現在のようなワードプロセッサー(ワープロ)ができる以前、日本人にとってアメリカ人などが使うタイプライターは憧れの的でした。私個人にとっても憧れで、あのようにパチパチと打つことで文章を書けたら、と思ったものです。
しかし、アルファベットと違って日本語はカナや漢字が入り交じっていることもあり、容易にタイプライターを作ることはできませんでした。それだから、日本人は、欧米人のタイピングを指をくわえて見ていることしかできなかったのでした。
しかし、ワープロの登場により、長年の夢が実現しました。これで日本人も、欧米人のように、タイピングで文字を入力できるようになったのです。それでも日本語自体が複雑であることには変わりなく、アルファベットで直接打ち込むわけにはいかず、ローマ字入力やかな入力したのち変換しなければなりませんが。そうではあっても、とても大きな進歩です。
文章を書くことを専門にされているプロの作家は、このワープロをどのように考えているのでしょう。見聞きするところでは、ワープロの賛成派と拒否派に分かれているようです。
作家の大江健三郎は拒否派でしょうか。
今現在はどうかわかりませんが、以前、NHKのドキュメンタリー(NHKスペシャルだったかな?)で拝見しましたが、大江は原稿用紙に鉛筆で執筆していました。しかも驚いたことに、閉ざされた書斎の奥ではなく、家族がいる居間で執筆していえるのです。意外でした。
障害のある息子で、作曲家でもある光氏との父子関係も描かれた番組でした。番組のためにセッティングされた(?)のでしょうが、父子ふたりで広島の広島平和記念資料館へ行ったりしています。
その資料館を訪れた場面では、光氏が展示施設を怖がって中へ入りたがらなかったりしています。
大江の執筆の仕方の話に戻りますと、居間のソファーで鉛筆を走らせていたのが印象的でした。大江の近くで、光氏が寝そべって作曲をしていました。作家や作曲家といっても人それぞれでしょうが、大江父子のような人たちがいることに感心したのを憶えています。
ワープロを利用する作家には水上勉がいます。これは、個人的には意外でした。拒否派のイメージを勝手に持っていたからです。
水上の場合は、闘病生活の影響があったようです。
心筋梗塞で入退院を繰り返し、万年筆の筆圧にさえ耐えきれなくなってしまった、というようなことです。それでも書きたい意欲はあり、医師に勧めでPCを使った執筆を始めたのだそうです。その時点で、年齢は70歳を過ぎていました。
水上は新しく始めたことに早速楽しみを見つけたようで、次のようなことを述べています。
パソコンを打てば同音異義語の漢字がたくさん出てきて選ぶことができる。ひらがなしか読めなかった9歳の小僧時代に、般若心経を習った。漢字に振られたルビを拾って読んでいたが、世の中が広がるような喜びがあった。(パソコンで漢字に変換することも)どこか似ていて、楽しくなった
日経新聞:21世紀に架ける 作家・水上勉
水上は仕事の道具としてパソコンを使うだけでなく、顔を合わせたことのない人たちともメール交換し、交流を深めているそうです。
PCは感情を持たないメカでしかありませんが、それを介して人とつながれることに期待をかけることができ、共に生きていこうとする水上は、しなやかでありましょう。