昨日、Yahoo!ニュースに共同通信社が配信した次の記事がありました。
記事は速報のような形を採り、数行の短いものでした。
内容が詳しく書かれた記事が今日の産経新聞にありました。
太宰治(1909~1948)は昭和10年、虫垂炎などの手術のため、入院しています。その痛みを和らげるためか、太宰はパビナール(鎮痛剤)を多用し、それに依存するようになってしまいます。
太宰を自分の弟子として気にかけていた井伏鱒二(1898~1993)は、太宰を何とか立ち直らせようと考えたのでしょう。井伏は太宰を説得し、翌年に入院させ、治療に専念させようとします。
一方の太宰はといえば、被害者意識が強くなり、当時妻だった初代に、「井伏らに騙されて入院させられた」などと訴えていたようです。
太宰の様子を知った井伏が、作家仲間の佐藤春夫(1892~1964)へ、太宰の近況を伝えた書簡7点が、このほど新たに見つかりました。
太宰は十年ほどのち『人間失格』(1948)を執筆しますが、このときの心境が本作の源流となったのでは、と研究者らは見ているとされています。
今週末の30日から、神奈川近代文学館で「没後30年 井伏鱒二展」が始まる予定で、今回見つかった書簡も展示されるそうです。
この展覧会が始まる直前に、井伏の書簡が新たに見つかったことが報じられるなど、何やら、展覧会の宣伝に使われているように感じないでもありません。
ここまで、井伏が太宰について書いた書簡が見つかったことのあらましについて書きました。私が気になったのは、それ伝えた共同通信の次の記事です。
作家の井伏鱒二が、パビナール中毒で入院していた弟子の太宰治が「だまされて入院させられた」と被害妄想がある様子を記した書簡が26日までに見つかった。専門家は「代表作『人間失格』につながる発見」とみる。
短い記事ですが、記事の内容が、頭にすんなり入って来ませんでした。そんな風に感じたのは私だけでしょうか。
記事には文章がふたつだけです。ふたつめの文章はわかります。「問題」はひとつめの文章です。
その文章が次のように書かれていたら、頭にすんなり入ったでしょう。
作家の井伏鱒二が、弟子の太宰治に被害妄想がある様子を記した書簡が26日までに見つかった。
ひとつの文章の中に、すべての要素を盛り込んだため、理解しにくい文章になってしまったのではないでしょうか。
ひと続きの文章に、「井伏鱒二が」「太宰治が」「被害妄想が」「書簡が」と「〇〇が」が四つも登場します。
日本語と英語では文法が違います。
英語は主語と述語が近いので、その文の意味はすぐにわかります。日本語も主語は頭にありますが、述語は文末にあるため、最後の最後まで結論のようなものがわからない仕組みとなります。
駅の売店で売られているスポーツの一面に、「ネス湖のネッシー」とあれば、「何?! ネッシーが見つかったのか?!」と気になって、その新聞を買いたくもなるでしょう。
ところが、買って、折られていた紙面の下半分を確認すると、「見つからず」とあったりして、がっかりさせるのが日本語の特徴です。
共同通信の記事では、「井伏鱒二が」の主語を受ける述語は、「(書いた)書簡が見つかった」です。この主語と述語の間に、太宰が井伏の弟子であること、パビナール中毒で入院していたこと、太宰が井伏に対して被害妄想を持っていたことまで詰め込まれています。
短い文章で記事にするという制約があったのかもしれません。短くするためであれば、別の書き方もあったように思います。
報道の記事に名文は望みません。読者が読んで、頭にすんなり入る文章なら望みます。