2014/11/14 人望のなさを物語るYの逸話

本コーナーの昨日分は、将棋日本将棋連盟)の世界で密かに繰り広げられた人間模様めいたことを書きました。今回はその続編です。いずれも、ネットの事典「ウィキペディア」から貼られた先にある過去の週刊誌記事をもとに書いています。

昨日は、米長邦雄永世棋聖との腐れ縁ができてしまったことで、ほぼ20年間にわたって米長さんに仕え、挙げ句の果てに婚約者を寝取られてしまった元プロ棋士の桐谷広人さんについて書きました。

女流棋士のための「女流名人戦」実現のために動いていた桐谷さんに米長さんが近づき、自分の力で「女流名人戦」を作ってやるといわれた桐谷さんは、その言葉に感激したのでしょう。「それが実現したら20年間米長さんに尽くします」といってしまったことで米長さんとの間に生じた縁でした。

2014/11/13 Yに人生を狂わされた桐谷さん

本コーナーでは将棋日本将棋連盟)について何度も書いていますが、今回は将棋界のダークな人物について書いてみます。

私は人との付き合いが極めて少ないためによく知りませんが、どんな世界にも背中に「取扱注意」と貼られているような人間が存在するでしょう。この場合の注意の度合いも千差万別で、厄介程度で済む場合もあれば、最悪の場合は、関わりを持ったがために人生を破滅させられてしまう! ようなこともあるでしょう。これから取り上げる人物は、極めて危険な人物のように思われます。

この人はすでにこの世から去りましたので、今後は危害が及ぶことはありませんが、生前、テレビなどで取り上げられることも多かったその人物は、人々に好印象を残したように思います。

あれは、今期「竜王戦」第3局の1日目でした。私は午前の対局の模様をネットの動画共有サイト「ニコニコ動画」で見ていました。

2012/09/07 人脈に意外な接点・通済と國起

前回は、一貫して個人が所有し続けてきた尖閣諸島の3島を国が買い上げることでほぼ合意したとの報道に対するネットの反応を、この種の観察に最も適していると思われる巨大掲示板「2ちゃんねる」で確認し、その感想めいたことも含めて書きました。

今回はその続編で、尖閣3島の現時点の地権者であるさいたま市の栗原家の内情について書くつもりです。ただ、 子供の頃から道草が好きなσ(^_^) 私でありますので、途中で横路に逸れる可能性もないではない、どころか、その可能性大です。

ネットが発達したことで、それまでであれば図書館へでも行き、膨大な書物の山から希望の情報を得なければ入手できなかったのが、今はネットで検索するだけで、こちらが予期しなかった情報までもが容易く得られるようになりました。

これは非常に便利である反面、自分や親族などに、第三者の目からは遠ざけておきたいような事情を抱えるような人にとっては、実に厄介な状況といえましょうか。

私は、今の地権者である栗原國起(くりはら・くにおき)氏について知りたいと思い、ネットで検索していたところ、かつて、國起さんが菅原通済という人物とつながりを持っていたことを偶然知りました。

2012/11/07 雪村いづみさんの前向きな生き方に触れて

雪村いづみって知ってる?」と若い人に訊いたなら、ほとんどの人は「知らない」「全然知らない」「聞いたこともない」と答えるでしょう。σ(^_^) 私は、若い人よりは若くないため(←回りくどいいい方だなぁ(^m^))、「知らない」ことはありません。ただ、一番活躍していた頃のことは知りません。

若い人であっても、朝比奈マリアさんなら「知っている」と答える人がいるでしょうか。彼女のお母さんが雪村いづみさんです。

本日分を更新するにあたり、ネットの事典「ウィキペディア」で、私はにわか知識を仕入れたばかりです。雪村さんは、東京オリンピックが開催される数年前、アメリカに渡って自慢の歌を披露し、全米12都市を回る公演の中心的存在となり、アメリカのテレビ番組にも数多く出演し、1961年、アメリカの有名雑誌『LIFE』4月号の表紙に顔写真が使われるなど、世界で通用する日本初のスターなのでした。

ここまで凄い人だったとは、私はまったく知りませんでした。

私が本コーナーで雪村さんを取り上げようと思ったのは、今月3日夜に放送された「SONGS」に雪村さんが登場し、録画してあった番組をおとといになって見たことです。

2011/02/17 「さよならレザン」も放送した番組のテーマ曲をリクエスト

本日も、本コーナーは思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて更新しています。なお、トークは前日の夜に行っています。

本日分の内容につきましては、音声ファイルでご確認下さい。で、そうされない場合は、下にトークを要約して書き起こしていますので、それをお読みになって、トークのだいたいの流れをご想像下さい。

なお、音声ファイルはmp3方式にて紹介しています。再生箇所は前後に自由に移動させることができる、と思いますので、下の書き起こしで見当をつけ、聴いてみたい部分だけを“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(^ー^)ノ

インディの鞭の気まぐれトーク〔2011.2.16〕

2004/01/01 『星影のワルツ』誕生秘話

年末年始といえば、一年の中でも特別番組が目白押しの時期に当たるわけですが、昨年末、私にとってはこれといって興味をそそられる番組はほとんどありませんでした。

昨日の大晦日はかつて国民的な番組といわれた「NHK紅白歌合戦」が放送されましたが、「紅白大嫌い人間」を自認する私はその番組にチャンネルを合わせるはずがありません。完全に見ることがありませんでした。

それにしても、一家団欒で「紅白」を見るという図が私にはどうにもイメージできません。子供の頃からそうしたことは一度もなかったと記憶しています。

個人的には、それが家族であっても、べたべたと接するのがどうにも苦手です。これは私の勝手なイメージなのかもしれませんが、特に日本の家庭というのは、妙な湿り気があるように思います。それがどうにも私には受け入れにくいのです。

動物に共通する本能的な恐怖

どこにどんな災難が待っているかわかったものではありません。これは9月10日の夕方に書いていますが、今、私は災難に遭遇しています。昨日の朝の時点でも、ここまでの災難は予想できませんでした。

この災難をもたらしているのは台風15号です。日本列島に接近する前は「コンパクトな台風」という特徴が伝えられました。これは強さを表しているわけではなく、あくまでも暴風域がコンパクトというような意味でしょう。

しかし私は、強さもコンパクトであるかのように都合よく錯覚し、たとえ直撃されるようなことがあっても、それほど甚大な被害はなさそうと気を緩めてしまいました。今にして思えば、これはとんでもない油断でした。

事前の予報通り、この日曜日(8日)の明け方に関東へ上陸し、北東方向へ縦断する形で太平洋へ抜けるコースを採りました。

関東南部の当地もこの影響を猛烈に受けました。それでも、上陸する前は、それほどとは考えていませんでした。台風の位置が気になり、未明にNHKの台風情報を見たりしました。その時間、当地周辺は特別荒れた様子もなく、その後の天候の急変も軽く見ていました。

2002/03/18 堤清二の述懐

【本日の名言】1960年代のはじめから小売・流通・ファッションといったビジネスの中にいた私は、自分が推進してきたのはこうした猥雑な都市を造ることだったのだろうかとい不安に捉われない訳にはいかなかった。(2002年3月18日 朝日新聞の記事)

本日の“名言”を吐かれたのは、堤清二氏です。

堤氏は長年セゾン・グループの中心に君臨された方ですが、1999年5月、グループの全ての役員を退かれた(セゾン文化財団理事長の肩書きだけは残る)そうです。

堤氏はまた、経営者としての肩書きの他、辻井喬のペンネームで数々の書籍も発表されています。その近著『伝統の創造力』岩波書店)の中に書かれているのが今回の述懐です。

ちなみにそこで語られている「都市」というのは、東京の渋谷の街です。

2013/06/03 因縁の対決「先崎学八段×行方尚史八段」解説は羽生善治三冠

何かの分野で秀で、誰からも「天才」といわれていた人が、あるときを境に「元天才」と扱われるようになったら、当人はどんな気分になるでしょうか。

たとえば、学校の成績がよく、常に学年で一番の成績だった人は、周りの友達や先生から「お前はやっぱり天才だよ」などと持ち上げられるかもしれません。いつもそういわれているうちに本人もその気になり、「ボクは天才だぁ(^○^)/」と思い込んでしまったりするかもしれません。

しかし、上の学校へ進学すると、井の中の蛙が広い世界を知って仰天するように、自分より遥かに学業に勝る人がこの世の中にはうじゃうじゃいることを知り、「ボクはやっぱり並みの人間だった__| ̄|○_はうぅ_」とショックを受けることがままあるでしょう。そんなとき、“元天才”は、それまでの反動で、耐えきれないほどの敗北感に苛まれることになる、ものかもしれません。人生はときに残酷です。

そんな“残酷”を子供の頃に体験した人が、昨日、テレビに登場しました。私はこれまで、その人がそんな体験をしていたことも知らず、その人をテレビで見てきました。将棋「日本将棋連盟」)のプロ棋士・先崎学(せんざき・まなぶ)八段です。

2002/09/16 なぎなたにかける女性

今日の産経新聞・地方版にちょっといい話が載っていますので紹介してみたいと思います。

「風が吹くとき 汗の記憶」と題された連載コーナーで、スポーツ(に限らないのか?)に打ち込む個人を一人ずつ紹介しているのですが、今日は「なぎなた」にかける女性(30)についての記事です。

まず、本文の前に一回りもふた回りも大きな文字で綴られた文章が読む者の目を引きます。そこには、彼女のかつての心の迷いが次のように綴られています。

「もう普通の女の子になろう」。自由を求めて進学した大学。「周りはみんな輝いている」。妙なあせりと、いらだちがこみ上げてきた。