2007/08/20 熊井啓監督作品『ひかりごけ』を見て

自分では意識していませんが、どうも私の行動には偏りがあるようです。何かひとつのことに集中する時期、しない時期。それがハッキリと現れます。

今は映画鑑賞に集中する時期にあるといえそうです。ま、集中するといっても、私の場合は短期間に3回も見に行けば「集中」に自己認定してしまうんですけれどね(^3^)

昨日の日曜日はその偏りの一貫として、映画を見に行ってきました。出かけた先は、「終戦の日」にも行った東京・東池袋にある新文芸坐です。この時期、同劇場では夏の特別企画が組まれ、その「第1部・映画を通して戦争を語り継ぐ」の最終日にドキュメンタリー作品『蟻の兵隊』を見たのでした。

昨日見た作品は、「第2部・追悼 社会派の巨匠・熊井啓」にプログラムされた中の2本です。いずれの作品も、私はこれまで見たことがなく、どのようなことが描かれているのかも全く知りません。であれば、昨日でなくてもよかったのですが、私の目当てがもうひとつあり、それは昨日、上映の合間に原一男監督のトークショーが組まれていたことです。

原監督といえば、何といっても衝撃的なドキュメンタリー作品『ゆきゆきて、神軍』抜きに語るわけにはいきません。原作品に出会ったのもこの新文芸坐で、その原監督から直にお話を伺いたいがため、昨日、足を運んだことになります。

原監督のトークショーにつきましては、本日分の最後に書くことになると思います。なお、トークショーは30分間ほどあり、その半分ほどを持参したDV(デジタル・ビデオ)カメラに収めてきましたので(全部撮影しようと思いましたが、テープの残量が少なくなってきたのと、カメラを支える腕が痛くなったので、途中でカットしました( ;^ω^))、後日、それを編集した動画で紹介することも検討しています。

故・熊井啓監督作品に接する機会を持ったのも同劇場で、2003年に組まれた「社会派映画特集」によってでした。そのときは、『帝銀事件 死刑囚』1964年)と『日本の熱い日々 謀殺 下山事件』1981年)の2本を見ています。

2本とも実際に起こった事件で、発生当時世間を大いに騒がせ、今もなお事あるごとに取りざたされる大事件「帝銀事件」「下山事件」を取り上げ、熊井監督が硬質な作品に仕上げています。

そして昨日です。熊井監督作品のファンが多いのか、朝早くの上映開始だというのに場内は満席で、私は例によって前列の真ん中付近に座りましたが、1回目の上映から周りの席がひとつ残らず埋まりました。

1本目に上映された熊井作品は、先の大戦中(「太平洋戦争」)、北海道で実際に起きた「ひかりごけ事件」を映画化した『ひかりごけ』1992年|フィルム・クレッセント)です。呑気者のσ(^_^)私は、そもそもそんな猟奇的な事件があったことを昨日作品を見るまで知りませんでした。

物語は、1991年、ひとりの作家(内藤武敏)が取材のため、北海道の東のはずれ、知床岬を訪ねるところから始まります。

ここでちょっと脱線。【1991年】とテロップが出た瞬間、私は全く別のことを考えていました。「母が亡くなる1年前だな」と。母がこの世を去ったのは1992年11月20日でした。遺体が家に戻る時間、猛烈な雨が降っていたのをよく憶えています。ひょんなことから、母が死んだあの頃のことが蘇りました。ささ、作品に戻りましょう。

現地で作家を待っていたのは丸刈りで見るからに恰幅のいい中年男(三國連太郎)です。男は校長をしているといいます。男は漁業組合の組合長が似合いそうな身なりで、足もとを見れば長靴。自ら車を走らせて作家を岬にある洞窟に案内します。

男は暗い洞窟の岩肌を指し示し、「何か見えませんか?」と作家に尋ねます。「いや。何が見えるんだね?」。注意深く見ると、確かに何か見えます。蛍が放つ光のように、冷たく冴えた緑色の光です。男はそれが「ひかりごけ」だと教えます。話は、先の大戦中へと時を飛びます。

時は大戦さなかの昭和18(1943)年12月。日本軍の命を受けた民間漁船が北海道・小樽の港を目指しています。しかし、海は猛烈な“しけ”となり、舟は難破してしまいます。命からがら助かった漁民は船長と西川(奥田瑛二)、八蔵(田中邦衛)、五郎(杉本哲太)の4人のみです。

着の身着のままで助かった4人ですが、洞窟の外は厳寒の原野。時は戦争中。彼らを救出に来る者などありません。寒く、食料がない4人はどのように生き延びられるというのでしょう。自分たちがいるのであろうペキン岬から一番近い町・羅臼までも40キロほどもあります。絶望的な状況です。

生きることを諦め始めた4人の中で、ひとり、船長の眼差しだけは精力を失ってはいません。

ただ、どんなに生命力が強い人間であっても、生身の人間は何かを胃袋に放り込まなければ生を保つことはできません。洞窟の外の海は流氷が接岸してしまいます。万事休す。絶対的な孤立無縁の状態に置かれた4人です。

八蔵は港を立つ前の晩のことを思い出し、頬濡らします。囲炉裏を囲む大家族に、一家の主・八蔵は舟で小樽に行くことを伝えます。それを聞き、一番下の息子が声を上げて泣きます。息子を見る八蔵の顔は、どこにでもいそうな漁師の顔です。その後の自分に降りかかる災難を知らない八蔵は、任務が終わればこの家族の下に戻って来られることを疑いもしませんでした。

生きることにどこまでも貪欲な船長は、若い西川を連れて洞窟から外へ出ます。近くに番屋を見つけ、身を助けそうなものをかき集め、洞窟へ運びます。

どうしても手に入らないのは食料です。海は流氷。生き物はどこにも見あたりません。さて、どう生き延びるべきか。

4人の中で誰が最初に命を終えるか。一番若い五郎は悲壮な顔で「オラ、絶対に死にたくねぇ!」と主張します。八蔵とふたりきりになったとき、「どうして死にたくねぇかわかるか?」と五郎が訊きます。「死んだら食われるからだ」と理由を打ち明ける五郎でした。その五郎が一番に命を落としました。さて、生きることに貪欲な船長はどう動くでしょう。

船長は、五郎の肉を食うことを決めます。西川と八蔵は拒絶反応を示します。当然の感覚です。人間が人間の肉を食う。想像しただけでおぞましい行為です。理性ではわかります。しかし、生体を維持するには、なにかを胃袋に放り込まなければならないという原始の感覚がもう一方にあります。

理性から原始へ針が大きく振れた船長と最後まで抵抗しつつ船長に従う西川。そして、理性の側になんとか踏みとどまる八蔵。

五郎の死体から肉を得て黙々と食べる船長の姿を描くシーンがあります。それを見る私はといえば、不思議なほど衝撃は受けません。行為自体は許されないことで、もしも現場を自分の眼で見たら、卒倒するよりほかないでしょうが(私は貧血症があり、中学校時代血液検査を受けた際、耳たぶをメスでチョリッと切られた音を聞いた瞬間、私は貧血症状を起こしたのでした)、肉を切り取るカットがなかったことをその理由に挙げることができるかもしれません。

そして、熊井監督作品2本を見終わったあとに想像します。2本目の『海と毒薬』の手術シーンのカットを受け持った原一男監督に、人肉を切り取るカットを任せたらどうだったか、と。

内容とは直接関係ありませんが、見ながら考えたこと。それは、「役者というのはヤクザな仕事だ」ということです。

西川という青年を演じた奥田瑛二が、死んで、うつ伏せに横たわるシーンがあります。奥田は身体に何一つ衣服をつけていません。素っ裸です。これからその男の人肉を食うのですから、衣服は必要ありません。そのシーンで男が裸でいるのは必然です。しかし、男を演じるのは生身の奥田という人間です。

役者という人種は、それが必要であれば、撮影現場で当たり前のように服を脱ぎます。街の中で服を脱いでいる人はいません。役者というのはヤクザな職業です。

主演の三國連太郎さんについて編集されたネット事典「ウィキペディア」の記述に目を通し、ハッとさせられました。三國さんの養父が被差別部落(部落問題)の出身とあったからです。そうした背景を持つがためにヤクザな職業と知りつつしがみついているとまでは書きませんが、全く関係なくもないのだろうと考えてみました。

重いテーマを扱った作品であるため、冗談半分には書き飛ばせません。昨日、続いて上映された『海と毒薬』も輪をかけてテーマが重いです。実際、見終わって肩の辺りが堅く感じました。本来であれば、1日で見た映画は1回で書き終えたいところですが、今回は特別に2回に分けて書くことにします。

順番としては、そのあとに原一男監督のトークショーについて書くことにしますが、もしかしたら、それは1回分独立して書くことも予想され、3回の連載になってしまうかもしれません。

『ひかりごけ』の後半部分は、ひとり生き延びた船長の人肉事件を裁く裁判場面になっていますが、あれほど長く必要だったのか。それよりも、食肉場面を緊張感たっぷりに描いた方がよかったのではないか。ド素人の私はそんな感想も持ちました。

昔、何かで読んだか誰かに聞いたかの話では、人の肉はザクロの味がするといいます。それを知っている人がいるということは、人類史上には人食した人が確実にいるといことです。

そういえば、『海と毒薬』で監督補(トークショーで聞いた原さんの定義でいえば「監督補=チーフ助監督」だようです)を務められた原さんが監督した『ゆきゆきて、神軍』に登場してくる奥崎謙三がかつての上官に詰め寄ったのも、上官が行ったという人の肉を食らうという行為なのでありました。

ということで、昨日見た2本目の『海と毒薬』は明日以降の本コーナーで書くことにいたします。が、さて、あなたが極寒の洞窟という極限状態に閉じこめられ、自分の生を保つにはそこにいるほかの人間の肉を食べる以外ないとして、それでもなお、理性で原始の欲求を封じ込められる自信はありますか? また、その行為を、平穏無事な生活を送る者に裁かれることを、容易に受け入れられる自信はありますか?

本日の豆ノート
『ひかりごけ』のナレーションを担当されたのは、元NHKアナウンサーの平光淳之助さんです。

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