2007/07/02 久間防衛相の「しょうがない」発言σ(^_^)私の検証

事実上の参院選入りとなった昨日、朝日新聞など新聞各紙、テレビは、先月30日、千葉県内の私立大学で講演会を行った久間章生防衛相による、米軍が日本に原爆を投下したのは「しょうがない」と発言をした、と重大問題視する報道をブチ上げました。

反自民を標榜する朝日としては、これを絶好の追い風に、未だ民主党絶対有利の情勢に持ち込めていない現状を打破する格好の好材料にしたい構えです。

そこで、この発言が真に自民攻撃の材料になるのか、30日の発言を冷静に見ていこうと思います。

何はともあれ、「しょうがない」の部分にだけ焦点が当たりがちですので、発言全体の要旨を、昨日の朝日新聞から転載させてもらおうと思います。

日本が戦後、ドイツのように東西が壁で仕切られずに済んだのは、ソ連の侵略がなかったからだ。米国は戦争に勝つとわかっていた。ところが日本がなかなかしぶとい。ソ連も出てくる可能性がある。ソ連とベルリンを分けたみたいになりかねない、ということから、日本が負けるとわかっているのに、原爆を広島と長崎に落とした。8月9日に長崎に落とした。長崎に落とせば日本も降参するだろう、そうしたらソ連の参戦を止められるということだった。幸いに(戦争が)8月15日に終わったから、北海道は占領されずに済んだが、間違えば北海道までソ連に取られてしまう。その当時の日本は取られても何もする方法もないわけですから、私はその点は、原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている。米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということがわかっていながら、原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている。国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうことも選択肢としてはありうるのかな。そういうことも我々は十分、頭に入れながら考えなくてはいけないと思った。

ザッと目を通してみると、被爆地の長崎生まれである久間防衛相の個人としての感慨部分を除けば、概ね、原爆が投下された時代の世界情勢をそのまま解説しているように読めます。

不勉強な私としては、同じ敗戦国のドイツには原爆を落とさず、日本にだけ落としたことの根底には、黄色人種である日本への人種差別意識が働いたせい、と私個人は考え、それを「しようがない」のひと言で済ます気にはなれません。

私の勉強不足を補ってくれている久間防衛相の解説によれば、日本もドイツと同じように、アメリカとソ連の力関係の中で、東西、あるいは南北に分断されかねない情勢にあった。それに対し、日本は対抗手段を持たなかった、ということになりそうです。

アメリカはアメリカで、手をこまねいているとソ連が侵攻し、日本の領土の一部を占領されかねない。そのための対抗策として、アメリカは人類史上初めてなる原爆を広島と長崎に投下し、力ずくででも日本に戦争の終結をさせたい、と決断したことになります。真相がこの通りであったかどうかは知りませんが。

このアメリカ政府の判断を、久間防衛相は「勝ち戦とわかっていながら、原爆まで使う必要があったのか」と、「米国を恨むつもりはない」と断りつつ、それでもアメリカへの恨みの気持ちが久間大臣の心内にあることが言葉の端々から窺えます。

問題とされている発言を要旨から見てみましたが、人それぞれ、問題の捉え方は違うでしょうが、日本人の多くで共有できるような認識から、そう離れていない印象を私は持ちました。

朝日など一部マスメディアにせかされた民主党など野党勢力が問題にする「しょうがない」という表現ですが、その意味を例により、広辞苑で確認しておくことにします。

仕様が無い:施す手がない。始末におえない。しょうがない。

私たちもこの表現は使いますが、どのような心理状態にある時によく用いるでしょう。肯定的な気分では使いませんね。ということはその逆。否定的な気分、諦めの気分の時に使うことになります。

たとえば、と自分のシチュエーションに当てはめて考えてみます。最寄り駅に着き、「さ、家に帰ろう」と自転車を乗り出したら、急に雨が降ってきたとします。その時、私はどんなことを考えるか。気分は諦め気分です。「天気予報では、確か、夕方まで雨は降らないといっていたのに」と嘆きつつ、「しょうがない」と雨に濡れながらペダルを漕ぐ自分の姿を想像してみました。

この場合の「しょうがない」をもう少し細かく分析してみると、前後にどんな思いを当てはめることができるでしょう。「天気予報は夕方まで大丈夫といっていたのに。クソ! だまされた! でも、ま、天気予報に文句をいってみてもしょうがないか。春雨じゃあ、濡れて帰ってやる!」。こんな感じですかね。

同じ調子で、久間防衛相の「しょうがない」を私が勝手に補足発言して、「しょうがない」を膨らませた発言をしてみます。

広島に続いて長崎にまで原爆を落とせば、さすがの日本も降参するだろう、ということで米軍は原爆を落としました。でも、これは想像力をあまりにも欠いています。原爆を落とされた下には、ごく普通の市民が毎日を懸命に生きていたんですけれどね。今さらアメリカを恨んでみても始まりませんが、私を含め、広島、長崎の市民は本当に悲惨な目に遭わされ、その後遺症を未だに引きずっています。ですから、アメリカ政府が決断した行為を未だに到底許す気にはなれないのです。それでも、あの原爆投下があって日本が戦争の終結を受け入れたという事実が一方にはあるわけで、終戦から60年以上経った今になって、ほじくり返してみても「しょうがない」のかぁ、とこれは半分諦め気分ですが、そんなことを思ってみたりもします。断っておきますが、だからといって、私は核兵器の有効性を主張したいわけではありません。

久間大臣の発言を受け、朝日新聞は本日分の「社説」冒頭で「原爆が使われたことを『しょうがない』と言い放つ無神経さには、あいた口がふさがらない」と決めつけています。ただ、どうなんでしょう。私なりに久間防衛相の発言を見てきましたが、「あいた口がふさがらない」ほどの無神経発言ではなかったように思えるのですが。

久間大臣自身が被爆地長崎の生まれということで、原爆の暴力性はよく認識しているように思います。それを前提にして、当時の日本を取り巻く世界情勢を久間大臣なりに解釈し、聴講者に話をしたのであり、鼻息荒く迫るほどのことでもないように私には思えました。

久間大臣は、「アメリカの核兵器使用を『しょうがない』」といっているわけではなく、アメリカ政府への繰り言を今さらいってみても、虚しいだけで、しょうがない」といっているんだと思うんですよ。そうは受け取れませんか?

私は、今回の発言を問題として取り上げる報道を見て、以前雑誌で読んだ小野田寛郎さんの嘆きを思い返してみました。

それは、『WiLL』2005年8月号に載っていた嘆きです。その号では「中国に譲る勿れ!」という特集が組まれ、小野田さんも「ルバング島から帰国して30年 わが心の靖国」という寄稿(インタビューを文章にまとめたものかな?)をされています。

小野田さんは、被爆地広島の平和記念公園へ行き、あることに大変驚かれたそうです。

https://youtu.be/d41aYxXXzCA

何が小野田さんを驚かせたかといえば、慰霊碑に書かれた文字で、そこには「安らかに眠ってください。あやまちは再び繰り返しませぬから」とあるといいます。

これはどう受け止めればいいのでしょう。朝日など反日的なマスメディアやいわゆる進歩的文化人からよく聞かされるいい方は、「先の大戦で日本はアジア諸国の人々に多大な苦しみを与えた。その行き着いたところで日本は広島、長崎に原爆を落とされた。だから、『あやまち』は原爆を落としたアメリカにだけあるのではなく、落とされた日本にも同じ『あやまち』があった」云々です。

その欺瞞を直感的に感じ取った小野田さんは、案内してくれた陸軍中野学校時代の仲間と、「本気で(日本の)『あやまち』と書いたのなら、こんなもの爆破してしまうぞ」といって笑い合った、とのことです。

この明らかな過ちでしかない「あやまち」が学校現場で実践されているのが、被爆地広島や長崎の平和教育であろうと思います。そうした教育を受けた人々は、自分たちも「あやまち」を犯したのだと教え込まれ、真に「あやまち」を犯したアメリカを非難することよりも、自らを自虐的に責め立てることへ軸足が移ってしまいまいかねません。

ここで政府の立場をふまえておけば、日本は敗戦国として対日平和条約(「日本国との平和条約」)で請求を棄却した以上、戦勝国のひとつであるアメリカに対してものをいう立場にない歴史の事実がひとつあります。また国防の見点からも、アメリカの核の傘に自国が守られているのも否定できない事実なのであり、アメリカの核使用にはとやかくいえない、というように日本政府の立場は規定されているようであります。

それが「けしからん!」ということで、米ソ冷戦時代は、進歩的勢力は日米安保の破棄を強行に主張し続けました。が、彼らはどこまで本気だったのか、日本が憲法を改正して軍備を増強し、核武装することには大変なアレルギーを示していました。アメリカの核の傘に頼るなというのであれば、当然の帰結として、憲法改正や核武装の論議は決して避けて通れないハズなんですけれどね。

最後にもう一度久間大臣の「しょうがない」発言に戻れば、ここで大臣が「しょうがない」といったのは、「原爆を落とされたのはしょうがない」という意味ではなく、「日本に原爆を落としたアメリカに今さら愚痴をいってみたところでしょうがない」なのだと私は思います。

だとしたら、これは久間大臣の嘆き節なのであり、それを批判したところで、それこそ「しょうがない(意味がない)」ように思えるのですが、あなたはどのようにお考えですか?

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