私は昨日、半年以上前に録画してあった映画を見ました。心温まるハッピーエンドで、画面に向かって「ブラボー!」と叫びたくなりました。
私が見たのは、米国のミュージカル作品『足ながおじさん』(1955)です。
米国の児童文学作品の『あしながおじさん』(1912)を原作とする作品ですが、私はこれまで、原作は読んだことがなく、映画も今回初めて見ました。
これがNHK BSプレミアムで放送されたのは昨年の3月15日です。この日を含めた3日間は、フレッド・アステア(1899~1987)が主演したミュージカル作品が放送されました。
しかも珍しいことに、いつもなら映画なんて放送しない午前9時から3日連続の放送でした。興味を持った私は、あとで見ようと、3作品とも録画しました。
2日目と3日目に放送されたアステア作品は次の2作品です。
アステアが主演した作品としては、『トップ・ハット』(1935)を、レーザーディスク(LD)で持っていたはずです。あとで確認し、時間があったら見ることにしましょう。
アステアが生まれたのは1899年です。同じ頃に日本で生まれた人といえば、江戸川乱歩が1894年で宮沢賢治が1896年です。
アステアの生年が1899年であるため、作品が公開されたことがわかれば、アステアが何歳の時に作られた作品かがすぐわかります。
今回の『足ながおじさん』は1955年ですから、アステア56歳のときの作品であることがわかる、という具合にです。
56歳の男性はたしかに「おじさん」ですが、平均寿命が延びた現代は、本作が作られた67年前よりも、若い印象の「おじさん」になりましょうか。もちろん、歳のとりかたは人それぞれではありますが。
江戸川乱歩は、30歳の頃には頭が薄かったそうですし。
原作の『あしながおじさん』は、会ったことがない資産家の「あしながおじさん」に、援助を受ける少女が手紙を書く形式で構成されているそうです。
原作を読んだことのある人が本作を見ると、印象が異なるかもしれません。
アステアが演じるのは、34の企業を傘下に持つ大財閥の三代目のジャーヴィス・ペンドルトン三世(以下、彼のことは「ジャーヴィス」と書きます)です。これといって仕事はせず、一階に現代美術を飾った私設の美術館を備える豪邸で自由気ままな独身生活をしています。
ジャーヴィスがレコードを大きな音で鳴らし、それと一緒に、自慢のドラムセットで”協奏”をしています。頭が禿げた秘書のグリッグスは、かかってくる電話の応対に追われますが、ジャーヴィスは意に介しません。
ある電話は国務省からで、翌日に出発するフランスへの経済使節団に同行してくれるかどうかの問い合わせでした。
グリッグスの説得で、ようやく、それに同行することが決まります。
フランスに着いたジャーヴィスがグリッグスと車でパリを目指すと、片田舎の農道で、干し草を満載した荷車を牽く馬車と鉢合わせします。
車が道を譲り、ぬかるみにはまって立ち往生です。
車を何人もで後ろから押してぬかるみから出そうとすると、泥水が彼らにかかり、泥だけになります。このあたりはユーモラスに描いています。
ジャーヴィスはひとりで車を離れ、農家でも見つかれば、そこから大使館へでも電話をかけるつもりでした。
ジャーヴィスが見つけたのは孤児院です。中に招き入れられたジャーヴィスは、電話を貸して欲しいといいますが、必要ないので電話はないといわれます。
所在なく窓辺に座り、庭を見ると、小さな子供たちがいます。訊けば、皆身寄りのない孤児です。その中に、年嵩の少女がいて、年少の子供たちに、絵描き歌で文字を教えたりしています。
ジャーヴィスは一目で18歳の少女・ジュリーを気に入ってしまいます。ジュリーは公爵の娘でしたが、家族を失い、孤児院で育ったのです。
近くの農家にたまたまあったやっと走る車をジャーヴィスが運転し、秘書のグリッグスを助手席に乗せて米国大使館までどうにか着きます。
車にはブレーキがなく、大使の車に追突して停まります。車は精魂尽き果てたかのように、車体はドンと沈み、ドアや部品がバラバラと落ちます。コミカルな味付けが愉快です。
ジャーヴィスは米国大使館で、ジュリーを養女にしたいというと、年齢的に勘違いされ、問題になるといわれます。それで結局、彼女を財団の女子大へ入学させ、資金を援助するだけをすることになります。自分の正体を隠したまま。
ジュリーは小柄で、はつらつとした女性です。
演じたのはレスリー・キャロン(1931~)。フランス人の父と米国人の母を持ちフランスで生まれています。バレエを学んだために踊りが踊れ、フランス語と英語をしゃべれる彼女は、本作でジュリーを演じるのにはうってつけといえましょう。
彼女が生まれたのが1931年ですから、24歳のときに、18歳から大学卒業の年までの4年間を演じたことになります。
本作では、「足ながおじさん」のジャーヴィスを思い描くジュリーの想像を映像にしたりします。
アカデミー賞では、美術監督賞を受賞していますね。横長のシネマスコープで、色彩も華やかに仕上がっています。
もちろんのこと、アステアとキャメロンが巧みなダンスと歌を披露し、楽しませてくれます
台詞も音楽も衣装もセットもどれも優れています。同じような作品を日本では決して作ることができないでしょう。孤児院出身の少女を日本の作品で描いたら、おそらく必ず、湿っぽく描くでしょう。少女に涙を流させたりして。
本作では湿っぽいシーンがひとつもありません。底抜けに明るいです。ショービジネスの本質を知らない日本では、本作のような作品はほぼ絶望的です。
本作について書かれたネットの事典・ウィキペディアを読むと、撮影中に、アステアが愛妻を亡くしたそうです。
映画を離れたアステアはシャイな紳士で、社交界で派手に遊ぶこともしなかったそうです。結婚したのも34歳で、ハリウッドの人気俳優にありがちな、離婚・結婚を繰り返すこともなく、亡くなるまで愛妻ひとすじです。
私は、それが芸能人であっても、真面目な人が好きです。少し前の本コーナーで取り上げた植木等(1926~2007)にしても、所ジョージ(1955~)にしても、とても真面目な人です。
植木も所も浮いた話はありません。
家族にとっては、華やかな世界で働く夫や妻であっても、家族を大切にする人が一番です。
撮影中に愛妻に死なれ、途中で降板も考えたようですが、周囲に励まされて完成まで演じています。本作を見る限り、撮影の裏でそんなことが起きていたことなど微塵も感じさせません。
アステアは、妻を亡くしたあと独身を通し、81歳になって、35歳の女性騎士と結婚しました。歳の差があったことから反対されたようですが、アステアが88歳で亡くなるまで、二度目の妻と幸せに暮らしたそうです。
本作では、18歳の少女に恋心を抱く大富豪を演じたアステアですが、実生活でも、歳が離れた女性と巡り合い、それを成就したのですから見事というよりほかありません。
アステアの演技には誠実さが現れています。嫌らしい雰囲気がまったくありません。唯一のキスシーンが、エンドマーク直前にあるだけです。
ジュリーを演じたレスリー・キャロンは、本作の撮影の前年に離婚し、翌年に再婚をしていますね。本作の撮影中は、過去を清算し、未来に向かって希望を募らせていたといえましょうか。
作をご覧になったら、終わった瞬間に、あなたも「ブラボー!」と叫びたくなること請け合いです。