言霊を宿すから言葉は大切に

産経新聞に、裏千家前家元の千玄室氏(1923~)のお話を載せる「一服どうぞ」というコーナーがあります。私はいつも読んでいるわけではありませんが、昨日(3日)は見出しに引かれて読みました。

見出しは「『やばい』という言葉」です。

誰がその意味で使い始めたのか知りませんが、若い人を中心に、「やばい」といったいい方をします。

たとえば、何かを食べ、それが想像以上に美味しい場合に「やばい」といったりする使い方になります。

私は若くないせいもありますが、悪い意味でも良い意味でも、「やばい」で表現する習慣はありません。

千玄室氏は、たまに見るテレビ番組で、この「やばい」を聴くと、どうしても気になるようです。だからといって、それを頭から否定しているわけでもありません。

言葉というものは生きており、時代とともに変化するものだと考えるからです。

いつの時代も、若者から新語が生まれます。多くは一時的な流行で終わり、ようやく世の大人たちが認識する頃にはとうに旬を過ぎ、若者には時代遅れの言葉になっていたりするものです。

そのように生まれる新語の中には、長い寿命を持つ言葉に変わる場合があります。多くの人が認識するようになれば、辞書にも編纂されることもあるでしょう。新しく生まれた言葉が辞書に載れば、後世へと受け継がれることにもなります。

今の若者が使う、良い意味の「やばい」ではなく、「不味い」という意味であれば、随分昔から使われた言葉だそうです。

本日の豆訂正
今の若者も、良い意味でばかり「やばい」を使っているわけではないですね。
【ドッキリ】昔のドッキリは格が違う!

「やばい」の語源は諸説あると断ったうえで、千氏は、ひとつの説を紹介しています。

それが江戸時代まで遡るというのですから驚きです。江戸時代は二百七十年近く続きましたので、一口に江戸時代といっても、江戸のどの時代かで、感覚的にも違ってきそうではありますが。

ともあれ、その江戸時代、罪人を拘束する牢屋看守を「厄場(やば)」といったそうです。そこから派生して、悪人同士が、自分たちの悪事が露見して捕まりそうになると、会話に「やばい」を含ませたそうです。

それがなぜか、若者を中心に良い意味でも使われるようになりました。たとえば、若い女の子が何かを食べて、それがとても旨かったりすると、「何? これ。超やばくない?」などというようにです。

千氏は、言葉は言霊(ことだま)が宿るといわれるので、大切にして欲しいと書き、万葉集の巻一の二番目にあり、千氏が好きだという、舒明天皇593641)の次の御歌を紹介しています。

大和(やまと)には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あま)の香久山(かぐやま) 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は けぶり立ち立つ 海原(うなはら)は かまめ立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は

「蜻蛉」はトンボのことで、昔の日本人は「あきつ」といったそうです。こんないい方が今の時代にも残っていたら、今よりも優雅な生き方ができるように思わなくもありません。

それが、おそらくは、言葉が持つ言霊のなせる業といえましょう。

このように、何気なく発した言葉が、発した本人やそれを効く人に耳から入り、その言葉が持つ音が人の中で響き、それが心持に微妙な影響を及ぼす、というようなことでしょうか。

「蜻蛉島 大和の国」は、千氏の言葉をそのままお借りすれば「日本に対する神話的呼称であり、五穀の豊かに稔る聖なる国の意味」だそうです。

「うまし国」には「美しい国」の字を当て、「うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は」は「美しくすばらしい国だ、日本は」という意味に採れるというわけです。

神武天皇が今の奈良県の丘陵に上り、国を眺められ、「狭い国だが、あたかも蜻蛉が交尾している形のように山々が連なり囲んでいる国だ」といわれたことが、日本書紀に記されているそうです。

今のトンボの「蜻蛉」は穀霊の象徴で、五穀豊穣の予兆と考えられたそうです。

今の時代、都会で暮らす人は、トンボを目にすることが極端に減っているのではありませんか? トンボは、日本人の主食である米を育てる田園地帯に多く生息します。

トンボを見ることが少ない都会の人は、産地から遠く離れたところに暮らしているということです。産地と消費地が離れれば離れるほど、生産者が抱く五穀豊穣への強い願いへの理解も弱まってしまうだろうと思います。

田園地帯では、稲の刈り取り時期を迎えています。実った稲穂の上をトンボが舞っています。電気もガスもなかった昔の日本人は、そんな風景を日々見て暮らし、自然の感情として、蜻蛉が舞う様子に、豊作を重ねたりもしたでしょう。

いつの時代も言葉は乱れるもので、今だけが特別乱れているわけではありません。

それでも、ときには、日々聴こえてくる言葉に耳を澄まし、その言葉が持つ言霊が自分たちにどんな作用を及ぼしているか、想いを巡らしてみるのも悪くはないかもしれません。

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