本日も、本コーナーは思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて更新をしています。なお、トークは前日の夜に行っています。
本日分の内容につきましては、音声ファイルでご確認下さい。で、そうされない場合は、下にトークを要約して書き起こしていますので、それをお読みになって、トークのだいたいの流れをご想像下さい。
なお、音声ファイルはmp3方式にて紹介しています。再生箇所は前後に自由に移動させることができる、と思いますので、下の書き起こしで見当をつけ、聴いてみたい部分だけを“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(^ー^)ノ
トークを要約した書き起こし
今回も夜の時間にトークをしている。いつもよりは30分ほど遅いスタートとなったが、その前までは本サイトの“天気コーナー”の更新をしていた。
その更新のため、毎日午後7時前の気象情報を見て参考にしているが、それが始まるのはだいたい午後6時50分過ぎ。それとちょうど入れ替わるように放送が終わるのがNHK-FMのリクエスト番組「サンセットパーク」。
この番組は午後6時に始まり、6時50分に終了する。その直後にNHK総合で気象情報が始まるわけで、リクエスト番組を聴いて、そのあとにサイトの“天気コーナー”をする私のために番組が編成されているようだ?
冗談はともかく、今日(11日)も「サンセットパーク」を聴いた。が、今日は肝を冷やされたさせられたΣ(°Д°)
同番組を、私は努めて生放送で聴きつつ、同時にエアチェックする習慣がある。1983年4月から番組を聴き、また、その年の夏から番組宛てにリクエストをするようになって今年で27年目。
このことはトークでは話していないが、リクエストを始めた時期がわかるのは、私の初めてのリクエスト曲が吉田拓郎(1946~)の『夏休み』(1971)であったから。
厳密にいうと、これは私のリクエストではなく、当時のパーソナリティから私に送られたリクエストのようなもの。
どういうことかというと、番組宛に、リクエスト曲なしのハガキを書き、それが番組で読まれた。学校が夏休みになる直前で、自分の夏休みの思い出のようなものを書いたように記憶している。
それを番組で読んでくれたパーソナリティが、私がリクエストしたようにして、吉田拓郎の曲をかけてくれた。
ペンネームは、私が住んでいるところと私のイニシアルで「〇〇のイニシアル〇・〇さん」と紹介された。
その経験で、自分でもリクエストをしようと思い立ち、始めた。数回は、パーソナリティがつけてくれたペンネームを使い、そのあとは、本サイトの更新にも使う「インディの鞭」に換えた。
昔はカセットテープに録音したため、当たり前のことながら、毎日の放送をそのまま保存するなどということは考えたこともない。自分のリクエストが採用された放送を中心に保存してある。
それが今は、PCのハードディスクドライブ(HDD)に録音をするようになった。HDDの記憶容量はこの数年の間に飛躍的に増大した。
ちなみに、主にテレビ番組を録画するためのHDDに、私は2TBのHDDを使っている。そのため、ランニングコストが下がり、私は番組の放送があるときはいつも録音している。また、DVD-Rメディア1枚分に相当する約4.7GB分溜まった時点で、エアチェック・ファイルはDVD-Rメディアに移動し、HDDからは削除している。
説明が長くなった。今日(11日)はいつも以上に確実に録音するつもりでいた。なぜなら、今日の放送宛てに私はリクエストをしてあったから。毎週金曜日はジャズをかける曜日で、今日の担当パーソナリティと選曲は山本由布子(ゆうこ)さん。
ついでといってはなんだが、ある人の声と話し方が山本由布子さんに似ていることに気がついた。その人は、ヴァイオリニストの千住真理子(1962~)。
私は毎朝午前4時19分に起きる習慣で、午前5時台は、NHKラジオ第1放送を聴きながら本サイトの朝の更新をするのが習慣となっている。
その時間帯には、「ラジオあさいちばん」が放送されている。本ページで文章の更新をしている今日(12日)もその時間帯の放送を聴いたが、土曜日は「土曜あさいちばん」、といったかな?
あれは今年に入ってから始まったのだったか、土曜日の午前35分ぐらいから、千住真理子さんのお声を毎週聴くことができる。千住の「クラシックでお茶を」というコーナーがあるからだ。クラシック音楽というと、どこか取っつきにくいところがあるが、それを親しみやすい形で千住が紹介してくれるコーナー。
ラジオから流れる千住さんのお話を聴きながら、彼女の声と話し方が誰かに似ていると思った。似ていたのは山本由布子さんだった。
ふたりとも女性としてはお声が低め。そして、話し方もなんとなく似ているように思った。もしも山本さんが担当する回に千住さんがゲストとして出演したら、聴いている人は混乱してしまう、かも?
話が横道に逸れてしまったが、今日(11日)の「サンセットパーク」を聴くにあたり、なぜ私が肝を冷やしたのかといえば、自分のリクエスト曲がもしかしたら採用されるかもしれない日の放送に限り、PCがスリープの状態から復帰することに失敗したようだったから。
これがもし、放送を生で途中から聴き始めたら、それまでにすでに10分なりが経過し、しかも、PCを再起動させるなどで、うっかりしたら20分間ぐらいは聴けなかったかもしれない。
ついでまでに、本番組は月曜から木曜までは生放送だが、ジャズがかかる金曜日だけは放送がある当日の午後3時ぐらいから録音したものが午後6時から放送になる。そらだから、金曜だけは「生放送」といういい方は当てはまらない。
この金曜日の放送体制についてトークの中でも説明している。その際、昨年の10月途中からNHKのサテライト・スタジオでの収録が始まったことを説明しながら、スタジオ名がすぐに思い出せず、あやふやな記憶のまま「NHKアットマーク」などといってしまっている。正確には「NHK@キャンパス」。
今日(11日)は番組が始まる2分前ぐらいから聴き始めたので助かった。その瞬間、PCがスリープから復帰できずにいることに気がつき、慌てて再起動させつつ、放送を聴いていた。
自分のリクエスト曲が採用になるかどうかはわからず、しかも、何曲目にかけてもらえるかもわからない。そして、今日の1曲目、あるいは2曲目あたりに採用されていたら、その部分の録音には失敗しただろう。
結果的に、私のリクエスト曲は採用され、番組の6曲目にかけてくれた。時刻は午後6時20数分過ぎから30分前ぐらい。結果的に助かった。
本番組は曜日ごとにリクエストの募集テーマを設けることになっている。ジャズをかける今日の放送は、「クラシック♪JAZZ」が募集テーマだった。
クラシック音楽をジャズ風にアレンジした曲。まもなく全国的に梅雨に入り、雨の日はそうした音楽を聴きながら過ごすのもいい、といったことから生まれたテーマだと思われる。
私がテーマを聴いて思いついたのは、近代フランスの作曲家、エリック・サティ(1866~1925)の『ジムノペディ 第1番』。演奏者には、ベルギー出身のジャズ・ハーモニカ奏者、トゥーツ・シールマンス(1922~2016)を選んだ。
リクエストを番組で紹介してくれるとき、山本さんは「ジャズ・ハーモニカの演奏を初めて聴いた」といっていたかな。また、ハーモニカという楽器が持つ音色がそう感じさせたのだろう。「どこか懐かしい感じ」ともいってくれている。
サティの『ジムノペディ』は別に雨の光景を曲にしたものではないが、リクエストしようと思って聴いているうちに、私には雨のシーンが思い浮かんで、その通りにリクエストのメッセージにも書いた。
この曲は元々はピアノのために作られたもので、シールマンスの『ジムノペディ 第1番』はピアノの伴奏で始まる。
ピアノの音色は、空から落ちてくる雨粒のよう。そこにシールマンスが奏でるハーモニカのメロディが重なる。ハーモニカによる主旋律は雨の情景を眺める主人公に思えた。そこから先は、私の勝手な想像。雨に濡れるのもいとわず、雨と戯れるうち、体中が幸せな感情に満たされていく感じが私はした。
今回リクエストするにあたり、メッセージに何を書こうと考え、数カ月前にNHK総合で見た番組を思い出した。最初は「名曲アルバム」だと思ったが、よくよく調べてみると、「ぴあのピア」という番組で、今年の2月6日早朝に放送された回。
今ではその時間の放送が終わってしまったと思うが、その頃はたしか土曜日の午前5時半過ぎに放送されていた。私は午前6時前の気象情報もPCのHDDに録画してチェックしているが、午前5時半ぐらいから録画を始めるため、「ぴあのピア」も録画し、サティの回は保存してある。
その回「サティ 革新を呼んだ変わり者」の録画ファイルから、番組のはじめの部分を音声で聴いていただいている。ナレーションを担当しているのは女優の宮崎あおい(1985~)。
また、最後に別の女性の声が聞こえてくるが、そこでサティについて語っているのはミュージシャンの坂本美雨(1980~)。ちなみに美雨の父親は坂本龍一(1952~2023)で母親は矢野顕子(1955~)。
聴いていただいた音声の中でも述べられているように、エリック・サティというのは大変な変わり者であったようだ。
暮らしていたのはフランスのパリの南にあるアルクイユという街。今はどうか知らないが、サティが生きた時代は、「貧しい労働者が暮らす街」と番組で紹介されている。
サティはその街のアパートに死ぬまで27年間暮らしたが、部屋には誰ひとり招き入れなかった、と紹介されている。
サティはそのアパートから、仕事場のパリのカフェまで、2時間かけて歩いたそうだ。当時は電車が通っていなかったのか? それとも、歩きながら曲の構想でも練っていたのか。
サティの出で立ちはといえば、「山高帽に丸眼鏡。そして全身黒ずくめ」。近寄りがたい雰囲気だったかもしれない。時代は違うが、個人的にはパガニーニ(1782~1840)にイメージを重ねてしまったりもする。
サティは1866年に生まれて、1925年に没している。それで思い出したのは宮沢賢治。
私は宮沢賢治の生まれた年を1900年の4年前と記憶しているので1896年生まれ。ということは、サティは賢治より30年早く生まれ、賢治より8年早くこの世を去ったことになる。サティの享年は59、賢治は37だった。
宮沢賢治といえば、昨日(11日)発売になった“大人の生活誌”『サライ』7月号では宮沢賢治を特集しており、早速買い求めた。これを読んで何か感じることがあったら、このトークでまた取り上げてみたい。
ネットの事典ウィキペディアでサティについて書かれた記述を見ると、シュザンヌ・ヴァラドン(1865~1938)と交際を持ち、その間に「彼女宛300通の手紙を書いた」とある。途中でも触れたように、サティは自分が27年間過ごしたアパートへ誰ひとり招き入れなかったほどで、他人との交流は限られていたのだろう。
結局は、シュザンヌとも半年ほどで関係を解消していたようだ。なお、このシュザンヌ・ヴァラドンという女性は、近代フランスの画家たちの話によく登場する。
彼女自身も絵を描いていたらしいが、画家のモデルを数多く務め、それが縁になったのか、のちに有名になった画家たちと数多く交渉を持ったようで、「恋多き女」といったイメージができあがっている。
彼女はまた、画家、モーリス・ユトリロ(1883~1955)の母親としても知られる。彼女はユトリロを18歳の時に産んでいるが、父親が誰かは諸説あり、誰が本当の父親だったかは未だに明らかになっていない。
ユトリロから見れば、母親のシュザンヌはどのように映ったであろうか。恋多き人を自分の母親に持つと、気苦労が絶えなかったかもしれない。そんなことが影響したかどうか、ユトリロは精神の安定を欠き、アルコールに走ってしまったという。治療に当たった医師から、治療の一環として絵画の制作を勧められたという話が残る。
以上、本日は、今日(11日)放送があったNHK-FMのリクエスト番組「サンセットパーク」金曜日宛てに出したリクエスト曲に関連し、近代フランスの作曲家、サティについて思いつくままに話してみた。