本日も、本コーナーは思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて更新をしています。いつもは前日の夜にトークだけを行い、文章に書き起こすのは翌日に行ったりしますが、今回は今朝、雨の音を聞きながらトークをし、雨が止んでから文章に書き起こしています。
本日分の内容につきましては、音声ファイルでご確認下さい。で、そうされない場合は、下にトークを要約して書き起こしていますので、それをお読みになって、トークのだいたいの流れをご想像下さい。
なお、音声ファイルはmp3方式にて紹介しています。再生箇所は前後に自由に移動させることができる、と思いますので、下の書き起こしで見当をつけ、聴いてみたい部分だけを“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(^ー^)ノ
トークを要約した書き起こし
今回は話慣れた夜を離れ、朝に始めている。人間も地球上にいる生きもののひとつで、自然の中で生きている以上、気象状況が心理に微妙な影響を与えずにはおかないだろう。
今朝の関東南部は、昨夜の途中から降り出した雨が降り続いている。そんな雨音を聞くうち、私の心理も気象の影響を受け始めたのか、トークをしたい気分が沸き起こり、マイクに向かってトークを始めた。
関東に雨を降らせている低気圧が暖かな空気を運んできたため、朝から寒くない。というか、暖かい。だから、私は靴下を脱いで、裸足でトークをしている。
始めた時刻が午前5時半過ぎということで、私は朝は朝で決まったスケジュールで過ごしているため、途中で一度中断し、その続きは朝のスケジュールが一通り済んだあとになる。普通は、話を途中で止めたりすると、また元の調子に戻すのが大変だったりするかもしれない。が、私はあまりそういう影響は受けないたちのようで、それほど苦にせず行っている。私の持ち味であるテンションの低さがこの場合は幸いしているのかもしれないが。
話し始めの枕の話も済み、いよいよ本日分の本題に入ろうと思ったら、今日が「冬至」であったことを思い出し、柚子湯の話を始めてしまい、なかなか本題に入っていけない。
柚子をたくさんもらったので、先月から柚子湯に何度も入っている。まだもらった柚子があるので、今夜は湯船にたくさん浮かべて入ろうかな、などと考えている。ただ、たくさん入れすぎると、柚子に含まれるエキスが濃くなり、効果が強すぎて困りそうだ。
と、あれこれ思いつくままに話し、【7分30秒】あたりからようやく本日分の本題が始まる。今回は、なかなか話せずにいるジョン・レノン暗殺の話の続き。
ジョン・レノンが暗殺されたのは1980年12月8日。あの日から今年で30年になる。
ジョンは、ハワイからニューヨークにやって来たマーク・チャップマンの単独犯とされ、今もそれを疑わずにいる人もいるだろう。しかし、もしかしたら彼の犯行でないとすると、別の思惑が急浮上してくるのを感じる。もの凄い勢いで。
ジョンの30回目の命日を翌日に控えた今月7日、衛星デジタル放送局のBSジャパンが特別番組を放送し、私は録画して2回見た。1回はメモも取らず、2回目はトークで取り上げようと思ってメモを取りながら。取ったメモは24枚にもなってしまい、それをうまくまとめて話せるかどうか。
番組の進行役を務めたのは、日本語も母国語と同じように綺麗に話せるピーター・バラカン氏。
【13分】少々話したところで、時刻が午前5時50分近くになり、そこで一旦トークを一時停止し、朝に済ますことをしている。
午前7時20分頃にトークを再開しているが、トークをする私の膝の上には、デジタル一眼レフカメラ(デジ一)が載っている。
少し前までは、ドイツのカール・ツァイス社が設計したプラナー50ミリというレンズをつけっぱなしだったが、ここへ来て、ほかのレンズも使うようになった。
トークの時膝の上にデジ一につけていたのは、同じカール・ツァイスのプラナー85ミリ。プラナー50ミリは日本国内で製造されたものだが、85ミリは、”Lens made in West Germany”」とあり、東西統一される前の西ドイツ製になる。
このレンズを持ち出させたのは今朝の天気。早朝は雨が降っていたが、朝食を終えて後片付けをする頃になると雨は止み、窓の外が明るくなってきた。外へ出てみると、青空が広がり始め、朝日を浴びた雲が綺麗に見えた。そこで、プラナー85ミリで撮ったりしたから。このレンズは造りがしっかりしていることもあり、とても重い。そのため、気軽に外に持ち出せないが、撮影が楽しくなるレンズ。
ジョン・レノン暗殺の話に戻せば、命日の1日前にあたる今月7日にBSジャパンで放送された番組のもとになったのは、イギリス人ジャーナリストで作家もされているフィル・ストロングマン氏の推理。ストロングマン氏は20年にもわたってこの事件を調べ、『ジョン・レノン暗殺 アメリカの狂気に殺された男』という一冊の本にまとめられている。
本の中でもそのようにまとめられているのか、私はまだ読んでいないのでわからないが、ストロング氏は、犯人とされているマーク・チャップマンに関わる以下の3つの謎に着目し、その謎を順に解き明かすように番組は作られている。
- 彼は本当にジョン・レノンの熱狂的なファンだったか?
- 犯行前の空白の3日間
- 『ライ麦畑でつかまえて』との関わり
【第一の謎】:チャップマンの犯行とされて以来、彼はジョンの熱狂的なファンとされてきた。そして、そのことが犯行の動機にもされきた。しかし、これは真実ではないそうだ。その証拠に、彼はジョンやビートルズのレコードは1枚も持っていないことが確認されたそうだ。彼が好きなアーティストは、トッド・ラングレンだそうで、それは熱狂的といってもいいほどだったとのこと。
となると、チャップマンがジョンを暗殺したとされた動機がなくなってしまう。
【第二の謎】:チャップマンは当時はハワイに住んでいたので、誤って、ハワイ出身という記述も一部見られたりするが、彼は1955年年5月10日にテキサス州のフォートワースという街で生まれている。父は米空軍の軍曹、母は看護師。家族はその後、ジョージア州に移り、チャップマンはそこにあった高校を卒業している。
チャップマンのその後の人生については次回以降のトークで話すとして、彼がハワイに渡ったのは21歳の時。犯行に臨むつもりでか、彼は1980年12月2日に飛行機でアメリカ本土へ向けて旅立っている。
しかしなぜか、彼が購入した航空券の行き先はジョンの住んでいたニューヨークでなく、シカゴ。そこへはハワイを発った翌日の3日に到着している。そのあと、彼は6日にニューヨークに入るが、それ以前の3日・4日・5日の3日間、彼がどこで何をしていたかは未だに明らかにされておらず、「空白の3日間」とされる。
この話には続きがあり、犯行後、彼の3日間が米捜査当局により、抹消されてしまう。この話も次回以降のトークで詳しく触れることにする。
【第三の謎】:実行犯とされているチャップマンの行動で特異なのは、発砲後の行動。通常の実行犯であれば、いち早く現場から逃走しそうなものだが、彼はまったく逃げることなど頭になかったように、現場に留まり続ける。
彼が発砲のチャンスを待ち構えているときも、そして、犯行後もある本を熱心に読んでいる。その本は、米作家、J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』。
事件後、刑事に「ジョン・レノンを撃ったんだ?」と訊かれたチャップマンは、「『ライ麦畑でつかまえて』を読めばわかるさ」と答えたようだが、本当に読めば犯行の動機がわかるだろうか。
ここまでで時間が予定の過ぎてしまい、3つ以外の謎も含めた謎解きは、次回以降のトークですることにしたい。