朝日新聞・土曜版に、「山田洋次 夢をつくる」というコーナーがあります。「夢をつくる」仕事をする映画監督の山田洋次(1931~)が、自分の人生を振る返るように語るコーナーです。
確か3人の識者が交代で担当するため、三週間に一度登場することになります。他のふたりの識者は、作詞家の松本隆(1949~)と音楽プロデューサー、作詞・作曲・編曲家の亀田誠治(1964~)です。
コーナーは、山田洋次が語るように口語体で書かれています。おそらくは、コーナーを担当する記者が山田の話を聴き、文章にしているのでしょう。
山田といえば映画『男はつらいよ』シリーズ(1969~2019)がよく知られているため、どうしてもそれに関する話題が多くなります。この土曜日(8日)は、本コーナー8回目で、つけられた題は「禁欲的な哲学者だった渥美さん」です。
1969年に1作目の『男はつらいよ』が作られ、それがシリーズ化されて以降、渥美清(1928~1996)は本作の主人公、車寅次郎だけを演じることを貫いています。
渥美清が、自分の私生活を他人に見せることを極端に嫌ったことは、これまでに読んだ文章によって、私もそれとなく知っています。
今回、山田によって語られた渥美も、今回の題にあるように、「禁欲的」で、それが徹底されているため、本コーナーで紹介させてもらうことにします。
『男はつらいよ』の寅次郎は、どんな場面も主人公で、寅次郎が何かしゃべらなければ話が進みません。ところが、撮影所で『男はつらいよ』の撮影をしているときであっても、カメラが回っていなければ、おそらくは他の人の邪魔にならないように、セットの片隅で読書をしたりしていたそうです。
そんな渥美を目にすることがあったら、スクリーンの寅さんとのギャップに驚かされるでしょう。
渥美は「酒は飲まないし、食事はいたって簡単」と山田が語っています。おまけに、人気商売であるにも拘わらず、「身だしなみも一切かまわない」そうです。
続けて書けば、いつも手ぶらで、財布や鞄も持ちません。お金は封筒にお札を入れ、ポケットに収めます。
身だしなみにもかまわないため、驚くことに、背広も持っていなかったそうです。それで困ることがあった、と山田が思い出話を語っています。
1988年度の「毎日芸術賞」で渥美が特別賞を受賞します。授賞式が催されることになりますが、渥美が式に出るのを渋ります。その理由はなんと、背広がないというのです。
宣伝部は大騒ぎになります。困った関係者は、宣伝部の部員が持っていたコーデュロイのジャケットを渥美に着てもらい、式に出てもらって、なんとかその場をしのいだということです。
そんな顛末があっても、おそらく渥美は、「こんなこともあるから、何かのときのために背広の一着でも作っておくか」とはいわなかった(?)だろうと想像します。
俳優やタレントは、少しでも人気が出れば、一般の人との接触を少しでも避けるため、自分で運転するしないは別にして、移動には車を使うでしょう。
この点でも渥美は徹底しています。終生、自家用車を持つことがなかったそうです。したがって、近場の移動は電車です。
仕事場があった代官山駅もよく利用したそうですが、駅の売店のおばさんに渥美は1万円札を預けておいたそうです。その上で、新聞を買うときは、決まっておばさんに「まだお金は残っているかい?」と尋ねた、というのが有名な話なのだそうです。
どうです。なかなか不思議な人でしょう。
『男はつらいよ』の撮影がないときは、都内の演劇や映画を、自分でチケットを買って入場し、一般の観客に混じって片っ端から見て歩いたそうです。
フランシス・フォード・コッポラ監督(1939~)の『ゴッドファーザー』(1972)が日本で公開されたのは1972年7月15日です。
同じ頃、シリーズ第9作目の『男はつらいよ 柴又慕情』(1972)が上映されました。寅次郎が恋に落ちるマドンナ役は吉永小百合(1945~)です。
日本の”モンキー”映画が『ゴッドファーザー』の興行成績を抜きやがった、いや、抜いたことが米国で話題になったそうです。
今の日本のマスメディアは、『男はつらいよ』を批判的に取り上げることがほとんどありません。個人的には、神格化され過ぎているように感じますが。
山田によれば、当時は、日本のマスメディアでも、『男はつらいよ』シリーズを、やれマンネリだ、人物にリアリティがないなどとバッシングする者もあり、酷いのになると、「寅さんというのは性的不能者か」とからかい半分で書く者まであったそうです。
私自身、若い頃は本シリーズを見ることはせず、冷ややかな目で見ていました。BSでシリーズ全作品が放送されることがあり、それを録画して見るようになってからです、私が本シリーズを理解したのは、
北海道でロケをする合間、白樺林を山田が渥美とふたりで歩きながら、山田がシリーズを批判をする声があることに愚痴をこぼしたところ、話を聴いていた渥美が、穏やかな声で次のようなことをもらします。
人間というのは、その人が自信をもっているときは彼がどんなに謙虚であろうと努力しても、傍(はた)からはちょっと傲慢に見えたりするものなんですよ。
そのように語る渥美が、山田には哲学者のように見え、今回の題へとつながっているというわけです。
渥美が68歳でこの世を去ったのは1996年8月4日。今年で26年になります。68歳というのはまだ若く、80歳ぐらいまで生きても不思議ではありません。
年老いても寅さんを演じたとすれば、どんな寅さんになっていたでしょうか。山田は、枯れた寅さん像を作りだしたかもしれません。
身だしなみには一切かまわなかった普段の渥美でしたが、撮影が始まるとなると、高級美容室へ行ったそうです。足の爪をペディキュアで綺麗にしてもらうためです。
寅さんは、寒い冬も、裸足で雪駄(せった)を履いています。画面に大きく映ることがあるかもしれない自分の足の指が汚れていちゃあ、見てもらう観客の皆さんに申し訳ない、との気持ちの表れのようです。
ペディキュアが終えたとき、椅子からさっと立ち上がり、ポケットからお札の入った封筒を出し、丁寧にお礼をいいながら料金を払う渥美の姿が浮かびます。
今度『男はつらいよ』を見る時は、渥美の足の指に注目してみましょうかね。