あなたは馬券を買ったことがありますか? 私はありません。
この馬券。正しくは「勝ち馬投票券」というそうですね。面倒くさいので、本ページでは馬券で通します。
公営競馬において、勝ちそうに思える馬にお金を賭けて投票し、予想が当たれば、当たった人でお金を分け合うのが、馬券のざっとした仕組みになりましょうか。
たまに、人気のなかった馬が一着になり、その馬に掛けた人がお金を独り占めできる万馬券に化けることもあります。
競馬における馬券ですが、「殺し馬券」というのがあるのはご存知でしょうか。耳で聴くと、何やら凄みを感じさせる馬券です。私は昨日、そんな馬券があることを知りました。
知ったきっかけは、宮本輝(1947~)の随筆を読んだことによってです。
私は、Amazonoの電子書籍のKindleを利用するようになってからは、読みたい本はKindleで読むようにしています。このサービスを利用して便利なのは、そのKindle版を購入した日付が記録に残ることです。
宮本輝の随筆集『いのちの姿 完全版』(2017)を購入したのは2017年12月10日であることが確認できました。ということは、購入してから4年半ほど経っても読み終わっていないことになります。
おそらくは、同時期に別の本も買い、宮本の随筆集は後回しにし、そのうちに、それを購入してあったのを忘れていたことになりそうです。
村上春樹(1949~)の『ねじまき鳥クロニクル』(1994|1995)も読み終わり、松本清張(1909~1992)の作品も読んでしまい、退屈凌ぎの本がなくなり、困っていました。
そこで、電子書籍端末のKindleで購入済みの本の”発掘”をし、「そうだ。宮本の随筆集は、たしか、はじめの方を読んだだけだった」と気がつき、早速読み始めました。
村上もそうですが、宮本が書く文章も難しい言い回しがなく、平明に書かれていて、読みやすいです。しかも、今回の随筆集は、それぞれが短いため、ちょっとした合間に、読むことができます。
その『いのちの姿』に、今回取り上げる『殺し馬券』があります。
まったくの偶然ですが、本日の午後1時から、NHK BSプレミアムで、宮本の作品を原作とする『優駿 ORACION』(1988)が放送されます。
私は原作を読んだことがなく、映画も見たことがありません。本日放送される作品を録画し、あとで見ることにします。
宮本が『優駿』(1986)を小説で書いていますが、書き始めるにあたり、担当の編集者と北海道の牧場へ行ったり、競走馬の馬主に会ったりしたそうです。
ほかにも、有名な騎手や調教師に会ってはみたものの、役に立つような話はほとんど聞けなかったそうです。
競馬界というは独特で、入り組んだ人間関係が張り巡らされており、自分の不用意な発言が、思ってもいなかった人に迷惑になるかもしれないこともあり、つっこんだ話にはなりにくい環境にあるようです。
それに加えて、大金がかかる勝負の世界ですから、調教師や騎手は、ライバル心を超えた「怨讐(えんしゅう)」のような感情がうごめいている、と宮本は書いています。
この作品を書き始めたのは宮本が36、7歳の頃で、「家屋敷田畠を売ってでも」と意気込んで小説にしようと燃えます。
そんな宮本が採った手段は、自分も競走馬の馬主になることです。その結果、大損をしたとも書いていますが、小説家としては、今も読み継がれる『優駿』を世に生み出せたことが、どんなことにも勝る喜びとなるようです。
馬主になると、競馬場にある馬主席に座ることを許されるそうです。特権階級の人が集まる場所で、宮本はそこで、多くのほかの馬主を観察したでしょう。
見るからに成金という人もいる中に、宮本はひとりの馬主に注目します。
その人の名前は書いてありませんが、宮本の筆を借りれば、その人は「実直なサラリーマン」風情で、歳は宮本より少し上。特別席に居心地が悪そうに座ったそうです。
顔見知りの馬主のF氏が宮本に近づき、居心地悪そうにしている馬主が、彼はダービー馬のオーナーになれるだろう、と耳元で囁いたそうです。
宮本しても、その馬主と持ち馬が気になり、その馬が出走するレースは、どんなに忙しくても見るようにしたそうです。
宮本の陰ながら応援とは関係なく、その馬は、ある年の日本ダービー(東京優駿)に出場できる運びとなります。
出走の前日、宮本は、どうしてもあの馬主の馬がダービー馬になって欲しいと願い、かつて馬主仲間のF氏に教えてもらった「殺し馬券」を買うことを決意します。
F氏は宮本に、「殺し馬券」を次のように説明していました。
「自分 が 勝た せ たい 馬 以外 の すべて の 単勝 を 買う ん です。 これ を 殺し 馬券 と 言い ます。 勝た せ たい 一頭 の 馬 の ため に、 他 の 馬 全部 に 己 の 身銭 を 切る。 恐ろしい 馬券 です なァ。 ただし、 これ を やる のは 生涯 に 一回 きり と 決め て 買う ん です。 そう で ない と、 殺し 馬券 は 魔力 を 失う そう です。 私 は 昔 一回 やり まし た から、 二度と 殺し 馬券 は 買っ ては いか ん こと になり ます」
宮本輝. いのちの姿 完全版 (集英社文庫) (pp.33-34). 株式会社 集英社. Kindle 版.
ダービー馬のオーナーになることは、一国の宰相になるより難しいといわれます。宮本が「殺し馬券」を買ってまで応援したあの馬主が、その年のダービー馬のオーナーとなります。
これはすべて実話です。そして実話には、意外な結末が待っていました。
『優駿』を形に残すことができたからか、宮本は競馬の世界から離れ、競馬場へ行くことも、馬券を買うことからも足を洗っていました。
そんな宮本が見ていたテレビで、意外なニュースが流れてきます。ダービー馬のオーナーとなったあの人の死を伝える内容です。
これが不思議めいたもので、ダービー馬のオーナーが、ふたりの男と共に、同じホテルで首を吊って自死したのです。
宮本は、当時のワイドショーや週刊誌が、この奇妙な出来事を大きく報じたと書いています。本当に起こったことですが、私はそれらのニュースを見た記憶がまったくありません。
宮本の随筆を読んだあと、非業の死を遂げた人物が誰だったのか気になり、ネットで調べました。検索結果はすぐに出ました。私が見つけた次の人物がその人で間違いなかろうと思います。
小林氏の享年は51歳。ダービー馬になった愛馬の「アイネスフウジン」(1987~2004)と同じように、懸命に走った生涯だったといえましょう。
アイネスフウジンは、小林氏が亡くなった6年後、17歳でこの世を去っていたことがわかります。
ネットの事典ウィキペディアで、馬主の小林氏より、アイネスフウジンについての記述が充実しているのが、私には奇妙な印象として残りました。
競馬界においては、死して名を遺すのは、オーナーでなく、名馬なのでしょうか。