2013/06/03 因縁の対決「先崎学八段×行方尚史八段」解説は羽生善治三冠

何かの分野で秀で、誰からも「天才」といわれていた人が、あるときを境に「元天才」と扱われるようになったら、当人はどんな気分になるでしょうか。

たとえば、学校の成績がよく、常に学年で一番の成績だった人は、周りの友達や先生から「お前はやっぱり天才だよ」などと持ち上げられるかもしれません。いつもそういわれているうちに本人もその気になり、「ボクは天才だぁ(^○^)/」と思い込んでしまったりするかもしれません。

しかし、上の学校へ進学すると、井の中の蛙が広い世界を知って仰天するように、自分より遥かに学業に勝る人がこの世の中にはうじゃうじゃいることを知り、「ボクはやっぱり並みの人間だった__| ̄|○_はうぅ_」とショックを受けることがままあるでしょう。そんなとき、“元天才”は、それまでの反動で、耐えきれないほどの敗北感に苛まれることになる、ものかもしれません。人生はときに残酷です。

そんな“残酷”を子供の頃に体験した人が、昨日、テレビに登場しました。私はこれまで、その人がそんな体験をしていたことも知らず、その人をテレビで見てきました。将棋「日本将棋連盟」)のプロ棋士・先崎学(せんざき・まなぶ)八段です。

私は、昨年まで将棋のルールは知らず、駒の並べ方や動かし方さえまったく知りませんでした。それなのに、テレビの将棋番組を見るのだけは好きで、何も知らずにテレビの画面に注目してきた、という変わった人間です(´・ω・`) そんなわけで、先崎さんのことは昔からよく知っており、先崎さんの解説は面白くて、昔から先崎さんのファンです。

その先崎さんが、毎週見ています「NHK杯テレビ将棋トーナメント」「NHKオンライン>NHK杯将棋」)に登場しました。相手はこのところ絶好調で、昨年の12月でしたか今年の1月でしたかには、最も上のクラスで、天才たちが1年をかけて名人への挑戦権を得るためにしのぎを削るA級(「順位戦」)への昇級を決めた行方尚史(なめかた・ひさし)八段です。あとで調べて知りましたが、行方さんが先崎さんより3歳年下で、おふたりとも青森県の出身だそうです。

対局の前に、それぞれの棋士の紹介があり、それを聞きながら、いまさらながら、先崎さんが早い時期に将棋のプロ棋士を目指していたことを知りました。また、昨日の解説を担当された羽生善治三冠と同い年であることを、昨日の対局中のお話で知り、意外に感じました。これは私の勝手な思い込みでしたが、てっきり先崎さんの方が年上だと思っていたからです。

お二人とも、「大阪万博」が開かれた1970年の生まれなのでした。

プロ棋士を目指す奨励会には、先崎さんが羽生さんより1年早く入ったため、先に昇級していってしまった先崎さんと羽生さんが小学生の頃に対局する機会はなかった、というような話を昨日の対局中の解説で羽生さんが話されました。ちなみに、昨日の放送は、録画しながらオンタイム(←「放送されている時間」というような意味で遣っています)でも見ました。

「NHK杯」の1回戦から羽生さんが解説で出演されるのを意外に感じました。また、ほかの対局のとき、羽生さんがどのような解説をされるかわかりませんが、昨日は、羽生さんの表情が硬いように私は感じました。このあいだ終わったばかりの「名人戦」で、挑戦者だった羽生さんを4勝1敗で下して名人を防衛した森内俊之名人は、まだ中学生で愛らしい竹俣紅(たけまた・べに)さんという女流棋士を弟子にしたことが知られていますが、羽生さんはひとりも弟子をとっていなかったと記憶しています。

森内さんといいますと、毎年、「こどもの日」にNHKEテレで放送される「小学生将棋名人戦」で今年の解説をされていました。全国の予選を勝ち抜いた“将来の名人”を目指すのであろう小学生棋士であってもまだ子供です。対局中にチャンスを見逃して負けてしまうこともあります。今年の準決勝、決勝でもそうしたことが起こりました。

対局が終えた後、駒を並べながら、「ここはこんな風に指したらどうったかな?」といったように、森内さんが子供たちにとても優しく対応していたのが印象に残りました。優しい性格であるのがよくわかります。ちなみに、森内さんがもしもプロの棋士になっていなかったら、電車の運転士になりたかった、と「ニコニコ動画」の将棋中継に森内さんが解説で出演されたときだったと記憶していますが、質問されて答えられていました。

話を先崎さんに戻します。羽生さんより1年早く奨励会入りしたと書きましたが、「小学生将棋名人戦」よりも早い時期、「よい子日本一決定戦」の小学校低学年の部に先崎さんと羽生さんが出場し、その時は先崎さんが優勝し、羽生さんは準優勝だったそうです。

奨励会に入る1年前といいますから、小学4年生のとき故 米長邦夫永世棋聖の内弟子となり、米長さんの家に住み込む生活を始められ、それは小学校を卒業するまで続いたそうです。

同じ時期、女流棋士として将来を嘱望された林葉直子さんも米長さんの内弟子となり、米長さんの家に住み込んでいたそうです。ふたりは、その家から新宿将棋センターへ通ったりしたそうで、小学校時代、ふたりは一人屋根の下でしばらく一緒に暮らしたことになります。

この林葉さんですが、その後、その美貌が災いの素になってしまったのか、当時、将棋連盟の会長をされていた中原誠十六世名人とのスキャンダル(中原誠:人物・エピソード>スキャンダル)がテレビでも取り上げられたのを憶えています。

2011年2月18日付の朝日新聞のコーナー「リレーおぴにおん・敗れざる40代の女子」に林葉さんが登場しています。その日の見出しは「将棋発 バブル経由 不運行き」です。

記事はインタビュー形式になっており、将棋界を去る原因となった中原会長との不倫騒動の顛末と思われることにも次のように述べています。

最初は私が電話番号のメモを渡したんです。電話がかかり、尊敬する上司に目をかけられたOLみたいな感じで舞い上がってた。でも、3カ月で飽きましたね。相手は有名人でしょ。ドライブにもレストランにも行けない。彼はとことんマイペース。定刻に来て、お酒飲んで_。

林葉さんは、本業であった将棋についても、次のような意外なことを述べています。

将棋の研究? 全然してません。実は棋譜も覚えられない。テレビ対局で盤面を戻す時は、お茶を飲むふりをして相手に並べてもらった。

私はいつも将棋の対局をテレビで見ていて、先の展開を予想して駒を動かし、それが終わるとまた元の状態に戻すのを見て、「よく元に戻せるものだなぁ」と呑気に感心したりします。でもこんなのはプロにとっては当たり前のことで、プロ棋士は頭の中だけで将棋が指せ、それだから対局中、盤から目を離して目を閉じていても、別に何も考えていないわけではなく、この先に予想される展開を頭の中で何通りも指しているのだ、といったような話を聞きます。

ですので、「棋譜を覚えられない」という林葉さんの正直な告白に驚きました。そして、小学生の頃に同じ屋根の下で暮らした経験を持つ先崎さんも、自分が指した対局の棋譜が覚えられない、とネットの事典「ウィキペディア」の記述にありました。それによれば、「対局後2日間は覚えているが1週間経つと怪しい」そうです(先崎学:人物・エピソード>その他のエピソード)。

小学校1年の時に将棋を覚え、その後めきめきとその才能を伸ばし、小学校低学年で全国一の実力を身につけ、先崎さんは「天才」と呼ばれたそうです。しかし、奨励会の2級から1級へ上がるのに2年近くかかり、その間に、かつては自分より下だと確信していた羽生さんに追い越されてしまい、のちに羽生世代と呼ばれることになる森内さんらにも次々追い抜かれてしまいます。

4段に昇段しなければプロの棋士にはなれません。その4段に羽生さんは史上3人目となる中学生で昇段を決めます(あとのおふたりは、加藤一二三さんと谷川浩司さんです)。そのとき、将棋雑誌に羽生さんの写真が掲載されたそうですが、そこには先崎さんも一緒に写っていたそうです。その写真のキャプションが“問題”で、羽生さんを「天才」として紹介しつつ、先崎さんは「本天才?」とされたそうです(先崎学:棋歴>プロ入りまで)。

雑誌にこの写真が載る前から、先崎さんは羽生さんにまったく歯が立たなくなり、顔を合わせるのも避けるようになっていったようです。それでも対抗心は持ち続けていたのでしょう。それだから、先崎さんが4段プロデビューするまで、羽生さんと話をすることができなくなってしまったのだそうです。

なお、少年時代、先崎さんは吃音だったそうです。今ではそれが信じられないくらい、テレビの将棋番組で名解説をされています。もっとも、未だに吃音であっても、将棋であれば黙っていても指せますから、支障はなかったでしょうか(´・ω・`)?

そういえば、昨日の対局には気合が入っていました。もしかしたら、過去のエピソードが両対局者に少しは影響していたでしょうか?

私は今期の「将棋名人戦」中継を「ニコニコ動画」でも少し見ましたが、解説者として出演された鈴木大介八段が、将棋界の裏話的な話として、「時には取っ組み合いの喧嘩になり、灰皿が飛ぶこともある」と語り、鈴木さんは「まあまあ、まあまあ、、、」と止め役に回るのがもっぱら、ということでした。そのときは、棋士の名前は述べませんでした。

それが昨日、テレビの対局を見たあと、「ウィキペディア」で先崎さんについて書かれた記述を読むうち、「もしかしたら、先崎さんと行方さんの喧嘩のことをいっていたのかなぁ」と気がつきました。

そこにあった記述によれば、棋士仲間で酒を飲んだとき、酔った行方さんが「ひどいヘボをやった。先崎レベルの将棋になってしまった」と口走ってしまい、それを先崎さんが聞きとがめ、「もう一度いってみろ! いったら灰皿投げるぞ!」と反撃に出たそうです。結局は本当に灰皿が飛ぶ展開となってしまったそうで、もしその場に鈴木八段もいたのであれば、間に入って「まあまあ、、、」と止めたのでしょうか。

その後ふたりは仲直りしたそうですが、NHKで放送される対局で顔を合わせることになり、お互いいつも以上に気合が入った、かもしれません。終盤は、先崎さんが思わず立膝にならんばかりに白熱する場面がありしました。結果は、今絶好調の行方八段が先崎八段を破って2回戦に駒を進めました。なお、昨日の放送は録画してありますので、このまま保存しておくことにします。

解説をされた羽生さんとしても、先崎さんがかつて自分に対してどのような感情を抱いていたのかなど、ある程度は承知しているでしょう。それだから昨日の対局の解説に選ばれたのかどうかわかりませんが、妙に羽生さんの表情が硬く感じられたのも、そうしたもろもろの思いが表情に表れていた、といえなくもないかもしれません。全然関係なく、私だけがそう感じた、だけというのが“真相”かもしれませんがf(^_^)

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