数日前、録画しておきながらなかなか見ることができなかった映画を見ました。
このところは、生誕120年を記念して放送された映画監督・小津安二郎(1903~1963)の後期作品七作品を放送された順に見て、本コーナーで取り上げることをしました。
それが、なかなか見られなかった理由となります。
見たのは、『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(2015)です。一週間前の月曜日(18日)にNHK BSで放送され、録画しておきました。
現代は”Trumbo”だけです。日本でも彼を知る人には説明がいりません。しかし、米国よりはそういう人が少ないと考えたのか、トランボを説明するようなタイトルをつけています。
グレゴリー・ペック(1916~2003)とオードリー・ヘプバーン(1929~1993)が共演した『ローマの休日』(1953)は、見たことがある人や、そんな映画があるのを知っている人が多いでしょう。
この作品の脚本を書いたのが、今回取り上げる作品で描かれている脚本家のダルトン・トランボです。同作品は、「アカデミー原案賞」を受賞しています。
しかし、その賞が授与される場にトランボはいませんでした。作品で紹介されるタイトルにもトランボの代わりに、イアン・マクレラン・ハンター(1915~1991)の名がありました。
どうしてトランボが執筆しながら、トランボの名を作品に刻めなかったのかも本作品で描かれています。
先の世界大戦のさなか、米国は共産主義を敵視する政策に傾き、それにより、映画界で働く人間の赤狩りを始めています。トランボがその標的により、仕事を奪われたのです。
今も昔も、米国と英国が手を組むと碌なことが起きません。先の世界大戦にしても、戦争に参加するのを躊躇していた米国を、英国のウィンストン・チャーチル(1874~1965)自身が劣勢に立たされたことで、引き入れています。
米国は外敵を作ることで、内政を収めようとします。戦争が終わったあとのことを考えた米国は、大戦が終わった以降は、自国の軍需産業を守るためにも、反共で行こうと決めたのだと思います。
その自分勝手な考え方が、統一教会の政治部門である国際勝共連合を通じて、自民党の清和会に浸透させています。
保守を自認する清和会の議員やその周りのいわゆる文化人、近い考えを持つ人間は、何かといえば反共を叫ぶのはそのためです。中国やロシアにアレルギー反応を示します。
それでいて、彼らを操る米国にはひと言も文句をいえないのです。その分野の文化人を気取る櫻井よしこ(1945~)などはその典型です。
このような自分勝手な連中が始めたのが米国の赤狩りで、トランボはその被害者です。
映画のラスト、トランボ自身が当時を語る映像が流れます。その中で、十三歳になった娘のことを話します。娘が三歳のときにトランボは赤狩りの被害に遭い、それから十年間、娘は友達に訊かれても、自分の父親の仕事についてはひと言も話せなかったと話します。
今の新コロ騒動でも同じ構図があります。この騒動に協力するのが主流派で、騒動に異議を唱えるものは悲愁流派にされ、陰謀論者扱いされています。
主流派の人間はテレビや新聞に登場し、デタラメな論説を垂れ流し、大学教授であれば、そのことで栄転したりしています。
トランボは好きなだけ映画の脚本を書きたいのに、彼と関ることで不利益を被ることを知っているため、誰も彼の脚本を使おうとしません。
家族を抱えるトランボは、食べていくため、自分の名を伏せて、自分が書いた脚本を友人など、別の人間が書いたことにして、発表します。
『ローマの休日』がそんな一作品でした。
実在のトランボがそうであったのでしょう。トランボは仕事に専念するため、バスタブに浸かった状態で、自分が書いた脚本の手直しなどをします。
仕事中は家族の要求にも耳を貸しません。あるときは、長女の十七歳(だったかな?)の誕生日で、娘が父を過ごす時間を持ちたいといいますが、トランボはそれを一蹴します。
娘の我慢の糸が切れ、爆発することもありました。また、妻との仲も険悪になることもありました。そんな家族との軋轢も描かれています。
本作を見ることで株を下げたのはジョン・ウェイン( 1907~1979)です。彼は主流派に回り、トランボなどの「赤」を追及することに懸命です。
今の新コロ騒動でいえば、デタラメなことを吹聴し、そのおこぼれに預かる連中と同じです。
一方で株を上げたのは、カーク・ダグラス(1916~2020)とオットー・プレミンジャー(1905~1986)です。
カーク・ダグラスは単身でトランボ宅を訪れ、別の脚本家が書いた脚本がダメなので、トランボに書いてくれるよう頼みます。その行動がダグラスに不利なことがわかっていながら、ダグラスはその行動に出ているのです。
そのようにして作られたのが、スタンリー・キューブリックが監督し、ダグラスが主演した『スパルタカス』(1960)です。
オットー・プレミンジャーは映画監督です。彼も、自分の不利益を顧みず、トランボに『エクソダス 栄光への脱出』(1960)の脚本を依頼しています。
私は、プレミンジャーと聞いて思い出すのは、ビリー・ワイルダー監督(1906~ 2002)の『第十七捕虜収容所』(1953)です。その作品に、彼は俳優として出演し、ドイツ軍の将校をユーモラスに、そして、嫌みたっぷりに演じています。
自分の信念を通すか、それとも、それに背いても楽な生き方をするかはそれぞれの人の考え方ひとつです。
どちらの生き方を選んでも、人生は長くても八十年程度です。自分が得た名誉も金も墓場まで持って行けません。わかっていますか? 人生なんて、ひとときの夢のようなものです。
それを考えたら、自分の信念に沿うのが最もいいように私は考えますけれど。