初めて会った人に、私は「こけし70体と一緒に暮らしています」と自己紹介したら、相手はどんな反応をするでしょうか?
理由を説明したら、はじめは驚いた相手も納得するでしょう。
朝日新聞・土曜版に「私の The Best!」というコーナーがあります。有名人が大切に思っている物や、大好きな物などを毎週一人ずつ紹介しています。
昨日(20日)は、お笑い芸人の川村エミコさん(1979~)の「The Best!」の紹介でした。その書き出しが、「こけし70体と一緒に暮らしています」です。
初めて会った人に、私は「こけし70体と一緒に暮らしています」と自己紹介したら、相手はどんな反応をするでしょうか?
理由を説明したら、はじめは驚いた相手も納得するでしょう。
朝日新聞・土曜版に「私の The Best!」というコーナーがあります。有名人が大切に思っている物や、大好きな物などを毎週一人ずつ紹介しています。
昨日(20日)は、お笑い芸人の川村エミコさん(1979~)の「The Best!」の紹介でした。その書き出しが、「こけし70体と一緒に暮らしています」です。
あなたは、「天才」と聞いてどんなことや人をイメージしますか?
朝日新聞は、新年幕開けの紙面に、「天才」を巡る考え方をたしか六回にわたって取り上げました。
その最終回に、同時代を生きる天才として、大谷翔平選手(1994~)と藤井聡太八冠(2002~)を挙げ、書評家の渡辺祐真氏(1992~)が次のような考えを示しています。
大谷翔平選手や藤井聡太八冠がこれだけ人気を集めているのは、能力だけでなく人格も優れているから。いまは両方がそろって初めて天才だと認められる。
渡辺氏のこの指摘に、私は首を傾げました。私が定義する天才像からかけ離れているからです。
私は昔から、奇人や変人、天才に惹かれてきました。本サイトは、1999年10月17日に始め、今に続いていますが、本コーナーでは、そのときどきに私が着目したそんな人たちについて書いています。
今年が小津安二郎(1903~1963)の生誕120年ということで、小津の誕生月である12月に、NHK BSとBS松竹東急で、小津の後期作品が立て続けに放送され、それをすべて見て、本コーナーで取り上げることをしてきました。
その最後となる八作目が昨日、NHK BSで放送されました。放送されたのは、小津の遺作となる『秋刀魚の味』(1962)です。本作が公開された1962年は、二年後に東京五輪を控え、東京の街並みが急速に変貌し始める頃にあたりましょう。
舞台は東京です。何本も煙突が立ち並ぶ映像があります。それがどこかは描かれていません。
作品の中頃に電車の駅のシーンがあります。その場面を注意深く見ると、その駅の駅名と隣りの駅名が書かれた駅名標が映ります。そこから、その駅が東急電鉄池上線の石川台駅だとわかります。
数日前、録画しておきながらなかなか見ることができなかった映画を見ました。
このところは、生誕120年を記念して放送された映画監督・小津安二郎(1903~1963)の後期作品七作品を放送された順に見て、本コーナーで取り上げることをしました。
それが、なかなか見られなかった理由となります。
見たのは、『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(2015)です。一週間前の月曜日(18日)にNHK BSで放送され、録画しておきました。
現代は”Trumbo”だけです。日本でも彼を知る人には説明がいりません。しかし、米国よりはそういう人が少ないと考えたのか、トランボを説明するようなタイトルをつけています。
グレゴリー・ペック(1916~2003)とオードリー・ヘプバーン(1929~1993)が共演した『ローマの休日』(1953)は、見たことがある人や、そんな映画があるのを知っている人が多いでしょう。
本日の朝日新聞に、平山周吉氏(1952~)が執筆した『小津安二郎』(新潮社)が、第50回「大佛次郎賞」を受賞することを伝える記事が載っています。
本賞は、優れた散文作品を顕彰する賞で、朝日新聞社が主催だそうです。
それにしても、映画監督・小津安二郎(1903~1963)の評伝を書いた人が、平山周吉というのは出来過ぎです。
小津の代表作『東京物語』(1953)で、笠智衆(1904~1993)が演じる主人公の名が平山周吉だからです。小津はほかの後期作品でも、「周吉」の名を何度か使用しています。
このたび大佛次郎賞を受賞された平山氏は、文藝春秋社で長年編集の仕事をされ、その後、独立して文筆家になられたそうです。
そして、独立する際に、大好きだという小津にちなみ、『東京物語』の主人公の名を筆名に選ばれたのだそうです。
ともあれ、平山周吉氏はこの受賞に対し、「小津安二郎の特別な記念の年だから、下駄を履かせていただいたのかな」と謙遜されています。
その小津の生誕120年を記念する今年の12月は、小津の誕生日と命日が12日だったこともあり、NHK BSとBS松竹東急で、立て続けに八作品が放送となりました。
このところの本コーナーは、映画監督・小津安二郎(1903~1963)の作品について続けて書いています。昨日(18日)は、前日に見た『東京暮色』(1957)を取り上げました。
このようになっているのは、今年が小津の生誕120年の年にあたり、小津の後期作品がNHK BSとBS松竹東急で立て続けに放送され、それを録画して見た順に取り上げているからです。
BS松竹東急の小津特集は先週土曜日(16日)で終わりました。NHK BSも本日放送される『お早よう』(1959)で終わりかと思いきや、来週火曜日(26日)に、小津の遺作となった『秋刀魚の味』(1962)が放送になることがわかりました。
ということで、今回の特集で放送される小津の後期作品は全部で八作品になります。
生誕120年にあたる今、映画監督の小津安二郎(1903~1963)の後期作品が、NHK BSとBS松竹東急で放送中です。
土曜日(16日)でBS松竹東急の放送が終わり、今わかっているところでは、火曜日(19日)にNHK BSで予定されている『お早よう』(1959)の放送を残すのみとなりました。
私はすべてを録画して見ています。これだけまとめて小津作品を見るのは初めてのことです。
同時期の作品を続けて見たことで、その時期に小津作品を彩った俳優が、同じような顔ぶれであることを認識できました。
その中でも、笠智衆(1904~1993)と原節子(1920~2015)は目立つ存在で、ふたり抜きでは、その時期の作品が成り立たない印象さえあります。
今年が、映画監督の小津安二郎(1903~1963)生誕120年にあたることから、今、小津の後期作品が、NHK BSとBS松竹東急で集中的に放送されています。
今わかっているだけで、今度の火曜日(19日)にNHK BSで放送する『小早川家の秋』(1961)まで、七作品が放送される予定です。
私はすべてを録画し、順に見ては、本コーナーで取り上げることをしています。
今回は、七作品中四番目の『麦秋』(1951)を見ましたので、それについて書くことにします。本作は、木曜日(7日)にBS松竹東急で放送されました。
それぞれを間隔を開けて見たらそれほど気にはならないかもしれないことが、あまり日を置かずに見たことで、作品の内容ではないことで、興味深い思いをしました。
本作に続けて、小津の代表作である『東京物語』(1953)見たなら、浦島太郎を見る思いになることでしょう。
本作が公開されたのは1951年、そして、『東京物語』が2年後の1953年です。
今年が、映画監督・小津安二郎(1903~1963)の生誕120年にあたることから、小津の誕生日であり、また、命日でもある今月12日から、NHK BSとBS松竹東急で、デジタル修復された小津の後期作品が、今わかっているところで、七作品が放送中です。
私はこれらをすべて録画し、順に見ているところです。
昨日は、水曜日(13日)にBS松竹東急で放送された『宗方姉妹』(1950)を見ました。
代表作の『東京物語』(1953)などに比べると、知る人ぞ知る作品になりましょうか。私はこの作品があることも知らずにいたぐらいですから、今回、初めて見ました。
小津といえば松竹映画を代表する映画監督です。その小津が、当時、文芸大作路線に力を入れていたという新東宝に請われてメガホンをとった作品です。
小津としても、松竹以外では初めの作品になります。