先日、地方紙の一面コラム(朝日新聞の「天声人語」に相当するコラム)には、コラムを執筆されている担当者の知り合いの喫茶店店主の嘆きが紹介されていました。
昨今、純粋な喫茶店は次々に廃業に追い込まれているといい、その知り合いの店主も長年続けている店をいつ閉めることになるかわからないといいます。で、その店主が「もうこの商売もおしまいだね。人々がこうも時間を楽しむ余裕をなくしちゃあ」とこぼしたというのです。
いわれてみれば、喫茶店という空間はコーヒーそのものを飲むだけの場所ではなかったはずです。たとえていえば、「流れゆく時間を味わう場所」といういい方もできそうです。しかし近年はその時間をじっくりと味わっているだけの余裕が、人々から年々失われていってしまっているようなところがあります。