今年が、映画監督の小津安二郎(1903~1963)生誕120年にあたることから、今、小津の後期作品が、NHK BSとBS松竹東急で集中的に放送されています。
今わかっているだけで、今度の火曜日(19日)にNHK BSで放送する『小早川家の秋』(1961)まで、七作品が放送される予定です。
私はすべてを録画し、順に見ては、本コーナーで取り上げることをしています。
今回は、七作品中四番目の『麦秋』(1951)を見ましたので、それについて書くことにします。本作は、木曜日(7日)にBS松竹東急で放送されました。
それぞれを間隔を開けて見たらそれほど気にはならないかもしれないことが、あまり日を置かずに見たことで、作品の内容ではないことで、興味深い思いをしました。
本作に続けて、小津の代表作である『東京物語』(1953)見たなら、浦島太郎を見る思いになることでしょう。
本作が公開されたのは1951年、そして、『東京物語』が2年後の1953年です。
この二作品には、同じような俳優が起用されています。映画の制作にあたり、それぞれの役柄にどの俳優が相応しいかさまざまに検討されるのでしょう。
その相応しさの要素のひとつは、劇中人物の年齢が大きく作用します。演じている俳優の年齢がそれに相応しくない場合、作品を見る観客が不自然に感じてしまうからです。
そういった観点から、それぞれの作品で主役を演じる笠智衆(1904~1993)に注目すると、実に興味深いです。
本作が公開された年、笠の実年齢は47歳です。
本作の舞台は、神奈川の北鎌倉に暮らす大家族です。笠は、その家の長男・康一を演じています。仕事は、東京都内の医院に勤務する医師です。
見た目はまだまだ若く、背筋はまっすぐに伸び、歩き方も颯爽としています。家の出入りで戸を開け閉めするときも、機敏な音を響かせます。
真っ黒な髪を、整髪料で整髪しています。
同じ笠が、二年後に公開された『東京物語』では、多くの人がご存知のように、60過ぎの老人、平山周吉を演じています。
周吉は、見るからに老人そのものです。歩くときも、一歩一歩、ゆっくりと歩を進めます。動きが実に緩慢です。座敷に座ると、背中が丸い猫背になります。
この二作品に登場する笠を見比べると、あまりの違いに、笠だけ、浦島太郎になってしまったように錯覚してしまいます。
本作にも、小津監督がおそらくはお気に入りの原節子(1920~2015)が登場します。
原は、本作と『東京物語』でほぼ同じ年齢の役柄です。本作は28歳、『東京物語』は27歳と、二年後の作品で逆に二歳若い役を演じています。
ほかには、『東京物語』で笠が演じた平吉の妻、とみを演じた東山千栄子(1890~1980)も出演しています。
『東京物語』で老夫婦を演じた笠と東山の実年齢が24歳違うことを、『東京物語』について書いた更新分の中に書きました。
本作のふたりは、実年齢に近い役についています。すでに書いたように、笠が演じる康一は、働き盛りの医師です。東山は本作で、その康一の母親役です。これが実年齢に近い配役といえましょう。
逆に見ると、そのふたりが『東京物語』で夫婦を演じたことには驚かされるばかりです。
笠が実年齢に近い配役だったため、本作の原は、笠の妹・紀子(のりこ)を演じます。本作と『東京物語』、そして、『晩春』(1949)を加えた三作品で原の役名が紀子とされ、「紀子三部作」と呼ばれるそうです。
原が演じる紀子は、本作でもまだ未婚の女性を演じています。
演じる役の年齢に大きな開きがある笠に比べ、原が起用される役は、いつまでも不動といったところです。これには、小津監督の意向が強く反映されているように私は感じます。
原の「不動」という点ではもうひとつ、作品が違っても、出てくる紀子は、三作品で変化が極めて少ないです。
それぞれの紀子が相手に笑いかける時、天真爛漫な笑顔がいつも画面に大きく映し出されます。
私は映画館の大きなスクリーンで原の笑顔を見たことはないと思いますが、スクリーンいっぱいの笑顔を見たら、食傷気味になってしまうかもしれません。
『東京物語』の紀子は、平吉の戦死した次男の未亡人の役柄です。夫が亡くなって八年経つ設定ですが、まだ十分若く、平吉夫婦から、ぜひ再婚してくれと望まれます。
本作と『晩春』の紀子は、未婚の女性です。申し分のない女性であるにも拘らず、当人はいたって呑気にしており、周りだけがやきもきします。
当人は、自分の美貌を認識しており、自分がその気になったらいくらでも貰い手はある、と考えているように見えなくもありません。
原を気に入って起用した小津の作品を引いた眼で見ると、私には、原を使った「アイドル映画」のように感じてしまいます。
本作の後半に、砂浜のシーンがあります。そこに写るのは、原と、笠が演じる康一の妻がふたりだけです。ふたりは似たようなブラウスとスカートを履き、後姿は、双子か姉妹のようです。そのふたりが、海が見える丘に座ったり、誰もいない波打ち際を歩いたりするだけです。
私はアイドル映画は見たことがありませんが、こんなシーンは、アイドル映画の撮り方の典型ではありませんか? しかも、このシーンだけは、小津としては珍しく、クレーンにカメラを載せて撮影する力の入れようをしたそうです。
そんなことまでして、小津は原を美しく画面に収めたいと願ったのでしょう。
本作も、原の原による原のための作品になり、原を活かすためにストーリーが作られ、最後は原が幸せになるように持って行きます。
『晩春』でもラストに原は花嫁衣裳を着、本作は原が結婚を周囲の懸念をよそに自分独りで結婚を決めています。
我儘なお嬢さんに振り回される周囲の人々を描いた作品と見ることもできます。
次に見る予定の『東京暮色』(1957)にも原が主演です。今度はどんな原お嬢さんに振り回されることになるのか、と少々憂鬱になってきました。
世の中には、同じようなお嬢さんがいるでしょう。それが現実であれば、愛想をつかす人も出てくるでしょうね。
原を起用しない小津作品が見たくなりました。