不幸が不幸せとは限らない・場合も

幸福は誰もが望むことです。

最近読んだ短編小説の中に、それとは逆の考え方が書かれていました。もっとも、それが有効に働く人は限られるだろうと思います。

これは、本コーナーで最近取り上げていますが、Amazonの電子書籍で、該当する書籍であれば読み放題できるKindle Unlimitedを12月中旬まで利用できる権利を得ました。

これを利用し、阿刀田高1935~)が書いたコラムを一冊にまとめた『頭は帽子のためじゃない』を読みました。

その阿刀田の短編集もKindle Unlimitedで読んでいます。1980年から82年(当年は一作品だけ)にかけ、『野生時代』19741996 4月号)に掲載された十二編の作品を一冊に収録する『異形の地図』1984)です。

2008/10/24 芸能とヤクザと放送と

前回の更新に連なるような話を書いてみたいと思います。「芸能とヤクザ」の結びつきについての話です。

今回も参考資料として、宮崎学氏(19452022)がヤクザの成り立ちや歴史について豊富な史料からまとめられた本を使わせてもらうことにします。

この本は、「何か面白い本はないかな?」と書店に入り、偶然手に入れました。ヤクザについて書かれた過去の文献から得た資料が大量に散りばめられており、この世界について何も知らなかった私には「ヤクザ事典」のように感じられます。

さて、前口上はこれくらいにしまして、早速話に入っていこうと思いますが、一般の人も観念的に、「芸能人て、裏でみんなヤクザとつながってんじゃねーの?」(←「2ちゃんねる」風)というようなことは考えると思います。私もこれまで、根拠もなしにそんな風に考えてきました。

著者の宮崎氏は次のように書いています。

昭和初年代の社会と昭和50年代の社会と、どちらが身近に感じられるか。圧倒的に昭和初年代の社会のほうなのである。

2008/10/23 ヤクザと角力とNHK

糸の切れた凧のように、例によって本日も行き当たりばったりで始めます。「このあと話がどこへ向かうかって? 書いている本人もさっぱりわからないのだから風にでも訊いてくれ」てなところでしょうか(^_^;

さてと、昨日の本コーナーで書こうと思いつつ、途中歯科医院へ行ったこともありますが、書けずじまいだったことを本日こそ書いてみます。が、上手く収まりますかどうか。とりあえず始めてみます。

世間を騒がす大相撲の八百長問題と、それに及び腰のNHKをはじめとするマスメディアの姿勢についてです。

本日分も、「参考文献」代わりに宮崎学氏(19452022)がまとめられた本を拾い読みしながら書いていくことにします。

「減点ファミリー」と「我が良き友よ」

昔、NHKで放送されたバラエティ番組の1コーナーに「減点ファミリー」があったのを記憶する人がいるでしょうか?

私はコーナー名をよく憶えておらず、「満点パパ」だったかな? と思ってネットで検索し、それが「減点パパ」(1973年4月)で、そのあと「減点ファミリー」(1975年4月13日に改称)になったことを知りました。

そのコーナーは、週末のゴールデンタイムにNHK総合で放送されていた「お笑いオンステージ」1972年4月8日~1982年4月4日)の中にあったコーナーです。

私も見た記憶があります。コーナーのMCは三波伸介(初代)(19301982)です。

毎回、有名人がゲストとして招かれますが、招かれるのは当人ばかりではありません。コーナーにははじめ、有名人の子供たちだけが登場します。

三波も、どの有名人の子供なのか知らずに接していたのか、それとも知った上で、知らないふりをして接していたのかはわかりません。

三波は子供たちに、父親のことを訊きます。その様子を見る視聴者は、それを見ながら、この子供たちの父親は誰なのか、それぞれに連想する仕掛けです。

言霊を宿すから言葉は大切に

産経新聞に、裏千家前家元の千玄室氏(1923~)のお話を載せる「一服どうぞ」というコーナーがあります。私はいつも読んでいるわけではありませんが、昨日(3日)は見出しに引かれて読みました。

見出しは「『やばい』という言葉」です。

誰がその意味で使い始めたのか知りませんが、若い人を中心に、「やばい」といったいい方をします。

たとえば、何かを食べ、それが想像以上に美味しい場合に「やばい」といったりする使い方になります。

私は若くないせいもありますが、悪い意味でも良い意味でも、「やばい」で表現する習慣はありません。

千玄室氏は、たまに見るテレビ番組で、この「やばい」を聴くと、どうしても気になるようです。だからといって、それを頭から否定しているわけでもありません。

京都ブランドのデオドラント化

本日の朝日新聞に、京都の街に愛憎を併せ持つ(?)井上章一氏(1955~)に語ってもらった「やっぱり『京都ぎらい』」が載っており、興味深く読みました。

副題は「観光地化とともに消えた性的におい」です。この副題について書かれた部分に、私は強くひかれました。

人が持つ五感で性的なものに直結するのは「におい」ではないか、と私は考えます。

前々回の本コーナーは、松本清張19091992)の『喪失の儀礼』1972)について書き、そこでも、人間の感覚を刺激せずにはおかない「におい」に触れました。

歳相応でいきましょう

人類は太古の昔から、不老不死を求めてきました。しかし、これは永遠に叶うことのない願いです。どんな富豪であっても、これから逃れることはできません。

そうであっても、いつまでも若々しくありたいと願います。昨今は、マスメディアがそれを煽り、特に歳を重ねた女性は、少しでも自分を若く装うことに励むでしょう。

どんなに着飾って化粧をしても、歳を隠せない身体の部位がありますが、それがどこかわかりますか?

喉です。高齢に達した女性の喉にはしわが寄り、若かった頃とは違います。

昨日の本コーナーでは、英国のテレビドラマシリーズの『名探偵ポワロ』を取り上げ、ここ数回の放送で私が感じた、映像表現の変化について書きました。

そこで取り上げたシリーズの第59話『鳩の中の猫』で、ポワロが見せる鋭い人間観察の場面があったことを思い出します。年齢を確認するための観察です。

二度目の大阪万博の危うい行方

「柳の下にいつも泥鰌はいない」という表現があります。

ここに出てくる「泥鰌」は「どじょう」と読む淡水魚の一種ですが、若い人はどんな生き物か、見たことがなく、知らない人もいるでしょう。

どじょっこふなっこ(♬春になればすがこもとけて~)byひまわり🌻歌詞付き|童謡|Dojokko funakko|Loose and Funa

ともあれ、その泥鰌が柳の下にいたからといって、いつでもそこへ行けば泥鰌がいる保証はない、という意味になります。それが翻って、一度成功したからといって、次も同じように成功を収められるとは限らない、というような戒めです。

現実世界では、これが当てはまることが多いです。どんなことでも、二度目は一度目ほどには成功しないことが多いです。

そのことは、「東京五輪」で実感した人が多いでしょう。1964年の大会は、アジアで初の大会ということや、日本が敗戦から奇跡的に立ち直ったことの象徴にもなり、未だに語り継がれる大会となりました。

AED云々より前に考えるべきこと

昨日(16日)、Yahoo!ニュースに、昨年7月に沖縄であった出来事を沖縄タイムスが報じた次の記事が載りました。

記事を読んだ人は、現場に駆け付けた消防隊員が、適切な処置をしなかったため、30代の男性が亡くなってしまった、と受け止めかねません。

記事を見ていくと、昨年7月25日の午後5時前、沖縄の南城市にある団地で、30代男性が心肺停止の状態になったことがわかります。

この記事だけでは、誰が救急車の出動を要請する電話をしたのかわかりません。男性が突然倒れ、そのときには心肺停止の状態であったのだとすれば、男性が自分で電話をすることはできません。

麻疹(はしか)を撲滅したのは?

先月14日にインドから帰国した30代の男性が、21日になって発熱し、検査の結果、27日に「はしか(麻疹)」に「感染」していたことがわかったことが報道されています。

これに加え、この男性と新幹線を乗り合わせた都内在住の男女ふたりも麻疹であることがわかった、と報じられました。

私は小学生の時に麻疹に「感染」したことを憶えています。どうしてそれを明確に記憶しているかといえば、その「感染」により、運動会のリレーで走らなくてもよくなったことを喜んだからです。

あれは小学校の3年か4年ぐらいだったと思います。秋の運動会シーズンに、私が通っている学校で、麻疹が流行りました。