私は、ある日ある時、不安に襲われることがあります。
昨年9月にもそんなことがあったのを思い出します。そのときは、直後の本コーナーに書きました。
そのときは、暗闇が不安のもとでした。関東南部の当地は、台風15号で猛烈な風が吹き、送電線が障害を起こし、3日間ほど停電が続きました。
夜になると真っ暗となり、エアコンも使えないため、暗さと暑さの中での生活を余儀なくされました。それだから、夜、布団に入ってもなかなか寝付けず、ある時、不安に襲われたのです。
その後は、そうした不安とは無縁に過ごしていましたが、昨夜、また不安の中で過ごす時間がありました。
私は寝る時間が早く、昨夜も午後7時半頃には眠りにつきました。
人の眠りにはサイクルがあるという話を聞いたことがあると思います。眠りには、レム睡眠とノンレム睡眠の2種類あり、それを繰り返す約90分間が1回のサイクルといった話です。
昨夜は、午後7時半頃に眠り、1回目のサイクルが終わる午後9時頃、私は何かの夢を見ていました。その夢の中で、私は息苦しさを感じ、目が覚めました。
そのとき、私は布団に横たわっていましたが、目が覚めても息苦しい感じが残っていました。暗い部屋の中でそのまま横たわっていると、次第に不安感が強まっていきました。息苦しさが消えなかったからです。
私はたまらず体を起こし、高窓を開けました。外気を入れることで、息苦しく感じる感覚が弱まると考えたからです。しかし、その後も、その感覚が続きました。
今、世界の人を不安にさせるのが新型コロナウイルス(COVID-19)です。この感染症に感染し、その症状が進めば、肺の機能が落ちます。
私は、今回の騒ぎが始まってから一度も外出していないため、感染する可能性は低いです。それでも、もしや、知らぬ間に感染し、それで息苦しくなっているのでは? と不安が増しました。
志村は、この感染症に感染したのち症状が悪化し、3月29日に70歳で亡くなっています。
この病気は、感染に気づいてから亡くなるまでがとても速い印象です。文春の記事に、志村家で家政婦をする人の話が載っています。
それによれば、志村が隊長の異変を感じたのは、亡くなる10日前の3月19日だったそうです。もしかしたら、本人はそれより前に体調の変化を感じていたのかもしれませんが、いよいよ悪くなってきたのを感じ、19日、自分の事務所や主治医に電話をしたのでしょう。
30年近く志村を診てきた医師が、連絡を受けた翌日の20日、志村の家へ駆けつけます。
診察すると、酸素飽和度がかなり下がっていたため、すぐに救急車を手配します。救急車の中で、酸素を吸入しなければならないほど、体内の酸素が足りない状態にあったということらしいです。
意識はあったそうですが、本人は息苦しかったはずで、不安感は極度に高まっていたハズです。
志村は、集中治療室に入ってからは意識がなくなり、そのままこの世を去ってしまったことになります。
人にとり、どんな病も恐ろしいですが、酸素を取り込めない状態は恐ろしさの上限になるのではないでしょうか。
個人的な話になりますが、私は20年前の2000年、たったひとりの姉弟だった姉を亡くしています。姉はくも膜下出血を起こし、救急車で搬送されました。
はじめは意識のない状態が続きましたが、一旦は少し回復し、会話はできないものの、こちらの問いかけに反応するまでになりました。それがその後また意識がなくなり、倒れた10日後にこの世を去りました。
息を引き取る瞬間、私は病室にいました。容態が急変し、担当の医師を呼びました。そのとき、姉はおそらく酸素を取り込めない状態で、息苦しさからか見る間に顔が紫色になっていきました。
志村や姉のことが思い浮かび、私の不安は増していきました。
私は自分の不安を和らげようと、首の後ろを手でもみ始めました。それと同時に、開けた高窓から聞こえる風の音に耳を澄ましました。
そうしたことをしばらくしていると、心が次第に落ち着きを取り戻し、楽に空気を取り込める気がしてきました。やがていつの間にか眠りに落ち、朝の起床時間まで眠ることができました。
朝に起きてからは、息苦しさはまったくありません。夜の暗さが不安感を強め、必要以上神経質になったことで、原因もないのに息苦しさを感じただけだったのでしょう。
マスメディアは、今が稼ぎ時とばかりに、連日COVID-19の報道を繰り返しています。
前回の本コーナーで書いたように、私はこの病が自然に発生したこととは考えていません。
そのように考えてはいても、現実問題として、この病によって命を落とす人があとを絶ちません。人は自分の生命維持を最優先しています。その命が脅かされるかもしれない病には誰も恐れます。
私と同じような不安に襲われる人も、中にはいるかもしれません。