村上春樹(1949~)は、1978年の春、明治神宮球場の芝生の外野席で、ヤクルトスワローズと広島カープの開幕戦を観戦した時に、小説を書いてみようという天からの啓示のようなものを受けた、というエピソードを、機会あるごとに書いています。
私は「天からの啓示」というような話は、素直には信じませんね。おそらくはその時の村上も、何かの拍子にそのようなひらめきを得たことは確かでしょうが、それが天からのものだったかは、当人も確信は持てないでしょう。
誰にでも似たようなことが起こったりしますが、それを単なる思いつきやひらめきとしなかったことで、いつの間にか、村上の場合は、それが「天からの啓示」という「物語」になってしまっただけ(?)のように感じなくもありません。
人が死んだあとに天国へ行くという話も、私は素直に受け入れることができないです。
「それ」に私が最も近づいたのは、2004年8月末のあの日です。
その日の午後、私は自転車で急坂を走り降りている途中で転倒し、頭部を強く打ったらしいです。私はその瞬間に意識を失い、一週間から十日程度意識が戻らない経験をしました。
私は急性硬膜下血腫を起こし、命が極めて危ぶまれる状況にありました。緊急手術を受け、一命を取り留めました。
死に瀕した経験を持ったことになりますが、そのときに、以前何かで読んだような、三途川の向こう岸で、亡くなった家族や親族が手を振る姿が見えた、というような「光景」を私は見ていません。
ただ、意識を失っていたとき、病院へ駆けつけた家族に、「三人の人間に転がされた」というようなことをつぶやいたようです。夢でも見て、うわごとをいった(?)のでしょうか。
三人で私が思いつくのは、肉親の両親と姉です。三人ともその時点で死んでいました。その三人が、私を転がしたのではなく、倒れるショックを防いだ、と考えることもできなくありません。
私は、急性硬膜下血腫で手術を受けましたが、体には打ち身のようなものがありませんでした。乗っていた自転車も、ペダルが少しまがった程度で、大きな支障はなかったです。
村上のエピソードから、私が経験した転倒事故の話へと展開させてしまいました。
村上が得た啓示のようなものは、結局のところ、村上のひらめきのようなもので、それを当人が信じて、その道を進んだだけのように思います。
自分で考えたことや文章にしたことが、自分への暗示になることがあります。
少し前の本コーナーで、絵画と小説の制作のやり方には、大ざっぱにいって、二種類あるというようなことを書きました。
その中に、ほんの気まぐれで、以前やったように、速乾性のアクリル絵具で絵を描く過程をビデオに撮り、それを動画にしてみるのも面白いかもしれない、と書きました。
それが私には暗示となったようで、今、絵を描くことを楽しむことをしています。使っている絵具は、アクリル絵具ではなく油絵具です。
17世紀のオランダの画家、レンブラント(1606~1669)は、聖書の一場面を想像で描くよりも、鏡に映る己の姿を描くことに何よりの楽しみを持った画家のように感じます。
想像で描けば、自由に描けそうな気がします。しかし、私の場合は、想像力が劣っていることもあり、そのような絵は描けないか、描いても楽しく感じられません。
レンブラントのように、鏡に映る自分を見て、それを描くことは、終わりが見えないくらい、楽しむことができます。
レンブラントも、油絵具という物質を自分の手が持つ筆で操ることに、この上ない喜びを感じたでしょう。レンブラントの場合は、それ以前の画家には見られなかったような厚塗りをしたので、薄塗しかしなかったレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)のような画家には得られなかったような、絵具との戯れを触覚で実感できたでしょう。
私の場合は、その出来の良し悪しとは別に、筆ですくった絵具を支持体にのせる作業そのものに、喜びを感じてしまいます。
ときには、最近また使い始めたデジタルオーディオプレーヤー(DAP)のiPod classicで好きな音楽を聴きながら絵筆を動かすのは、この上ない楽しみです。
絵具やカンヴァス、筆などはストックしてあるので、なくなりそうにありません。お金をかけずに、いつまでも楽しんでいられます。
昨日つけた絵具が乾くまでは、別のことをして時間を過ごしましょうか。
そういえば、今日午後一時からの「プレミアムシネマ」は、アルフレッド・ヒッチコック監督(1899~1980)の『裏窓』(1954)が放送されます。本作は、過去に何度も見ており、ブルーレイディスクにも録画して残してあります。
そんな作品ですが、今日の放送を、オンタイム(「放送されている時間」ぐらいの意味で使っています)で楽しみましょうか。