深く後悔したでしょう。
その後悔を、幼かった宮本に懺悔したそうです。
宮本にとっても、父の最初の妻であった貴子は不思議な存在です。血はつながっておらず、母でもありません。父の最初の妻というだけのことです。
しかし、そのまま、宮本が貴子との縁が切れてしまったのではなかったのでした。
貴子を亡くしたあとも、熊市は、貴子の兄と交流を続けたそうです。父にしてみれば、一時的に妻だった貴子の兄ですから、義兄になります。
しかし、熊市の方が貴子の兄より年上だったため、貴子の兄が熊市を「兄さん」と読んで慕ったそうです。
熊市は、仕事の関係からか、その方面にも顔が利いたのでしょう。貴子の兄に大阪府警への就職を世話したそうです。
宮本が大阪の曽根崎小学校へ入学する入学式の日、両親が見たこともない体の大きな男と笑顔で話していました。父がその男性を宮本に紹介します。
貴子の兄だ、と。
小学校と道を挟んだ向かいに曽根崎警察署があり、貴子の兄はそこに勤務する警察官だったのです。
宮本の一家が富山に引っ越すまでの一年、宮本はランドセルを背負ったまま、警察署の隅にある休憩所へ行くようになり、そこで、貴子の兄や、兄の同僚の警察官らと将棋をしたりして過ごしたそうです。
宮本が小学3年の夏休み。帝塚山にある貴子の兄の家で五泊したときの思い出が書かれています。蝉の声が聴こえる縁側に宮本と座っていた貴子の兄が、次のようなことをいいます。
わし には 気立て の いい 可愛い 妹 が い た の だ が 十 八 で 死ん で しまっ た。 もし あいつ が 生き て い たら、 お前 は 生まれ て い なかっ た の だ。 逆 の 考え方 を すれ ば、 あいつ が 死ん だ から お前 が 生まれる こと が でき た の だ。 不思議 な こと では ない か。 この 家 の 縁側 で お前 と 将棋 を 指し て いる と、 不思議 だ な、 不思議 だ な、 この世 は 不思議 だ なと 思っ て しまう。 わし と お前 とは 血 の つながり は ない が、 もっと 深い もの で つながっ て いる よう な 気 が する。 小さく て 痩せっぽち の お前 が 可愛く て たまらない。――
宮本輝. いのちの姿 完全版 (集英社文庫) (p.142). 株式会社 集英社. Kindle 版.
母が父と結婚して自分を産んでくれなかったら自分はこの世にいない。誰もが一度は考えることです。
宮本は『いのちの姿 完全版』で、「三千大千世界」について書いています。これは仏教の世界観で、それについて、宮本がわかりやすく書いています。
私たちの地球がある銀河系のようなものを小世界と呼び、その小世界が千個で小千世界になり、小千世界の千倍が中千世界で、中千世界が千集まって大千世界になる。
まだまだ続きがあり、三千大千世界が宇宙には無数にあると説くそうです。
宮本は昔、テレビのドキュメンタリーで、人間の卵巣から卵子(卵細胞)が生み出され、卵管(輸卵管)を通って精子と合体し、細胞分裂を始める場面を見て厳粛な気持ちになったそうです。
そのとき目に焼き付いた映像が、数カ月後にテレビで見たハッブル宇宙望遠鏡が捉えた星や銀河や星雲の映像に重なります。
星雲の中に卵巣のような形があり、卵管に見える管状の突起物からは、卵子のような「星の卵」が生み出されます。
広大という言葉ではとてもいい表せないほどの規模の宇宙と、生命が誕生する過程の体内のごくごく一部が、実はスケールが同じで、つながっている。
同じようなことを、私も、小学生か中学生の頃に想像したのを思い出します。
スタンリー・キューブリック(1928~1999)の『2001年宇宙の旅』(1968)のラストの光の洪水は、見た人がそれぞれに意味を解釈します。
最後は、宇宙空間に、地球と同じ大きさの胎児が浮かんでいます。