今を生きるほとんどの人は、陰翳が持つ本当の美しさを知らずにいます。
夜になって暗くなれば、部屋の蛍光灯をつけ、昼と変わらないような明るさを求めます。
私だって暗いのは苦手です。昨秋、台風15号の影響で停電が3日と半日続いたとき、夜の来るのを怖く感じました。
その一方で、いつでも明るくできる環境を確保したうえで、あえて光量を落とし、陰翳の美しさを味わってみたいと思うことがあります。
個人的な話になりますが、私は入浴の時間が一般的な人より早いです。他の用事がない限り、風呂に入るのは夕方です。その時間はまだ外が明るいです。しかし、陽の沈むのがだんだん速くなっており、来月末頃に最も速い日没(東京が午後4時28分)となります。
暗くなってから入浴する多くの人は、電気をつけずに風呂に入ることはないでしょうが、今書いたように、外にまだ光がある時間に入る私は、外光だけで入浴します。自然光を愉しみたい気分があるからです。
これがもし、温泉場のように、湯場の前に深山が広がっていたりしたら、光が弱くなる木々を眺め、遠くの水音を聴きながら、湯に浸かることができるでしょう。
こんなことを想像するのは、NHKEテレの「100分de名著」を見たからです。今月のこの時間は、谷崎潤一郎(1886~1965)を取り上げたスペシャル仕立てでした。最終回となる26日の放送では、谷崎の随筆集『陰翳礼賛』にスポットライトを当てています。
本作はAmazonの電子書籍版の作品集で読んでいます。
随筆集ということもあって、詳細には憶えていません。それでも、「100de名著」で解説をしてくれた作家の島田雅彦氏の話を聴き、「そうだそうだ。そんなことが書かれていた」と切れ切れに思い出しました。
かつての日本家屋が西洋のそれと大きく異なるのは、部屋の一面に壁がなかったりしたことです。壁で遮られていない面には障子をはめました。
障子はまことによく考えられた間仕切りで、薄い和紙は、不透明でありながら光を通過させます。部屋の内側でありながら、同時に、外の光を取り込むことができるのです。風は通しませんが、匂いであれば、そこはかとなく感じさせることができるでしょう。
音も、壁のようには遮断せず、部屋の中にいる者の耳に届きます。
障子を閉めきった部屋は、仕切られていながら、外ともつながりを持つ不思議な空間でもありました。こんな構造は、西洋の建築にはありません。
障子のある部屋の外には廊下や縁側があったりします。その分、外光が入りにくく、部屋の奥に行くほど、光量が少なくなる構造です。そんな部屋に床の間を造り、掛軸を掛ければ、狙った通りの見え方が実現できます。
そんな和室で漆器の椀に入った汁物を味わうのは格別です。西洋の食器は光沢があって、つるりとした材質が好まれます。それとは対極的な美意識が日本で育ちました。
漆塗りの椀は光を吸収し、蓋で中に入った汁と共に閉じ込めます。その蓋を取った時、汁の湯気が立ち上り、匂いも提供するでしょう。汁の表面には微かな光の面ができ、そこに自分の顔が黒い影になったりするかもしれません。
わたくしごとになってしまいますが、私の亡き母(1992年没)は私が子供の頃から病気がちで、病院を入退院しました。眼病を患い、片方の眼を取り出して、代わりに義眼を入れる手術も受けました。
当時としては私は遅れっ子で、母が37、父(2000年没)が40の年に生まれました。姉(2000年没)が一人いて、姉とは8歳違いでした。
母の眼病は残された眼にも進み、私が中学生のとき、光をすべて失いました。
朝が来て世界が光に満ち溢れても、母はその光を見ることなく、真っ暗な中で一日を過ごしました。健常な人が真っ暗闇に置かれたようなもので、どれだけ不安だったか知れません。
その分、視覚以外の感覚が鋭くなりました。私の声の調子で、嘘は見抜かれ(聴き抜かれ?)ていたハズです。臭いにも敏感で、生焼けの魚を嫌ったことを想い出します。
「100分de名著」で伝えられた話に戻しますと、『源氏物語』に関する話がありました。物語が描かれた平安時代は、今と大きく異なり、男女が分かれて暮らしたため、男が女の家へ通う通い婚が愛を確かめ合う手段です。
当時のことですから、夜になれば闇が支配し、灯かりはロウソクの炎げせいぜいであったでしょうか。男女の営みとなれば、ロウソクの炎もない闇の中だったかもしれません。
相手を目で見ない分、音や触覚、匂いが二人を結ぶ要素になり、今の男女よりも濃密な時間を過ごした可能性があります。
「100分de名著」では、「羊羹は闇を凝縮している」という興味深い指摘がありました。
羊羹というのは和菓子のことです。黒くて、手に持つと、小さいのにずっしりとしています。西洋にはない食べ物です。噛み応えがあり、食べたあとに歯型が残ります。
それをもしも闇の中で、お茶でも飲みながら食べたらどんな感じだろうと想像したりします。なるほど、闇に似合いそうな食べ物ではありそうです。
陰翳といいますと、個人的にはどうしても絵画作品について触れないわけにはいきません。私が最も敬愛する17世紀のオランダの画家、レンブラントは「光と陰の画家」といわれます。
これは、光と陰の部分を持つ絵画作品を描いた画家というよりも、光を魅力的に見せるため、影を巧妙に多用した作品を多く残した画家、ということになります。
本コーナーでも書きましたが、私は3F(27.3×22.0センチ)のサイズのボールドキャンバスに自分の顔だけを大きく描きました。その絵は、これ以上加筆しないつもりですが、今もイーゼルで保持しています。
描いたときは、鏡に自分の顔を映し、見える通りに光と陰の部分、色を置いていきました。光の状態が悪く、陰の部分が多くなっています。しかし、陰の部分の色も観察して色を作りました。
イーゼルにあるこの絵を毎日見ていますが、私がこれまでに描いたどの絵よりも優れて見えます。
付け加えますと、陰になった部分が多いにも拘わらず、明るい部分が多い絵より明るさが感じられる仕上がりとなっています。
光の表現をするには、どうしても陰の部分が必要です。明るくするのだといって明度の高い絵具を使っても、多くの部分が明部であれば、明部の強さが出ません。陰の部分に明部を置くことで初めて光を魅力的に表現ができるのです。
私が描いた最新の『自画像』がそれに成功しているように感じ、自画自賛も含めて、私は満足しているのです。
私の今の希望は、もっと大きなカンヴァスに、女性の半身像を描くことです。正面から光が平均的に当たったようにはせず、多くの部分が陰に沈んだような、要するに僅かな光の部分を魅力的に見せる表現です。
これは私なりの、ささやかな「陰翳礼賛」となりましょうか。