スーツの「私」と見知らぬ女

前回は、Amazonの電子書籍Kindle本ストアの8周年記念で、該当するKindle本に50%のポイントが付与される機会を利用し、村上春樹の最新短編集『一人称単数』から、『謝肉祭(Carnaval)』を主に取り上げて書きました。

今回は、本短編集の表題作『一人称単数』を自分なりの考えで取り上げます。全部で7篇の短編が収められていますが、『一人称単数』だけが書下ろしで、他は文藝春秋の純文学を中心とする月刊誌『文學界』で発表した作品になるそうです。

ネットが普及した現代、何かを表現する人は、何かしらの圧迫を感じているでしょう。創作活動の合間には私人としてネットを利用することもあり、見ようとしないでも、自分に対する評価をネットで見てしまうことがあるだろうからです。

それが村上のように、何から何まで独りで作り上げる作家の場合、称賛も非難もすべて直接自分へ向かってくることになり、それが厳しい採点であれば、衝撃は小さくないように想像します。

短編集『一人称単数』を読み終わった今は、同じく50%ポイントキャンペーンを活用できる長編作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』2013)を購入し、読み始めたところです。

これまで読んだ中に、主人公の多崎作(たざき・つくる)が36歳になった年、付き合っている2つ年上の彼女、木元沙羅(きもと・さら)にネットは使わないのかと半ば呆れられながら訊かれ、次のように返す場面があります。

「仕事ではもちろんよく使うよ。グーグルフェイスブックも知っている。もちろん。でも個人的にはほとんど使わない。その手のツールにあまり興味が持てないんだ」

村上春樹. 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫) (Kindle の位置No.1326-1327). 文藝春秋. Kindle 版.

村上は、それが自分の作品を称賛するものであっても読まない、というようなことを述べた、とネットか何かで読んだ記憶があります。そんな村上の考えを、『色彩を持たない_』の主人公、つくるにいわせているように思えなくもありません。

逆にいえば、それだけ他者の評価に敏感であるといえます。

そんな他者の評価を人一倍気にする気にするであろう人物の登場するのが『一人称単数』です。

村上の作品はまだそれほど読んでいませんが、ここまで読んだ短編は、三人称で俯瞰するように書かれた作品がほとんど見当たらないように思います。私が知らないだけで、そうした作品もあるのであれば申し訳ないです。

三人称であれば、そのときどきに、それぞれの人物がどんな考えを持つのか簡単に書き表すことができます。しかし、現実の人間が神の視線を持つことができないように、一人称の表現、あるいは、一人の人間の視点だけから書く限り、他者の正直な思いや考えは想像するだけで、実際にどうなのかは確信が持てず、書くことができません。

自分の思いや考えさえ、自分で確信を持てずに生きています。そのように、揺れ動く人間の内面が描きたいのであろう村上は、必然的に一人称の表現を選んでいるといえそうです。

『一人称単数』の主人公「私」は、歳がいくつで、何をしている人間かも明かされません。スーツを着ることは年に二度か三度しかないと書いていますから、きちんとした身なりをせずに済む仕事をしていることが想像できます。

そんな「私」であることから、どうしても、村上自身を書いているように思いながら読んでしまいます。

妻が外出した夜、気まぐれに、普段の「私」には着られることがないスーツを「私」が着ることをします。こんなことは、妻が家にいるときにはできません。

ひとしきりスーツを着たら、脱いで、ラフな格好に戻ったらよかったかもしれません。しかしそのときは、その恰好のまま外を出歩きたい気分になります。

時は春で、寒くも暑くもない宵が、心地よく感じられたでしょう。その心地よさのまま、街をぶらぶらと散歩します。

そのついでで、いつも行く店とは別の、少し離れたところにある、一度も入ったことがないバーにふらりと立ち寄ります。

まだ時間が早かったため、店内にいるのは40代のサラリーマン二人だけです。「私は」二人から離れたカウンターに座り、ウォッカギムレットを注文します。

カウンターの前には鏡が張れており、そこに映るスーツを着る自分が、自分でないように見えます。鏡の自分の姿を視線から消すように、読みかけの小説に目を落とします。

さして面白くない小説ですが、鏡の自分の姿を見せられるよりはましです。

やがて店内の人が増え、「私」のから席を二つ挟んだ席に、女が独りで座っているのに気がつきます。こんなときは正面の鏡が役に立ち、「私」はその女をそれとなく眺めます。

見るところ、歳は50前後で、「とりたてて美人という顔立ちではないものの、そこにはうまく完結した雰囲気のようなものが漂って」います。

店内が混みあい、押されるように、女はひとつ隣の席に近づきます。以前として独りで、連れが遅れて来ることはもうなさそうです。

「写真AC」のイメージ素材

男女の恋愛を描くのを好む村上ですので、出会いの場さえ少なく、恋愛に四苦八苦する世の男どもをあざ笑うように、「私」はひらりと女と近づき、当たり前のように物にするのだろう、と思いきや_本作は実に意外な展開を用意してくれていたのでした。このあとの話は、まだ読んでいない人のために、書かずにおきます。

あとに繰り広げられる話を読み、ノンフィクションなのか、それとも完全なフィクションなのか、判断がつかずにいます。

そして、もしかして、実際に起きたことそのままでないまでも、それに似た体験を村上がしたことがあるのだとしたら、それはそれで、後味がよくなかっただろうと考えます。

それがいつから続けている習慣なのか知りませんが、最近ネットで読んだインタビューによると、村上は完全な朝方の生活を自分に課しているようです。それによれば、朝の4時頃に起きて、午前中を執筆の時間にあてるそうです。

午後はリラックスして過ごし、夜は9時頃には眠るとありました。

こんな生活を続けている限り、夜に新しい異性と知り合う機会は限られるだろうと思います。

そもそもの話、村上が男女の恋愛を書くのは小説の中だけで、現実の生活は、至って淡泊であるように思わないでもないです。いやいや、それとは正反対で、作品そのままの人生経験を経てきたと想像できなくもありませんが。

そしてもしも後者で会った場合、実生活と作品とで、村上から痛手を負ったと感じる女性がいても不思議ではありません。村上があまりにも有名になりすぎたことで。

世の中には、恋多き小説家といわれる人がいます。その小説家が、気軽に入ったバーで、その小説家を目の敵にする女に出くわしたりしますと、作り物の小説よりも面白いことが展開されないとも限りません。

こんなあれこれを、村上の『一人称単数』を読みながら、無責任に想像してしまった私です。

これまで村上が書く話に登場する「僕」や「私」は、苦も無く出会う女たちとあまりにもうまくやり、別れることになっても心に深い痛手を負うことがないように思います。『色彩を持たない_』を最後まで読めば、私のこの考えが変わるのかどうかわかりませんけれど。

ともあれ、書下ろしの『一人称単数』が新境地を開くきっかけにしたいのであれば、これまでとは違う村上による「僕」や「私」の話が提供されそうな気がしないでもありません。これは私の、責任を持たない想像です。

本日の豆夢話
昨夜かその前の夜かに、奇妙な夢を見ました。足の五本指の間にもう一本、小さな指がある夢です。これは、村上か、あるいは別の小説家が書いた話が影響したことは間違いありません。「指が六本ある女でも愛せるか?」というような問いかけがあり、それが記憶に残っていたからでしょう。小説の中では「愛せる」と答えていました。
本日の豆指話
すぐ上で六本指の夢を見た話を書きました。そのあと、村上の『色彩を持たない_』の続きを読んでいたら、六本指の話が出てきました。鉄道の珍しい忘れものに、ホルマリン漬けになった指があったという話です。落とし主は現れなかったようです。その話の中で、六本の指をもって生まれる可能性は世界で500人に1人ぐらいとあります。本当なら、多い印象です。ほとんどは、生まれてすぐに切り取ってしまうのでしょうけれど。真偽のほどは定かでないようですが、豊臣秀吉は親指が二本あったという話も出てきます。

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