生誕120年にあたる今、映画監督の小津安二郎(1903~1963)の後期作品が、NHK BSとBS松竹東急で放送中です。
土曜日(16日)でBS松竹東急の放送が終わり、今わかっているところでは、火曜日(19日)にNHK BSで予定されている『お早よう』(1959)の放送を残すのみとなりました。
私はすべてを録画して見ています。これだけまとめて小津作品を見るのは初めてのことです。
同時期の作品を続けて見たことで、その時期に小津作品を彩った俳優が、同じような顔ぶれであることを認識できました。
その中でも、笠智衆(1904~1993)と原節子(1920~2015)は目立つ存在で、ふたり抜きでは、その時期の作品が成り立たない印象さえあります。
昨日は、15日にBS松竹東急で放送されて録画してあった『東京暮色』(1957)を見ました。
小津は60歳の誕生日に亡くなっていることもあり、本作以降の作品は、本作を含めて七作品です。本作が、小津が撮った最後の白黒作品で、残りの六作品がカラー作品となるそうです。
白から黒までの諧調で表現する白黒作品を小津は好んだのでしょう。色がついていなくても、明るい諧調を多くすれば、華やかな雰囲気にできます。
原節子を主演に使った作品は、明るい諧調で表現されています。
本作にも原が出演しています。役どころは、笠智衆が演じる杉山周吉の長女・孝子です。しかし、苗字は違い、沼田です。孝子は結婚して姓が変わり、やっと歩けるようになったぐらいの娘・道子がいます。
子を持つ母親の役を演じる原が、それ以前とは違い、すっかり落ち着いた感じになりました。その前までの原が演じる役は、いずれも独身で、髪を現代風にして、華やいでいました。
それが本作では、髪を後ろに結び、所帯じみています。本作で設定された原を私は美しいと思いました。どちらの役柄が原の素顔に近いのかはわかりません。
本作では、原が演じる孝子が二度ほど、マスクをした場面があります。昔の、ガーゼのマスクです。せっかくの美貌をマスクで隠すのがもったいなく見えます。
それにしても、原は笠と小津作品で共演が続きます。面白いのは、作品によって、ふたりの関係が大きく変化することです。前回見た『麦秋』(1951)では、笠の妹を演じました。
逆のいい方をすると、原を軸にして、笠が役柄の年齢を上下に大きく移動していることになります。そういった意味では、笠智衆は年齢を超越し、変幻自在に役を演じられる俳優といえましょう。
『麦秋』までは、原が演じる紀子(のりこ)が独身で、周囲が早く嫁がせようとする様子が描かれました。その原が本作では既婚者です。
ただ、孝子は幸せな状態にありません。夫の康雄とはうまくいっていません。そのため、幼子の道子を連れて、父の周吉の家に戻ってきているのです。
夫の康雄は、周吉が訪ねて行った場面にしか登場しません。小津は、孝子夫婦を描くことに熱意がなかったといえましょう。
孝子には明子という妹がいます。今は、英文速記を学ぶ学生の身で、独身です。演じるのは有馬稲子(1932~)です。当初は岸恵子(1932~)を起用する予定だったのが、岸のスケジュールが合わないため、有馬に落ち着いたようです。
有馬が明子を演じたとき、有馬の実年齢は25歳です。
本作は、ジェームズ・ディーン(1931~1955)の『エデンの東』(1955)を、小津流の解釈で作品にしたものだそうです。それもあって、実に暗い印象です。
本作について書かれたネットの事典ウィキペディアに「本作は戦後の小津作品の中でも際立って暗い作品である」とあったので、そのつもりでいましたが、想像以上に暗いので、見ていて気分が沈みがちとなりました。
原節子が紀子を演じた「紀子三部作」は、ある意味では「清く正しい世界」を描いています。それが本作は、社会の暗い部分を描きます。
黒澤明(1910~1998)の『七人の侍』(1954)で七人の侍のひとり、久蔵を演じた宮口精二(1913~1985)が刑事の役で出演し、明子を補導する場面もあります。
山田五十鈴(1917~2012)が出演しているのも特筆すべきことです。山田が演じるのは喜久子という女性です。喜久子は、東京・五反田にあるという設定の寿荘という雀荘の女将をしています。その夫を演じるのは中村伸郎(1908~1991)です。
中村は、『東京物語』(1953)で、笠智衆の長女・志げの夫を演じています。志げを演じたのは杉村春子(1906~1997)です。
杉村も後期小津作品の常連で、本作では、笠が演じる周吉の妹・重子を演じています。本作でも、杉村演じる重子はお節介焼きで、有馬が演じる明子の縁談に気を廻します。
『東京物語』で杉村が演じた志げの兄を演じた山村聡(1910~2000)も出演しています。本作では旧友役で、仕事の合間に時間つぶしのためにパチンコ店にいた周吉にクラス会の連絡を頼みにやってきた一場面だけの登場でした。
山田五十鈴の役柄が雀荘の女将のため、麻雀をするシーンがたびたび登場します。
もっとも、素顔の原節子はビールとタバコと麻雀が好きだったそうですから、本作で描かれている世界が、素の原に近いといえなくもなさそうですが。
ともあれ、その雀荘がある五反田ですが、駅近くの道が砂利道です。今の五反田からは想像がつかないでしょう。
それが撮影されたのは、道の向こうに電車が走る様子が映りますから、ロケで撮られた(ロケーション撮影)映像です。
明子は遊び人のグループと関わりを持つようになり、ひとりの学生の子を腹に宿しています。しかし、それを父や姉に告げられず、ひとりで苦悩しています。
明子が子を宿すことになったいきさつを、仲間と麻雀をしていた遊び人の川口登が、「えー、何と申しましょうかー」と当時野球解説で人気があった小西徳郎(1896~1977)の口ぶりを真似て、そこにいる仲間に聞かせつつ、本作を見る観客にもそれをわからせるシーンがあります。
登を演じたのは高橋貞二(1926~1959)です。高橋が本作で登を演じた二年後、自らがハンドルを握っていた車で激突し、死亡しています。まだ33歳でした。
その三年後、高橋の妻が、夫のあとを追うように、ガス自殺しています。
暗い作品に出演したことで、実生活まで暗くなってしまったような印象です。
原節子は、小津が亡くなった1963年以降、一本も映画に出演していません。原は、小津が亡くなったことで女優業を引退したばかりでなく、表舞台には一切姿を見せないまま、この世を去ります。
原が一世を風靡していた頃から、原の演技には厳しい批判が加えられていたそうです。その批評に対し、小津の次のような言葉がウィキペディアにあります。
「原節子は大根だ」と評するのはむしろ監督が大根に気づかぬ自分の不明を露呈するようなものだ。実際、お世辞抜きにして、日本の映画女優としては最高だと私は思っている。
日本の映画女優として最高かどうかは別にして、これほどまでに自分を買い、自作に主演として使ってくれていた小津がこの世から消えてしまったことが、原に女優業引退を決意させたことは間違いありません。
このとき、原は43歳です。小津が亡きあと52年生き、2015年に95歳で亡くなっています。それまでの半世紀、小津と過ごした日々を懐かしく何度も思い出したりしたでしょう。
本更新のあと見る予定の『小早川家の秋』(1961)が、小津と原のコンビによる最後の作品となります。