この日曜日、音楽配信サービスのSpotifyで、それと知らずにある映画のサウンドトラック盤を再生しました。聴いたことがあると感じ、確認すると、『男と女 人生最良の日々』(2019)というフランス映画でした。
それについて本コーナーの投稿をしたあと、作品をAmaonのPrime Videoのレンタル(399円)を利用して見ました。一度再生させると48時間でレンタル権利がなくなるため、昨日、もう一度見ました。
そのあと、本作の基になった世界的なヒット作『男と女』(1966)を見ました。
有名な作品がNHKBSプレミアムで放送になれば、ほとんど録画してあるはずです。確認すると、2018年9月10日に「プライムシネマ」で放送した分が録画されていました。
見始めると、過去に見た記憶が蘇りました。監督はクロード・ルルーシュ(1937~)で、主演は、ジャン=ルイを演じた男優、ジャン=ルイ・トランティニャン(1930~)と、アンヌを演じた女優、アヌーク・エーメ(1932~)です。
ジャン=ルイはテストドライバーで、カーレースやラリーにも出場するカーレーサーですから、車がこの作品の必須アイテムです。それを主演のジャン=ルイ・トランティニャンが巧みに操ります。スタントマンは使っていません。
スタントマンといえば、相手役のアンヌの夫は映画のスタントマンでしたが、ジャン=ルイと出会ったときはすでに、撮影中の事故で亡くなっています。
ジャン=ルイは、テストコースやサーキット、ラリーコースを猛スピードで走るシーンも本人がハンドルを握っています。
ネットの事典ウィキペディアで確認すると、彼の叔父がF1ドライバーのモーリス・トランティニャン(1917~2005)だったとあります。そして、彼自身もレーサーとして知られるとあり、納得しました。
監督のクロード・ルルーシュ(1937~)は、1950年代末にフランスで起こったヌーヴェルヴァーグの影響を受けた監督といえましょう。『男と女』にはそれが色濃く現れています。
撮影はカラーばかりでなく、モノクロやセピアカラーのカットが含まれています。ジャン=ルイとアンヌが出会うのは夜の遅い時間で、そこにある灯りだけで撮影されたと思われる映像はほとんどモノクロで、暗く沈んでいます。
ヌーヴェルヴァーグの監督、フランソワ・トリュフォー(1932~1984)の作品に『アメリカの夜』(1973)があります。その頃私は、主演した女優のジャクリーン・ビセット(1944~)が好きだったので、劇場で見ました。
この作品の原題”La Nuit américaine”は「疑似夜景」で、レンズにフィルターを使うなどして、昼光で夜景のように撮影する技法を指します。
私は昔、趣味で8ミリ映画を撮りました。使用するフィルムには昼光用のデイライトタイプと、人工光用のタングステンタイプがありました。それぞれ色温度が異なるため、逆の条件で使うと正しい色で撮影できません。
それを逆手に取り、タングステンタイプのフィルムで日中撮影すると、青みが強く撮影されます。おそらくはそうした効果も擬似夜景の撮影では利用したでしょう。
ルルーシュが監督した『男と女』では疑似夜景の撮影方法を採らず、また、特別の照明もあてなかったため、暗い夜景が暗く写っています。
おそらくは小型のムービーカメラを手持ちで撮影するようなこともしているはずです。
たとえば、ジャン=ルイがアンヌを抱き上げるシーンがたしか2回ありますが、いずれの場合も、二人の周りをカメラを持ってぐるぐると3回ぐらい回って撮影しています。印象に残るシーンです。
それまでの商業映画ではほとんど見られなかった撮影スタイルで、それが、劇映画でありながら、ドキュメンタリーの味わいを持ちます。
ジャン=ルイは息子のアントワーヌ(5、6歳ぐらいかな?)を男手一人で育てるシングルファーザーで、アンヌも娘のフランソワーズ(アントワーヌと同い年の設定かな?)を一人で育てるシングルマザーです。
アンヌは映画の撮影所でスクリプターの仕事をするため、娘を寄宿舎に預け、週末に娘に会いに行きます。ジャン=ルイも同じで、息子や娘と過ごして別れる夜に偶然出会うのです。
『男と女』は恋愛映画ですが、全体の雰囲気は明るくありません。ジャン=ルイはカーレーサーであることが影響しているのか、口数が多くなく、笑顔もあまり見せません。アンヌも黙ると冷たい感じです。
助手席にアンヌを乗せて走るシーンがたびたび登場しますが、二人が話で盛り上がることはありません。
この作品で個人的に印象的だったのは、二人がそれぞれの子供を連れて、個室になったレストランで食事をするシーンです。
このシーンの撮影はヌーヴェル・ヴァーグらしい撮り方に思われます。それぞれの台詞は、その場のアドリブのように自然です。ジャン=ルイの息子はしゃべるのが好きで、将来の夢を訊かれて、消防士と答えたりします。
小さな子供にあれだけの台詞を憶えさせ、自然に演技させたとは思えませんので、ルルーシュ監督が4人に自然に振る舞うように指示を出し、自然な雰囲気をそのまま撮影した(?)のではないかと考えます。
子供達の話を聴いて見せるジャン=ルイの笑顔が自然です。
食事のあとは浜辺を散歩し、小型漁船のような船で海へ出たりします。いずれの場面も台詞はなく、家族のプライベートフィルムのカットを見ているようです。
商業映画は、どんな場面も台詞を使って表現しようとしますが、その手法では表せないことがあります。その枠を離れて撮影された『男と女』は、映画表現の可能性を示してくれています。
映画のラストはどんでん返しで、ハッピーエンドを予感させて終わります。
この映画が公開されたのは1966年です。昨日の朝日新聞にビートルズを取り上げた記事がありました。やや、神格化し過ぎているように感じますが、その彼らは、1966年6月に来日し、日本武道館で公演しています。記事の年譜には、武道館の使用を巡る反対運動があったことを記されていました。
この映画の53年後、フランスで『男と女 人生最良の日々』が公開されています。主演の二人ばかりか、彼らの息子と娘を演じた二人が、50数年後の自分たちを演じています。
息子のアントワーヌは消防士にはならず、IT関係の仕事をするようです。すっかりおじさんになっています。父親譲りで車の趣味を持つようで、ブルーのスポーツカーで、アンヌのいる家を訪ねてきます。
1階が小さな店で、2階が住居です。同じ土地に娘のフランソワーズが娘と暮らしています。フランソワーズは獣医をしています。
ルルーシュ監督は、監督業でキャリアを積み、商業映画のような撮り方で『男と女 人生最良の日々』を撮っています。カメラは固定され、オールカラーです。唯一、ラスト近く、早朝のパリを猛スピードで走る車から撮影された映像は、セピアカラーです。いつ撮影された映像か知りませんが、昔のパリのように見えます。
アントワーヌはアンヌを訪ねたのは、父のジャン=ルイに会って欲しいことを頼むためでした。ジャン=ルイは老人ホームに入り、現実と夢の境があやふやになっているようです。
そのあと、アンヌが老人ホームへ行き、50年ぶりぐらいにジャン=ルイに再会します。
ジャン=ルイは自分が入れられた老人ホームを「最悪の中のベスト」として馴染めず、天気の良い日は、芝生のある庭に置かれたソファーで昔の自分を回想します。いつの間にか眠り、夢には生涯の恋人、アンヌが現れます。
アンヌが夢見るジャン=ルイに近づき、「ここに座ってもいいですか?」と訊いてからそばのソファーに腰を下ろします。ジャン=ルイはアンヌと気づかず、「新入りさんかい?」と声をかけます。
ジャン=ルイを演じたトランティニャンは1930年生まれですので、今年で90歳です。アンヌは2歳年下ですから88です。撮影されたのは2、3年前としてもかなりの高齢です。
さすがに、『男と女』を演じた頃の面影は遠くなっています。トランティニャンは薄くなった髪を隠すように、外のシーンではカウボーイハットのような帽子をかぶっています。
顔には深いシワが刻まれ、眼のフチが赤く、鶏の眼のように見えます。実際にそうなのかどうか知りませんが、移動は車椅子です。一方のアンヌを演じたアヌーク・エーメも年は争えません。それでも、年の差2歳以上に彼女が若く見えます。足腰もまだ丈夫のようで、車の運転ができます。撮影のときに、本当に彼女がハンドルを握ったのかどうかはわかりませんが。
およそ50年の歳月が確認できる2本の作品を見比べ、人間は、年を重ねることで、見た目の個人差が縮小するのを感じました。どんな美男や美女も、年を重ねれば見た目が「平均値」に近づくようです。
考えてみれば、生まれたばかりの赤ん坊には、成人後ほど見た目が違いません。それが、成長するにつれて個人差が大きくなります。人間の美しさが頂点を迎えるのは20歳前後でしょうか。
昔、「女性の肌は25歳が曲がり角」といったいわれ方がありました。その考えは今も生きているかもしれません。この間ネットにあった記事では、独身女性は25歳ぐらいになると結婚を焦り始める、とありました。
深層心理に、身体的な衰えが始まる前に、自分の伴侶を得たいという思いがあるからかもしれません。
歳を重ねることを好意的に捉え、有名人に高齢者の愉しみを語らせることがあります。それは本当のことかもしれません。しかし、見た目に関しては、老年に近づくほど、若さは失われ、「平均値」へ向かいます。
老人が平均に近づくことは、器量が良くないことを自覚する人には救いに感じられる(?)でしょう。
映画の初めの方で、老人ホームにいるジャン=ルイを、ほかの大勢の老人と同じフレームに入れて撮影したショットがあります。素人の老人の顔が並び、その中に、かつて『男と女』で主演したトランティニャンがいても、特別目立っては見えません。
かつて愛し合った二人が、その後別々の人生を歩み、50年の時を経て再会したとき、二人の胸に去来する思いは何でしょうか。二人で過ごせたら、50年相手と同じ空気を吸って過ごせました。
昨日の産経新聞にあった人生相談に、夫婦関係を尋ねるものがありました。質問したのは50歳前後の女性です。質問には、夫のことは好きであるものの、夫から肉体関係を迫られても、それに応じる気になれない。どうすればいいか、という相談です。
回答するのは漫画家の柴門ふみ(1957~)です。回答内容は特別目新しいことではありませんでしたが、回答の中にあった話を読み、へえ、そうなのかと思いました。
柴門によると、「性行為なしで添い寝だけしてれる男性が欲しい」という独身女性が少なくないそうです。柴門はそんな女性に理解を示しつつ、「どんなにイケメンでも初対面の男性と添い寝だと緊張するだけで孤独は癒やされないと思う」の自分の考えを添えています。
男と女が結婚し、そのまま何十年も一緒に生活したからといって、夫婦生活がその年月の間ずっと続くものではないでしょう。それぞれの夫婦で異なりますから、一概にはいえませんが。
それでも一緒に長い年月を過ごせば、ときには喧嘩もし、冷却関係になることもあるでしょう。同じくらい楽しい時間もあり、人生の時を二人で過ごしたという思いは、夫婦だけにしか感じられないものでしょう。
そんな時を過ごすことができなかったジャン=ルイとアンヌは、空白の時間が長すぎて、取り返しのつかない人生の時間に絶望する感情も持ったかもしれません。
これを書きながらある恋愛映画を思い出しました。中年になったロバート・デ・ニーロ(1943~)とメリル・ストリープ(1949~)が共演した『恋におちて』(1984)です。二人は互いに連れ合いを持つ身でありながら恋に落ちます。
音楽はデイヴ・グルーシン(1934~)で、NHK-FMのリクエスト番組「サンセットパーク」(~2011.3.25)にリクエストし、採用してもらっています。
そのラスト。別れた二人が1年後のクリスマスの夜、思い出の書店でバッタリ再会します。気まずそうな会話だけで二人は別れます。
そこで別れてしまったら、二人が再び交わることはないだろうと、やきもきしながら見ていると、デ・ニーロが演じる男は、ニューヨークの街中を走り、メリル・ストリープが乗った発車寸前の電車に飛び乗るのでした。
この映画の公開から今年で36年です。この続編を作ったらどんな内容になるでしょうね。
『男と女 人生最良の日々』のレンタル期間は今日の午後0時30分まで残っています。これを投稿したら、もう一度見ることをしましょうか。