本日も、本コーナーは思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて更新しています。なお、トークは前日の夜に行っています。
本日分の内容につきましては、音声ファイルでご確認下さい。で、そうされない場合は、下にトークを要約して書き起こしていますので、それをお読みになって、トークのだいたいの流れをご想像下さい。
なお、音声ファイルはMP3方式にて紹介しています。再生箇所は前後に自由に移動させることができるますので、下の書き起こしで見当をつけ、聴いてみたい部分だけを“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(^ー^)ノ
トークを要約した書き起こし
今回も夜にトークをしている。ということで、まずは口慣らしも兼ね、更新を終えたばかりの「天気コーナー」の続きで、本日(8月3日)の関東地方の天気の話から口火を切ろう。
昨夜の予報では、関東南部の平野部で雨が降るという予報はまったくされていなかった。それだから、傘を持って外出した人は、端(はな)から予報を信じていない人か、それとも、よほど用心深い人のどちらかだろう。しかし、今日の関東南部に関していえば、そういう人が報われる天気となった。
南部の当地でも、午前11時前、急に空が暗くなり、大粒の雨が落ちてきた。強く降った時間はせいぜい10分か15分ぐらいだったが、そのあともしばらく、雨が降ったり止んだりと不安定な天気が続いた。あの大降りの雨の中、傘を持たず、雨やどりも出来ずにいた人は、濡れるに任せるほかなかっただろう。
ということで、雨も止み、、、? いや、挨拶代わりの話が終わり、ここから先が本日分の本題。時間にして〔4分〕ぐらいから。今回は、しばらくしていなかったデジタル一眼カメラ(デジ一)の話を久しぶりに。
世紀が変わるときは時代が大きく変わるもので、カメラを取り巻く環境も、20世紀と今世紀で様変わりしてしまった。その時代の片隅で生きている私は、前世紀からカメラで写真の撮影を楽しんでいるが、フィルムのカメラをほとんど使わなくなる日が現実に訪れようとは、ほんの数年前まで想像できずにいた。
今でもフィルムのカメラを愛用している人もおり、私もたまにはフィルムで撮影してみたいと思うが、それでも手軽さには勝てず、2年前デジ一を手に入れてからというもの、もっぱらデジタルで写真を楽しんでいる。
ただ、私の場合は、フィルムの時代に揃えた道具をすべて過去のものにしてしまったわけではない。しかも、写真表現で重要な位置を占めるレンズで、フィルム時代に揃えたレンズを活かしている。
ズームレンズやオートフォーカスが当たり前の今、私は敢えて、焦点距離が固定された単焦点レンズで、しかも、フォーカスを自分の手で合わせるマニュアルフォーカス・レンズを使うという時代錯誤。
私がフィルムの一眼レフカメラのために揃えたのは、以下の4本。いずれもドイツのレンズメーカー、カール・ツァイス社製(ブランド名についている数字は焦点距離を表し、数字が小さいほど広角、大きいほど望遠になる)。
これらのレンズが、マウントアダプタといって、レンズマウントを変換してくれるアダプタを使うことでデジ一でも使えることを知り、2年前にキヤノンのデジ一を使い出した。今は、1年ほど前から使うEOS 5Dが21世紀の私の相棒カメラになった。
上で挙げている4本の単焦点レンズを揃えてはいたが、私はプラナー50ミリのレンズが大のお気に入りで、もっぱらそのレンズばかりをカメラにつけていた。これでは、レンズ交換できるのが最大の魅力の一眼レフカメラを遣う意味がない。
レンズの明るさを示す数値に「F値」がある。この数値が小さいほど明るいレンズになる。
ちなみに、『2001年宇宙の旅』(1968)などの作品を監督したことで知られる世界的な映画監督のスタンリー・キューブリック(1928~1999)はカメラ好きが高じて映画監督になったほどで、撮影レンズにも並々ならぬ関心を持っていただろう。
そのキューブリックが、『バリー・リンドン』(1975)で用いたレンズのF値が【0.7】。これが、ツァイス社製のレンズで、アメリカ航空宇宙局(NASA)が、衛星写真撮影のために特別に作らせたものだという。
そのレンズをキューブリックは映画撮影に用い、ロウソクの炎が発する光だけで俳優たちを浮かび上がらせるシーンを撮影たことはよく語られる話だ。
それでは、F値が小さい=レンズが明るいとどんな表現ができるのか? ひとつは、今も述べたように、暗いところで威力を発揮する。もうひとつは、ごく浅い被写界深度を活かす表現が実現できること。
写真を用いた表現で特徴的なことのひとつが、被写界深度の浅さを利用したボケの表現である。私が所有するプラナー50ミリそして、プラナー85ミリのF値はいずれも【1.4】で、大口径レンズになる。
絞りを開放した状態では、フォーカスの合う厚みはごくごく薄くなる。ということは、フォーカスの合っていない部分はボケて見え、写真を撮らなくても、ファインダーでそうしたボケを含む映像を見ているだけで楽しかった。そういうことで、50ミリのレンズが私のお気に入りだったというわけだ。
そんな、50ミリ愛好者だった私が、デジタルで写真を楽しむようになってから、ようやくほかの焦点距離を持つレンズにも関心を持ち始めた。その1本が【35ミリ】のレンズ。
このレンズをフィルムのカメラでは当たり前で、デジタルの今は35ミリフルサイズといわれる撮像素子に装着し、ファインダーを覗くと、両目で見える範囲に近いことがわかる。それだからか、スナップ写真を得意とする写真家に好んで用いられる焦点距離である。
それに対し、50ミリのレンズは、対象物との距離感が肉眼に近く、だから「標準レンズ」とされているのだと私は理解しているが、ファインダーで見える範囲は、肉眼に比べて狭い。肉眼であるものを注視したときの見え方に近い、かもしれない。
スナップ写真を得意とした写真家として思い出すのが、生前、「スナップの達人」といったいわれ方をされたという日本を代表する写真家の木村伊兵衛(1901~1974)。おそらくは、彼が日常的に使っていたレンズの焦点距離は35ミリだったと思われる。
私が毎月購入するカメラの月刊誌に『アサヒカメラ』がある。その雑誌には毎月、木村伊兵衛が撮影した作品を一点ずつ紹介する「田沼武能が選ぶ木村伊兵衛のこの一枚」というコーナーがある。今発売中の8月号に載っている写真には【148】とナンバーがふられているので【148カ月】。12年4カ月(でいいのかな?)続くコーナーとなる。
木村伊兵衛に師事した田沼氏(1929~)が今月号に選んだのは、終戦から9年目の昭和29(1954)年のおそらく夏、東京駅に近い八重洲の街並みとそこに居合わせた人間を撮した「開発中の東京駅八重洲口」。
終戦から66年経った今、そこにもし空き地を持っていたら、大変な資産になるだろう。しかし、木村伊兵衛の写真に写る57年前の同じ場所は、まだまだ発展が始まったばかり。それでも、当時のほかの地方に比べれば“都会”だったのかもしれないが、現代人の目には、のんびりして見える。
写真の左奥に東京駅があり、その手前の広場で撮影している。地面は小さな石ころが一面に広がっている。建設中のビルが黒々と見える。一番手前に写っているのは中年以降の男性で、頭にはパナマ帽をかぶっている。その男性のうしろを駅方向に歩く夫人が写っている。ノースリーブのシャツを着て、傘を小脇に抱えている。これといって、劇的な一瞬ではなく、誤解を恐れずにいえば、当たり前の日常を当たり前にスナップしただけの一枚のように見えなくもない。
木村伊兵衛がこの写真を撮影するときに使ったのも、おそらく35ミリのレンズであったと思う。スナップ写真の第一人者であるだけに、そこに偶然居合わせた人々にまったくカメラを意識させないうちに撮影を終えている。
その証拠に、一番手前にいるパナマ帽をかぶった男も、カメラにまったく気づいていない。35ミリのレンズをつけ、この大きさで写る位置で構えれば、当然、撮された方は気づく。木村のカメラは、撮す直前まで掌の中にあり、ここぞというタイイングで、カメラを構えるか構えないかのうちに、構図を決め、シャッターを切ったのだろう。
この写真を見て私が意外に感じたのが、一番目立つ男性にピントが合っていないこと。同じような写真を撮ろうとした場合、私であれば手前の男性にフォーカスを合わせてしまうだろう。ただ、そうすると、背景の開発中のビルなどがアウトオブフォーカスになってしまい、焦点が男性に写ってしまうことになる。偶然そこに居合わせた男性に木村は関心がないのに、男性に意味が持たれてしまう。それを木村は嫌ったのだろうか。
どんなものを撮すのであれ、それがスナップ写真であるからには、撮される人や動物にそのことを悟られないようにしないと、自然な表情は撮影できない。だから、私がよく撮影する我が家の愛猫・にゃんこオチビちゃん(=^ω^=)たちも、私がファインダーを覗いて構図を決めたり、フォーカスを合わせるのに手間取っていると、だんだん表情が硬くなる、ように思える。
それだから、できることなら、木村伊兵衛のように、にゃんこたちにカメラを意識させずに撮影したい。最近私がよくやっているのは、たとえばそれがズームレンズでも、焦点距離を35ミリ近辺にし、カメラのファインダーを覗かずににゃんこたちに近づき、カメラを地面や床スレスレの辺りにサッと出し、そのままノーファインダーでシャッターを切ったりする。すると、ファインダーを覗いて時間をかけて撮した写真より、自然な表情のにゃんこたちがそこに写っていたりする。
相手が人間であっても、同じように撮影すると、生き生きとした表情の写真を撮影できる確率が上がるかもしれない。その場合、フルサイズでは35ミリの焦点距離が最も適しているように思え始めた。
もう1本。私が最近になってその面白さに気がついたレンズは、焦点距離85ミリのやや望遠レンズ。私が使っているのはプラナー85ミリ。このレンズも、35ミリのレンズと同じように、50ミリに比べてやや使いづらい印象があった。
それが、今になって、とても表現力を持つレンズであることに気づき、昨日の夕方も、このレンズをつけて庭でにゃんこたちを撮影した。F値は50ミリと同じ【1.4】。だから、絞りを開けて撮影すると被写界深度が狭い。しかも、望遠レンズなので、その傾向がより強まる。だから、手動でフォーカスを合わせるのが極めて難しい。が、撮していて楽しいレンズだ。
この焦点距離のレンズは、ポートレイト撮影によく用いられる。私はにゃんこのポートレイトを撮影した気分になっていたが、次々にシャッターを切り、気がつけば、10分か15分で【75枚】も撮影していた。これがフィルムだったら、36枚撮りフィルム2本分を撮り切ったことになる。デジタルはランニングコストが限りなくゼロに近いので、その点は懐にやさしい。
また、これぐらいの焦点距離で対象物をファインダーに収めようとすると、少し離れなければファインダーに収まりきらない。結局、50ミリなどに比べて遠くから狙うことになり、それが撮される側の圧迫感を軽減し、ポートレイト撮影にも最適となるのだろう。なるほど、このレンズでにゃんこたちを狙うと、50ミリよりも表情がリラックスしているかな?
撮像素子のサイズが、フルサイズに比べて約1.6分の1(キヤノンの場合。ニコンは約1.5分の1)のAPS-Cサイズで50ミリのレンズを使うと、写る範囲が約1.6倍だから80ミリで、フルサイズに85ミリのレンズをつけたのに近いといわれる。
だから、APS-Cに50ミリでは、とても狭苦しく感じたが、フルサイズに85ミリの場合は、ファインダースクリーンそのものが広いこともあり、それほどの圧迫感はない。今度、この組み合わせでどこかへ撮影に行くと楽しめそうな気がする。
レンズを交換できるのが一眼レフカメラの魅力なのだから、「50ミリ1本」などと決めず、そのときどきに合うレンズに付け替えると、表現の幅がぐ~んと広がるだろう。第一、撮影が楽しくなる。ただ、その楽しい気分がそのまま写真の質の向上に直結する、保証は全然ないのだけれど。
本日分の締めは手前味噌になってしまうが、35ミリ・50ミリ・85ミリ・200ミリのラインナップは、基本のラインナップに適うところもあり、これだけでだいたいの対象に対応できる。あとは、手持ちのズームレンズを適宜に活かせばいいので、これ以上、レンズに投資する必要はない、、、といいのだけれど。