このところの本コーナーは、映画監督・小津安二郎(1903~1963)の作品について続けて書いています。昨日(18日)は、前日に見た『東京暮色』(1957)を取り上げました。
このようになっているのは、今年が小津の生誕120年の年にあたり、小津の後期作品がNHK BSとBS松竹東急で立て続けに放送され、それを録画して見た順に取り上げているからです。
BS松竹東急の小津特集は先週土曜日(16日)で終わりました。NHK BSも本日放送される『お早よう』(1959)で終わりかと思いきや、来週火曜日(26日)に、小津の遺作となった『秋刀魚の味』(1962)が放送になることがわかりました。
ということで、今回の特集で放送される小津の後期作品は全部で八作品になります。
ちなみに「小早川」を私は「こばやかわ」と読むものとばかり思っていました。本作について書かれたネットの事典ウィキペディアに「こはやがわ」とあり、初めて正しい読み方を知りました。
小津安二郎は松竹映画を代表する監督です。その小津が本作は、宝塚映画(宝塚映像)で制作し、東宝系で公開されています。
なんでも、東宝でプロデューサーをしていた藤本真澄氏(1910~1979)が小津の大ファンで、東宝で作品を撮ってくれるように持って行った結果だそうです
実際には、宝塚映画制作所で、同社が創業10周年を記念する作品として小津がメガホンをとっています。
藤本氏には、東宝に所属する俳優を小津作品に起用してもらうことで、俳優たちが持つであろう異なったイメージを引き出したい狙いも持っていたようです。
そんなこともあり、東宝のスター俳優を配役に起用してもらっています。そんな中で、小津が気に入った俳優がいます。小早川家の長女・文子を演じる新珠美千代(1930~2001)です。演じたときは31歳です。
あまりに新珠を気に入ったため、小津が直々に、新珠に次回作に出てくれと頼んだという逸話が残っているそうです。本作の次回作は、26日に放送予定の『秋刀魚の味』で、これが小津の遺作となり、新珠が小津作品に出演したのは、本作が最初で最後となりました。
本コーナーで前回取り上げた『東京暮色』が小津の最後の白黒作品です。
それ以降、遺作の『秋刀魚の味』までの六作品はカラー作品になります。
小津が使ったフィルムについて、ウィキペディアに次のような記述があります。
赤い色にこだわる小津は、この作品でも松竹作品と同じくアグファ社のフィルムを使用している。
アグファア(現在のアグフア・ゲバルト)について書かれたウィキペディアに、小津が同社のフィルムを気に入り、小津のカラー作品はすべてアグファのフィルムを使ったことが書かれています。
私はフィルムの時代から写真の撮影を趣味としています。ですから、アグファのフィルムがあることは知っていますが、使ったことはありません。
小津が初のカラー作品を撮るにあたり、どの会社のフィルムを使うか、検討したことが、初のカラー作品である『彼岸花』(1958)について書かれたウィキペディアにあります。
小津作品の多くで、厚田雄春(1905~1992)がカメラを担当しています。その厚田が、ドイツ映画の『枯れ葉』(1957)を見て、その色の良さを小津に話し、小津としても赤の発色の良さに気づき、アグファに決めたそうです。
本作はバーの場面から始まります。そこにいるのが鉄工所を経営する中年の男と、少し額が禿げあがった恰幅のいい男のふたりです。
ふたりを演じるのが森繁久彌(1913~2009)と加東大介(1911~1975)で、気安そうに話をしています。その場面がカラーで描かれるため、小津作品でなく、森繁主演の「社長シリーズ」でも見ているような錯覚を覚えます。
ウィキペディアの記述によれば、東宝が小津を迎えて作品を撮るということで、森繁あたりは小津に対抗意識を持ったりしたそうです。
本作には、競輪場のシーンが登場します。森繁はおそらく周囲の人間に、「小津に競輪なんか撮れっこない」といったというエピソードがあるそうです。
森繁のほかにもうひとり、小津が演出しづらかった俳優がいます。「山茶花究」という性格俳優です。本作では、造り酒屋の小早川家の番頭役を、感心させられるほど上手に演じています。
「山茶花究」(1914~ 1971)は「さざんかきゅう」と読みます。そうです。「さざんがきゅう」をもじった芸名です。面白い芸名なので、憶えていました。
小津作品を撮るカメラマンの厚田も本作には使わず、小津が単身で制作現場に臨んだそうです。おそらくは、いろいろな意味で気苦労が多かったでしょう。
本作の撮影を担当したのは中井朝一(1901~1988)です。中井といえば、黒澤明(1910~1998)の作品でカメラマンをしたことが知られます。
中井の名を聞いて私が反射的に思い出すのは、中井の奇癖です。普段は非常におとなしい感じの中井が、宴会などで酒が入ると、全裸になって、「あらえっさっさー」と裸踊りをしたそうです。
本作の舞台は、京都の伏見で代々続く造り酒屋で、その家の人間模様が描かれます。小津は、仕事を娘夫婦に譲り、楽隠居の境遇にある小早川万兵衛を描くことに、関心が強かったようです。
万兵衛を演じるのは、中村鴈治郎 (2代目)(1902~1983)は自由気ままに生きる男で、今は、昔に縁のあった女性のところへいそいそと通っていきます。
万兵衛が訪ねて来るのを待つ佐々木つねを演じるのは、浪花千栄子(1907~1973)です。
新珠美千代が演じる跡取り娘の文子は、女好き、競輪好きの万兵衛にはほとほと呆れた様子です。
しかし、深刻そうには描かれておらず、気楽な気分で楽しむことができます。
文子には妹がいますが、名前が紀子(のりこ)です。小津はこの名によほど思い入れでもあるのでしょうか。演じているのは司葉子(1934~)です。演じたときは27歳です。
まだ独身で、小早川家の長男の未亡人が、紀子の悩み事に付き合っています。その秋子を演じるのは原節子(1920~2015)です。本コーナーで前回取り上げた『東京暮色』と同じように、原が演じる秋子は、落ち着いた雰囲気です。
本作は、原が小津作品に出演する最後の作品となりました。
紀子の会社の同僚にとても綺麗な人がいるのが私の眼を引きました。演じているのが誰かと思ったら、白川由美(1936~2016)でした。
実生活の白川は二谷英明(1930~ 2012)と結婚し、一人娘は二谷友里恵(1964~)です。二谷友里恵も、もう59歳になるのですか。小津が世を去った翌年に生まれたことがわかります。
本作にも笠智衆(1904~1993)と杉村春子(1906~1997)が主演しています。
杉村が演じる加藤しげは、万兵衛の妹の役ですから、登場場面も多いです。相変わらず、活発に動き回る役を演じています。
一方の笠は、端役といったところになりましょう。火葬場の煙突が見える川辺で、妻と何やら農作業をする農夫の役です。農夫といっても真っ白なシャツを意気に着こなしています。
このあたりにも、小津の笠に対する心遣いが感じられます。
農夫役の笠は、すっとまっすぐ立ち上がり、脚も背もまっすぐに伸びています。これを演じた笠の歳は57歳です。その農夫が、火葬場から昇る煙を見て、次のような台詞をいいます。
死んでも死んでも、あとからあとから、せんぐりせんぐり生れて来るわ。
映画監督としてもてはやされている自分だけれど、人の一生なんてあっという間の夢のようなもの。自分が生きようと死のうと、なんべんでも、そのときどきの人の虚ろな日常が続いていくだけ。
私の想像で書いてみましたが、そんなような考えが、小津にも去来したのでしょうか?
小津は本作の二年後に世を去っています。別に体調は悪くなかったとは思いますが、何かしら、この頃から自分の死と、死んだあとのことに考えを巡らし始めたのでしょうか。