夢を実現する方法

小学生が将来就きたい職業のランキングの上位がマスメディアで定期的に発表されます。そのトップ10に小説家が入ることはない(?)ように記憶します。

小学生の中にも、小説家志望の児童はいるでしょう。しかし、小学生でも、少しは「現実的」に考え、自分にはなれないと考え、志望する職業から外したりこともあるかもしれませんね。

小説家は、学校の成績が良いだけではなれません。小説家になるための学校はあるかもしれませんが、そこを卒業した人が必ずなれる保証もありません。

また、晴れて小説家になれたとしても、コンスタントに優れた小説を書ける人ばかりではありません。

どんな職種でも同じでしょうが、その世界で成功できる人は限られます。

急に思いついたように、「小説家になろう」と決めて小説家になり、その道で成功した人がいます。本コーナーで前回取り上げた小説家の宮本輝1947~)がその人です。

宮本が小説家になろうと決めたときのエピソードは、知る人ぞ知ることです。私もこれまでに、新聞などに載っていたものを二、三度読みました。

そのときのことが、前回紹介した宮本の随筆集『いのちの姿 完全版』2017)に、これまでに読んだ中で一番詳しく書かれています。

宮本が小説家になろうと決意したのは、宮本が27歳の年です。

宮本は一浪して大学に入学し、4年で卒業しましたので、23歳で就職しています。ということは、会社で働き始めた1年後の5月、得体の知れない精神的発作症状に悩まされることが始まったことになります。

医学的なことはまったくわからない素人の私がこんなことを書いても宮本は絶対に受け入れないでしょうが、社会人になってからその症状が現れたことを考えれば、仕事に馴染めないか何かで、精神のバランスが崩れて起きたことのように私には思えます。

それが、宮本の場合は強烈だったといえましょう。今では同じような症状を「パニック障害」に分類します。

それが初めて宮本に起こった日(1971)は日曜日で、宮本は会社の同僚と京都競馬場へ行くため、ひとりで京阪電車(京阪電気鉄道)に乗っていました。

その4、5日前から、宮本は何となく体調がすぐれなかったそうです。

電車に乗っていた宮本は、異変に襲われます。得体のしれない恐怖心が沸き起こり、自分の体が地の底に沈むような心持になったのです。

生まれて初めての発作が電車に乗っているときだったため、それ以後、電車に乗るのを恐れるようになります。それは「予期不安」というもので、電車に乗るのが怖くなりました。

私はそのような不安を感じたことはありませんが、当人にとっては耐え難いことだったでしょう。しかも、他人に説明してもわかってもらえません。

病院へ行っても、これといって異常はないとされ、解決の方法がありません。

宮本の発作は、電車に限らず、会社での会議や得意先回り、デパートや地下街、エレベーターの中など、あらゆるところで起きるようになってしまいます。

こうなっては、会社勤めもままなくなります。

それでも、はじめの発作から2年は耐えたことになります。

宮本が27歳になった年の5月、人生の重大な転機のきっかけが訪れます。

宮本はその日、得意先回りが終わって外へ出てみると、大粒の雨が降っていました。傘を持っていなかった宮本は、雨宿りのために地下街へ降ります。

雨がすぐに止む気配がなく、書店に入ります。目の前には書棚があり、気が進まないまま、一冊の文芸雑誌を手に取り、ページを開きます。

その雑誌は、純文学の小説が掲載される有名な文芸誌です。宮本が高校生の頃に二、三度読んだことがあったものの、面白くは感じられず、自分とは無縁なものと考えていました。

その雑誌の巻頭を飾っていたのは、四百字詰め原稿用紙で三、四十枚の短編小説です。それを書いた小説家は、たいていの人が名前を知っているような人で、その作家が書いた最新作でした。

私 は 書店 の 通路 に 立っ た まま 読み 終え て、 自分 なら これら の 百 倍 おもしろい 小説 を 一晩 で 書ける と 思い ながら、 その 文芸 誌 を 本棚 に 戻し た。 その 瞬間、 私 は、 小説家 に なろ う と 決め た の だ。 小説家 に なっ たら、 電車 に 乗ら なく ても 済む。 毎日、 家 で 仕事 が できる。 人混み を 歩か なく ても いい。 もう これ 以外 に、 私 が 妻子 を 養っ て 生き て いく 道 は ない、 と。

宮本輝. いのちの姿 完全版 (集英社文庫) (p.56). 株式会社 集英社. Kindle 版.

宮本にそう感じさせた短編小説が誰によって書かれたのか、私には未だに見当がつきません。突き止めようとしていますが、そのうちにわかるかもしれません。

宮本にこのように書かれた当人は自分のことだとわかっているかもしれず、宮本にはよい感情は持てないでいるでしょう。

そのときは、そのように考えた宮本でしたが、実際に書いてみると、思っていたほど簡単に書くことはできませんでした。また、書いた小説を応募するも、新人賞の一次予選も通過しなかったということです。

普通の人であればこのあたりで、自分の根拠のない自信はただのうぬぼれだった、と脱落しかねないところです。

その当時、宮本には妻と幼い子供がいましたが、宮本と妻は、宮本が小説家になることを決して疑わなかったそうです。宮本自身、当時を振り返り、「いったい何を根拠とした確信だったのか、いまとなってはよくわからない」と書いています。

宮本が人生のときどきに起こった出来事について書いた随筆を読むと、「確信」を持つ瞬間がときどきにあるのがわかります。しかも、その確信は、実現化するのです。

1982年の秋、宮本は、朝日新聞に連載する小説の取材のため、ドナウ河に沿った東西欧州を旅しています。その取材をした年の3年後にソ連が崩壊しますが、当時はその兆しもなく、東欧と西欧の間には、厚く高い壁がそびえていました。

海外に出るのが初めてだった宮本が、ひとりだけで旅をしたのなら、随筆にあるような、大胆な行動は採れなかっただろうと私は感じました。

そのときは、小説を連載することを前提にした取材旅行で、おそらくは朝日新聞の責任者ほか、2名が宮本に同行したようです。

一行の旅が進み、彼らは今のセルビアのネゴティンという町にあるバスターミナルに辿り着きます。次に目指すのはブルガリアヴィディンです。

そのとき、通訳がいなくなり、言葉が通じなくなります。仕方がないので、身振りなどで意思疎通をはかったようです。

その結果わかったことは、ヴィディンへ直通するバスがそこからは出ていないことです。それならば、一旦、ベオグラードまでバスで戻らなければなりません。しかも、一時間後に出るバスに乗らなければ、その街で足止めを食ってしまうことになります。

バスの発車時間が迫り、宮本以外の3人は焦ります。一方、宮本は、3人を尻目に、落ち着いています。

「いや、 車 で ヴィディン まで 運ん で やろ う っていう 人 が きっと あらわれる。 俺 は それ まで ここ で 待つ。 今 夜中 に 絶対 に ヴィディン に 行っ て みせる」

宮本輝. いのちの姿 完全版 (集英社文庫) (p.101). 株式会社 集英社. Kindle 版.

ベオグラード行きのバスも出発してしまい、ほかの3人は途方に暮れるばかりです。

宮本たち4人は、生まれて初めて出会った日本人を見物する現地の人たちに囲まれます。わざわざ隣村からやって来た人もいただろう、と宮本はおもしろおかしく書いています。

どれぐらい時間が経った頃か、宮本に近寄り、肩を叩く者が現れました。

宮本が振り向いた先に立っていたのは、三十代後半の男です。古びたジャケットを着ています。垂れ目を持つ男は遠慮がちに、車のハンドルを動かすような仕草をして、「ヴィディン」と囁きました。

米ドルで2,000ドルくれたら、自分が運転する車でヴィディンまで乗せて行っていい、ということらしいです。

宮本は、1,500ドルにまけろと交渉しますが、男は2,000ドルでなければ駄目だと譲らず、折れて、2,000ドルで乗せてもらうことに決めます。

当地では、2,000ドルは年収に相当する金額だろう、と宮本が想像で書いていたように記憶します。

宮本に同行する3人のひとりの責任者は、素性がわからない人間の車に乗るのは危険すぎる、と猛反対します。

考えようによっては、男は自分たちを騙し、金品を奪われかねない。もしかしたら、それより酷いことが待っているかもしれない、と。

宮本は楽観的に考え、この車で国境を超え、目的地を目指そう、と譲りません。

車を飛ばして最短距離を行くのはいいとしても、国境の検問所を無事通過できるかは、行ってみなければわかりません。悪いことに、宮本らは、入国ビザを持っていません。

入国ビザなら米ドルで買うこともできる、という怪しげな情報も得ていましたが、たまたま対応する国境警備兵が、それに応じてくれるかどうかは出たとこ勝負です。

こんな風に、宮本は大胆不敵に振る舞ったことを自慢の武勇伝のように書いています。しかも、言葉がわからない向こうの人間の言葉を、想像で、関西弁にして、おもしろおかしく。

しかし、すでに指摘したように、宮本がたった独りでこの道中を旅行していたなら、絶対にこんな行動は採れなかっただろう、と私は想像しながら読みました。

小心者ほど、武勇伝にしたがるものです。

案ずるより産むがやすしで、国境の検問も無事に通過し、最短ルートで目的地のヴィディンに到着できたのでした。

  私 は、 いま でも あの ネゴティン での 何 の 根拠 も ない 確信 が、 どこ から 生じ た のかと 考える こと が ある。 無謀 と いえ ば じつに 無謀 では あっ た し、 危険 を 伴う 賭け でも あっ た。

  しかし、 私 には 絶対的 な 確信 が あっ た の だ。 確信 という 心 の 力 が、 あの 垂れ 目 の 男 を 呼び出し た の だ と 思っ て いる。 目 に 見え ない もの を 確信 する こと によって 現実 に 生じる 現象 という もの を、 私 は 信じ られる よう に なっ て い た の だ。

宮本輝. いのちの姿 完全版 (集英社文庫) (pp.105-106). 株式会社 集英社. Kindle 版.

このあたりのことは、勝てば官軍負ければ賊軍というように、望み通り小説家になり、結果を残した人間だからこそ吐けることといえましょう。

それは別にして、宮本が書くように、目に見えないものを強烈に確信することができれば、それは必ずや現実になる、というのは、結果的には自分には起こらなくても、希望を掴むための呪文のように思われます。

結局のところ、古今東西、成功を掴むのは、誰よりも自分の可能性を信じ続けることができた人間だけ、となりそうです。

実現するまで諦めなければ、どんなことも実現するもの(?)、でしょうか?

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