古いのに新しい”七年目のかゆみ”

私は未婚で、願望はあっても結婚の予定もありませんのでわかりませんが、大恋愛の末に結ばれて結婚した夫婦も、中には、7年目には浮気の虫が騒ぎ出したりするものでしょうか。

別に深い意味を込めてこんな書き出しにしたわけではありません。昨日の午後にNHKBSプレミアムで、『七年目の浮気』が放送され、またしても楽しく見てしまったからです。

1955年の作品ですから、随分と昔の作品になります。私は過去に、東池袋にある新文芸坐でリバイバル上映されたとき、大きなスクリーンでも見たことがあります。

監督は、私がおそらく最も好きなビリー・ワイルダーです。

映画好きな人であれば、この作品はよく知り、好きな作品の何本かに加える人もいるでしょう。一方、それほど映画に関心のない人は、タイトルは知っているものの、見たことがない人もいるかもしれません。

原題は”The Seven Year Itch”で、Google翻訳で日本語に訳すと「7年のかゆみ」になります。このまま邦題にしたら、名作の扱いを受けず、忘れられてしまったかもしれません。

ま、いわんとすることは変わりありませんが。

もとは、ブロードウェイの舞台劇で、それをビリー・ワイルダーが劇の戯曲を書いたジョージ・アクセルロッドとともに映画作品用に脚色し直したもののようです。

上映された年を日本の元号でいえば昭和30年です。先の大戦で日本が敗戦して10年目の年です。そんなことを考えて作品を見ますと、日本が米国に負けたのも当たり前と思えます。

舞台はニューヨークで、当時の街並みも登場しますが、戦争の影はありません。

とても粋な作りになっており、65年も前の作品とはとても思えません。都会的で、洗練されています。

素が舞台劇ということもあるのでしょう。登場人物は数人に限られます。

何ともいっても注目されるのはマリリン・モンローです。作品ではモンローが演じる若い女性に名前が付けられていません(※以下、この女性は「モンロー」と書くことにします)が、モンローに浮気心を持つのがトム・イーウェルが演じる中年男のリチャードです。

他の登場人物はといえば、まずはリチャードの妻。ふたりの間に小さな男の子がいますが、息子ははじめの方に一度登場するだけです。

リチャードは小さな出版社で編集長のようなことをしています。

日本でこんなような話を映画化したりすることになれば、ご丁寧に、社員を何人も登場させ、そこで不必要なシーンを撮ったりするでしょうが、ワイルダーはそんなことはしません。

リチャードの女性秘書をひとり登場させるだけです。

あ、そうそう。出版社の社長がワンシーンだけ登場しました。もちろん、登場させるだけの意味を持たせて。

ほかには、リチャード一家が暮らしているニューヨークのアパートの管理人も登場します。それを演じている男優を見て、すぐに思い出しました。ワイルダーが監督した『第十七捕虜収容所』1953)でひげ面の”アニマル”を演じたロバート・ストラウスです。

本作でも忘れがたい”怪演”を披露しています。

あとの登場人物はひとり、ふたりで、舞台はほとんどがリチャードのアパートです。

初めて本作を見る人は、とっつきにくく感じるかもしれません。一風変わっているからです。主人公のリチャードは想像力が逞しく、それを言葉にして発するため、始終独り言をいいます。

季節は夏の盛りで、ニューヨークも灼熱地獄となります。リチャードは妻と小さな息子を避暑地へ送り、仕事をするためにひとり残ったリチャードはひとり住まいとなり、浮気の虫がうごめきだしたりするという設定です。

リチャードのアパートは、もとはある一家の持ち家でもあったのでしょう。それを今は、3階建てのワンフロアを、それぞれ別の借主に貸し、1階にリチャードの家族が暮らしているというわけです。

2階に住んでいる住人が避暑のためにニューヨークを去り、空き家となった部屋にモンローが仮住まいしにくるのです。

同じような設定で日本でドラマや映画を作ったなら、細々としたことまで描いたりするでしょうが、ワイルダーの映画はそんなことは考えもせず、ひたすらスタイリッシュに描きます。

邦題えは「浮気」としていますが、愛し合うシーンはありません。実際問題、それを臭わせることもせず、モンローには、そんな気は頭の片隅にもありません。

本作が上映された昭和30年、日本の庶民は、夏の暑い時期をどのように乗り越えたでしょう。地方では蚊帳を吊る家もまだあったかもしれません。

モンローが仮住まいする2階の部屋は、借主が金持ちであるのに、冷房装置がなく、暑さに悲鳴を上げてリチャードの部屋を訪ねます。

リチャード一家が住まう1階は、各部屋にエアコンが取り付けられており、快適に過ごせる環境なのでした。当時の日本の一般的な家庭の暮らしと比較すれば、生活水準の違いに愕然とし、日本が戦争に負けたのも無理がないと思わざるを得ないというわけです。

リチャードとモンローが一度だけアパートの外へ行くシーンがあります。映画を楽しむためです。

映画を楽しむシーンを野暮に描くことなく、映画館をふたりが出るシーンから始めます。

街を歩き出した時、モンローが立っていた通風口から、地下鉄の電車が起こす風が吹きあがります。モンローの白いスカートが、風にふわりと舞い上がり、のちのちまで残るモンローにとっても一番有名なシーンができ上がる、というわけです。

リチャードとモンローがふたりでいる部屋に、避暑に行っているはずの妻が戻り、怒った妻は、リチャードに銃口を向けます。

リチャードは「君が引き金を引いたら刑務所行きだ。終身刑か死刑だろう。だから、止める選択をしてくれ」(←私の想像で書いています)と必死の説得を試みます。が、妻はリチャードに向けて何発も撃ち込みます。

これは、またしてもリチャードの想像力が生んだ空想の情景です。空想から覚めれば、昼下がりのけだるい時間が流れているだけなのでした。

この映画の上映から65年。日本では、未だにこの水準の作品を撮れる人はいない。でしょうか?

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