人類は太古の昔から、不老不死を求めてきました。しかし、これは永遠に叶うことのない願いです。どんな富豪であっても、これから逃れることはできません。
そうであっても、いつまでも若々しくありたいと願います。昨今は、マスメディアがそれを煽り、特に歳を重ねた女性は、少しでも自分を若く装うことに励むでしょう。
どんなに着飾って化粧をしても、歳を隠せない身体の部位がありますが、それがどこかわかりますか?
喉です。高齢に達した女性の喉にはしわが寄り、若かった頃とは違います。
昨日の本コーナーでは、英国のテレビドラマシリーズの『名探偵ポワロ』を取り上げ、ここ数回の放送で私が感じた、映像表現の変化について書きました。
そこで取り上げたシリーズの第59話『鳩の中の猫』で、ポワロが見せる鋭い人間観察の場面があったことを思い出します。年齢を確認するための観察です。
物語の舞台は、英国で由緒のある寄宿制の女学校です。長い伝統を持つ学校であるため、良家の子女が多く預けられています。新学期になり、ひとりの新入生が入学してきます。
彼女は、中近東のラマット王国(架空の国)の王女です。同国で革命が起き、英国へ避難して来たという設定です。
同校で殺人事件が起きたあと、警部が学校関係者一人ひとりから聴き取りをします。そのひとりに新入生の王女がいます。それは理科室でしたが、立ち会っていたポワロは何を思ったか、不自然にならないよう、そばに立てかけてあったものを床に倒します。
王女は椅子に座っていましたが、ポワロの動作を気に留めることもありませんでした。
あとになってポワロが、どうしてそんなことをしたのかがわかります。
隠しても隠し切れない老化した部位を確認するためだったのです。
女子高の新入生ですから、15歳といったところでしょう。髪をおさげにした彼女は、その年齢にふさわしく見えます。しかし、ポワロは咄嗟に、彼女の年齢を疑ったのです。
のちにポワロは、こんなことを述べます。
24、5歳の女性の膝と、14、5歳の膝は、似ても似つかないものです。
それを聴いて、へえ、そういうものか、と思い知らされました。
王女に初めて会った会ったとき、ポワロは彼女の何かに疑い、そばにあったものを床に倒し、それを元に戻す振りをして、彼女の膝を観察したのです。
膝の老化に関しても男女差はないでしょう。暑い時期になると、男性も半ズボンを履いたりして膝が露わになります。しかし、仕事をするときは、長ズボンであることが多く、女性ほどには膝を表に出すことがありません。
その点、女性は高齢になってもスカートを履いたりして、膝を晒すことが少なくありません。
もっとも、ストッキングを履く人が多くあり、素足であることは少ない(?)かもしれません。
私は年相応であるべきだと考えますので、ことさらに、歳を若く見せることは必要ないように思います。だから、喉でも膝でも、その人の年齢を感じさせるのであれば、そのままでいいと考えます。
ただ、女性は年齢と自分の姿を気にすることが多いようで、私が考えるほど気楽にはなれない(?)のかもしれません。
男性で最も老化が現れる部位は頭部です。こればかりは遺伝ですから、当人にはどうしようもありません。一定数の男性は髪の毛が薄くなり、それが進んで、禿頭になる人もいます。
本コーナーではこのところ、山口瞳(1926~1995)が書いたことを話題に出すことが多いです。山口が『週刊新潮』に連載したコラム『男性自身』をまとめた電子版の全集を空き時間に読んでいるからです。
『男性自身』127回目は「謎の怪人」と題し、題に類することをいくつか書いています。
その中に、知り合いの主婦が登場します。執筆した頃、その主婦は60歳前後です。その彼女は質問魔で、「なぜ?」「どうして?」を連発するそうです。
あるとき、質問魔の彼女に次のような質問攻めにあった場面を書いています。
「あら、あなた、頭が禿げてきましたね。どうして?」と、くる。答えようがない。
「さあ……」
「だってまだ四十歳にならないんでしょう?」
「そう」
「なぜ? どうして?」
「わからない」
「だって、御兄弟はみんなふさふさとはえているじゃありませんか?」
「そうなんですけれどね」
「どうしてでしょう? いつ頃から禿げてきましたか?」
「三十三歳ごろからかな」
「どうして?」
「わかりませんね」
「髪を洗わないとか洗いすぎたとかいうことがありましたか?」
「特別なことはなかったと思う」
「毛生え薬をつけましたか?」
「つけたことはない」
「どうして?」
「どうだっていいと思っていたから」
「なぜ? じゃあ、どうしてカツラをかぶらないの? ねえ、なぜ?」
山口瞳. 山口瞳 電子全集1 『男性自身I 1963~1967年』 (p.722). 株式会社小学館. Kindle 版.
どんな質問魔に会っても、山口を見習い、「どうだっていい」と思えば怖いものなどありません。つまりは、自分に老化現象が現れても、気にならないということです。
有名人の中には、それを恐れて生きている人がいるでしょう。かつらをつけている人はいませんか? それを外さない限り、心の自由は得られません。
ありのままに生きてみましょう。たとえば、山口瞳のように。