2004/03/12 小三冶さん芸術選奨に

先日、地方紙の一面コラム(朝日新聞の「天声人語」に相当するコラム)には、コラムを執筆されている担当者の知り合いの喫茶店店主の嘆きが紹介されていました。

昨今、純粋な喫茶店は次々に廃業に追い込まれているといい、その知り合いの店主も長年続けている店をいつ閉めることになるかわからないといいます。で、その店主が「もうこの商売もおしまいだね。人々がこうも時間を楽しむ余裕をなくしちゃあ」とこぼしたというのです。

いわれてみれば、喫茶店という空間はコーヒーそのものを飲むだけの場所ではなかったはずです。たとえていえば、「流れゆく時間を味わう場所」といういい方もできそうです。しかし近年はその時間をじっくりと味わっているだけの余裕が、人々から年々失われていってしまっているようなところがあります。

私にしても、別に何に急いでいるというわけでもありませんが、同じことをするならなるべく早く済ませようとしています。この“強迫見念”にも似た感覚は一体どこから生まれるものなんでしょうね。

かくして、時間に対する余裕を失った多くの現代人は喫茶店でのんびりと時間をやり過ごすことが極めて下手になり、時間の提供者であった喫茶店店主の嘆きへとつながることになります。

そうした贅沢な時間の使い方ということでいえば、落語を聴くというのもその一つに含めてもいいのではないでしょうか。

落語が演じられる寄席で、高座から噺(はなし)一つで見客を別の時間が流れる世界へと誘うのが噺家(はなしか)、落語家と呼ばれる人たちです。

その落語家のお一人の(10代目)柳家小三治さんが、今年度の芸術選奨に選ばれたことを伝える記事が10日の日経新聞に載っています。小三冶さんといえば正統派の落語家の中では現在最高峰といわれ、私も昔から好きな落語家さんなもので、嬉しいニュースではありますね。

しかし当のご本人はといえば、その芸風同様に至って飄々とした反応で、「あまり褒められるのは得意じゃない。けなされる方が力がつく」と答えた談話が紹介されています。本心では嬉しいんでしょうけれどね。

受賞作となった『青菜』という噺への評価が「風格が加わった」だったことへも、「やっと気づいてくれたか」と軽く受け流して周囲を笑わせたようです。

その小三冶さんの出発点は大学浪人中だそうで(以前聞いた話では、東大を狙っていたような)、ラジオの素人寄席で連続15週首位になり、それが噺家の仕事業へとつながっていったようです。しかも、その世界で大輪の華を咲かせることになったわけで、ご立派というよりほかありません。

そうなったのには、もちろんご本人の才能が重要なウエイトを占めたのでしょうが、それに加えて、日頃の弛まぬ精進があったればこそと思います。

今回の記事には、師匠であった5代目柳家小さんさん(故人)の教えが小三冶さんの口から語られ、それを小三冶さんご自身が忠実に守ってこられたことが窺われます。以下がその教えです。

芸には人間性がそのまま出る。芸の勝負はつまるところ人間性の勝負である。

この教えは、落語の世界だけではなく、他のあらゆる分野でも通用しそうですね。たとえば絵の世界でも、結局はここへ行き着くのだと思います。どんな絵を描いても、最後は作者の人間性へと行き着いてしいます。

何かを表現する以前に、その人間がどのような考えを持ち、日常をどのように生きているかが全て問われてしまうことになるわけで、実に大変なことだと思わざるを得ません。

今回の記事には、小三冶さんが質問に答えて次のようなことを述べています。

スターは周囲が作るものとわかった。だから有名になりたいとは思わなくなった。(若手の落語家には)「こうしたら人が喜ぶ、金になる」という発想ではなく、自分が面白いと思うことに夢中になって欲しい。

それを実践されてきたご本人の言葉であるだけに説得力があります。

結局のところ、どの分野で生きるにしても、自分が本当に好きなことを見つけ、それを自分自身が誰よりも楽しんで(=苦しい部分も含め)することが大切ということでしょう。文章にすると今さら書くまでもないほど当たり前なことのようですが、この「当たり前」を長年にわたって続けるのは容易いことではありません。

話を冒頭の時間の話につなげれば、「時の経つのを忘れるほど自分が好きなことに没頭しろ」ということでしょうか。それは、時間に追いまくられるように生きることとは正反対で、時間というものを最も有意義に使った生き方ということになりそうです。

人は皆生まれてから死ぬまで平等に時間を与えられているわけですが、その時間の使い方は千差万別です。そして、できることなら時間をより有意義に使い、納得できる一生にしたいものではあります。

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