今年が、映画監督・小津安二郎(1903~1963)の生誕120年にあたることから、小津の誕生日であり、また、命日でもある今月12日から、NHK BSとBS松竹東急で、デジタル修復された小津の後期作品が、今わかっているところで、七作品が放送中です。
私はこれらをすべて録画し、順に見ているところです。
昨日は、水曜日(13日)にBS松竹東急で放送された『宗方姉妹』(1950)を見ました。
代表作の『東京物語』(1953)などに比べると、知る人ぞ知る作品になりましょうか。私はこの作品があることも知らずにいたぐらいですから、今回、初めて見ました。
小津といえば松竹映画を代表する映画監督です。その小津が、当時、文芸大作路線に力を入れていたという新東宝に請われてメガホンをとった作品です。
小津としても、松竹以外では初めの作品になります。
公開されたのは1950年ですから、本コーナーで前回取り上げた『晩春』(1949)の翌年になります。
今、BS松竹東急で放送されている小津作品は、たしかすべて4Kデジタル修復版だったと思いますが、それにしても、本作はフィルムの傷(いた)みが進み、デジタルでも修復が難しかったように感じます。
『東京物語』について書かれたネットの事典ウィキペディアによると、『東京物語』の「オリジナル・ネガは、1960年の横浜シネマ現像所火災(16ミリ縮小版を作成中だった)により消失し、現存しない」とのことです。
今でこそ、映画は芸術作品に加えられ、厳重に保存されるようになりました。小津が作品を発表している頃は、まだその意識が低く、フィルムの扱いにもそれほど気をつけなかったといえましょう。
今回取り上げる『宗方姉妹』は、他の小津作品に比べて関心が低いのか、ウィキペディアの記述も十分ではありません。
本作は、大佛次郎(おさらぎ・じろう)(1897~1973)の同名小説を原作としています。
主演女優は原節子(1920~2015)ではありません。田中絹代(1909~1977)と高峰秀子(1924~2010)によって、性格が異なる姉妹を描いています。
田中が演じる姉の名は、原節子の芸名と同じ「節子」です。節子はいつも和服を着て、伝統を尊ぶような生き方をしています。
高峰が演じる妹は満里子といい、姉とは対照的に、現代的な女性として描いています。
今の時代にも、「今どきの若い者は」といったいわれ方がされますが、本作の当時も同じように、満里子の現代っ子ぶりを節子はたしなめます。
流行に飛びつく満里子に、節子は次のようなことをいいます。
あたし、古くならないことが新しいことだと思うのよ。あなたの新しいってことは、去年流行った長いスカートが、今年は短くなるってことじゃない?
満里子は、姉に小言をいわれるたび、彼女の癖で舌をペロッと出します。それをすることで、満里子の不満が少しは解消されるのでしょう。
節子には夫の亮助がいます。節子と亮助は謎めいた夫婦です。亮助は失業中で、いつも家にいて、着流しを着ています。
演じているのは山村聡(1910~ 2000)です。山村は『東京物語』で、笠智衆(1904~1993)演じる平山周吉の長男を演じました。そのときは、東京の下町で町医者をする役でした。
亮助は日中、二階の自分の部屋で過ごし、気が向けば、酒を飲みに行くといった生活ぶりです。気難しく、節子は亮助の機嫌を損ねないよう、常に気を使っています。
その夫婦を妹の満里子は批判的に眺めています。満里子は義兄が嫌いで、そのことを亮助にも隠しません。
山村が演じる亮助は、髪を伸ばしてかき上げていることもあって、どこか、芥川龍之介(1892~1927)を彷彿とさせます。
それでいて、亮助は猫に声を掛け、自分の膝にのせたりもするのです。
亮助が働いていないため、節子はバーを経営し、家計を支えています。
後期の小津作品には欠かせない笠智衆が本作にも出演しています。宗方姉妹の父親の役で、父は姉妹とは離れ、ひとりで京都に間借りした寺に住んでいます。
笠は、小津のほかの作品に比べ、登場シーンは少なめです。
節子が亮助と結婚する前に付き合っていた田代宏という男が、節子の前に現れます。宏は見るからにモダンな男性です。誰が演じているのかと思ったら、若き日の上原謙(1909~1991)です。
上原を知らない人も、加山雄三(1937~)の父だといえば、そうなのかと思ってもらえるでしょう。
どうやら、亮助は、節子が宏と付き合っていた頃に書き残した日記を読んでおり、それ以降、節子に冷たく当たるようになったようです。
本作を見る観客としては、いつ、亮助が節子に怒りを爆発させるのかとハラハラさせられます。
終盤、とうとう亮助がそれを爆発させます。それが非常に過激です。
亮助は「何を!」と座っていた椅子から勢い込んで立ち上がると、畳に正座する節子の右頬を、右の掌で、渾身の力を込めて叩きます。それが四発続き、怒鳴ったあと、さらに三発叩きます。
いずれも、自分の掌が腫れそうなほどの暴力です。
節子は叩かれても口答えせず、最後まで叩かれ続けます。
このようなシーンを小津の作品で見るとは思いませんでした。
もちろん、実際には叩いていないでしょう。しかし、画面を見る限り、本当に叩いているように見えます。
もしも、節子の役に原節子を起用していたら、原作とは違っても、節子をもっと庇う演技にしたかもしれないと考えたりします。
亮助が部屋を飛び出したあとも、座敷に座る節子は居住まいを正したままです。乱れた髪が哀れを誘います。
今の時代に、このような設定で作品を撮ることは難しいように感じます。
それでも、現実の夫婦の間には、同じようなことが数えきれないほど起きているように想像します。
世の中のそれぞれの夫婦が、誰も知らない葛藤を抱えているということです。
当事者にある人が本作を見たら、どんな思いに囚われるでしょう。