『屋根裏の散歩者』という小説はご存知でしょうか。知っている人であれば、今更説明するまでもありません。
江戸川乱歩(1894~1965)が書いた短編小説です。乱歩を良く知らない人でも、乱歩の代表作として本作を思い浮かべるかもしれません。しかし、乱歩が本作を書いたのは大正14年です。乱歩はこの年に満で31歳になりますが、まだ、これといった職業を持たない生活をしていました。
自分が小説だけを書いて食べていけるとは考えておらず、本作が『新青年』(1920~1950)で活字になっても、まだ、決心がつかずにいたのでした。
私は昔からなぜか乱歩の世界に惹かれていました。といいますか、乱歩が本腰を入れて書いた時期の作品よりも、小説家になる決心がつかない『屋根裏の散歩者』や『人間椅子』(1925)に惹かれ、それこそが乱歩作品だと思っていました。
それが、あながち間違ってもいないとは思いますが。
そんなこともあり、『屋根裏の散歩者』が春陽堂(1878~)から復刻されると、それを手に入れることもしています。
乱歩にそれほどの興味を持たない人でも知っているかもしれない『屋根裏の散歩者』ですが、本作を知ってはいても、話のラストがどう描かれているかを憶えていない人がいるかもしれません。
私自身、ラストはどんなだったかぁ、と頭をぼんやりさせました。
そんなおり、確認するチャンスが訪れました。前々回の本コーナーで取り上げた、Amazonのオーディオブック、Audible(オーディブル)を今利用しているからです。
そのうちにまた、無料で提供されることがある(?)と思いますので、残りは、そのときに続きを楽しむことにしましょう。
本作は、Amazonの電子書籍、Kindle版で持っている江戸川乱歩の全集に収録されていますので、それを読み返せば事足ります。しかし、どうせなら、とオーディブルで確認することを思い立ち、実行しました。
作品を誰かに読んでもらっている感覚で、乱歩の『屋根裏の散歩者』の世界に浸りました。
主人公は郷田三郎です。物語を書く作者の多くがそうであるように、郷田三郎にも、作者の乱歩自身が乗り移っているように感じられます。
はじめの方で書いたように、本作を執筆した当時、乱歩は宙ぶらりんの状態にありました。作中の三郎も同じで、せっかく就いた仕事が長続きせず、現実の世界に飽き飽きとしていました。
引っ越し魔の乱歩に似た三郎も、住むところを変えることが多く、新しく住み始めた下宿屋は、新築されたばかりでした。
これといった楽しみを持たない三郎は、ほんの出来心から、天井裏に興味が向かいます。それから以後のことを想像すると、本作に接したことがない人は、隠微な世界が描かれていると想像されるかもしれません。
しかし、意外なほど、そうした方面に外れることはありません。乱歩自身、三郎もその方面に興味が向かったことを匂わせつつ、話の筋とは関係ないから、とそれについては書いていません。
本作は全部で8章まであります。それを今回は、専門家ら朗読してくれたオーディオブックとして楽しんだのです。地の文は女性が、そして、登場人物(すべて男性)は男性のナレーターが読んでくれています。
短編小説といっても、聴き始めてすぐに終わるわけではありません。オーディブル版では、各章の再生時間が次のようになっています。
- (一)14:33
- (二)11:53
- (三)16:44
- (四)11:59
- (五)12:49
- (六)14:17
- (七)15:38
- (八)13:26
合計で1時間50数分です。ちょっとした映画を見るのと変わらない時間です。耳から楽しむとはいえ、それ相当の忍耐力はいります。
聴き始めるまで、重要な登場人物がいたことも忘れていました。ですので、ラストがどうであったかも思い出せなかったはずです。
オーディブル版『屋根裏の散歩者』がそれなりに楽しめたので、今度は、同時期に書かれた『人間椅子』を耳で楽しむことを始めました。こちらはラストを記憶しています。
ほぼすべてが家具職人の独白ですので、聴き始めたばかりですが、そこまでは男性のナレーターが朗読してくれています。
乱歩は、自分には師匠がいないと随筆に書き、実際、そうでしたが、誰に習ったわけではないのに、読みやすい、聴きやすい文章にしています。これは持って生まれた天分で、知らず知らずのうちに、あるべきところへ導かれていったといえましょう。
職業作家になってからも、乱歩は自作に自信が持てず、世間から姿を消して、放浪の旅をしています。
自作と自身に自信を持てるようになったのは、先の大戦が終わってからで、乱歩は50歳になっていました。