本日も、本コーナーは思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて更新しています。なお、トークは前日の夜に行っています。
本日分の内容につきましては、音声ファイルでご確認下さい。で、そうされない場合は、下にトークを要約して書き起こしていますので、それをお読みになって、トークのだいたいの流れをご想像下さい。
なお、音声ファイルはmp3方式にて紹介しています。再生箇所は前後に自由に移動させることができる、と思いますので、下の書き起こしで見当をつけ、聴いてみたい部分だけを“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(^ー^)ノ
トークを要約した書き起こし
今回もしゃべり慣れた、、、といっても、この時間にしゃべることに慣れているだけで、しゃべり方そのものはいつまでたっても上達せず、ボソボソといった感じのしゃべり方のままf(^_^) でも、ま、自分でもしゃべりがうまくなりたいとはちっとも思わないので、その点に関しては、何も考えていない。
で、私がしゃべり慣れた時間といえば夜。ただ、夜といってもほかの人に比べたら“早い夜”。毎晩午後9時前には眠る習慣のため、午後7時半を回れば、私にとっては充分、“夜”になる。そんな時間にトークをしているが、そのトークのための気象情報を、毎日午後7時前にNHKのテレビでチェックするが、うまいことにというか、そのコーナーの放送が始まるのがだいたい午後6時52分。
今回は、その2分前まで放送になっていたNHK-FMのリクエスト番組「サンセットパーク」の話をすることにする。
この番組を私が聴き始めたのは1983年。今年は2011年なので、これから1983を引けば私が「サンセットパーク」が放送されている時間帯の番組(今の番組名になる前は「FM夕べの広場」あるいは「夕べのひととき」といっていたが、午後6時台の放送で、番組内容もそれほど変わらない)を聴き続けた年数になる。こんな計算は小学生でも暗算でできるだろうが、計算の苦手なσ(^_^)私は計算機で計算した。答えは【28年】だった。
この慣れ親しんだ「サンセットパーク」が今年度限りで終了してしまう。放送を送り出すNHKが判断したことなので、仕方がない。2月も残り10日あまり。あとひと月ちょっとで放送が聴けなくなる。いざ終了したら、どんな気持ちになるだろう(´・ω・`)? それを考え出すと、夜、眠れなくなる?
この番組は曜日ごとにかかる音楽のジャンルが分かれており、月曜が洋楽、火曜がJ-POP、そして今日(16日)水曜がインストゥルメンタル、イージーリスニングで、明日木曜が映画音楽、そして週の終わり金曜がジャズ。
また、番組ではリクエストの募集テーマも設けており、放送が終わったばかりの水曜日の今日(16日)は、「テレビの音楽」で募集された。
また、番組のパーソナリティは、この1月までの3年間近くは種村祐美子さんが月曜と水曜、山本由布子さんが火曜と木曜のパーソナリティと選曲を担当し、ジャズの金曜日はおふたりが基本的には一週交代で担当されていた。
それが、1月いっぱいで種村さんは番組から“卒業”され、代わって横山亜紀子さんが担当されるようになった。山本さんは年度いっぱいというか、番組終了まで担当されるようだ。
というわけで、今日(16日)は横山さんが担当される曜日だったが、ピンチヒッターでNHKの田中秀樹アナウンサーが登場し、「テレビの音楽」でリクエストを募った。
これだけだったらトークで取り上げることはなかったが、私も今日の放送宛てにリクエストをしたため、それに絡めたトークをすることにした。
テレビの番組には様々なジャンルがあるが、私は昔からドキュメンタリー番組が好きで、今回のリクエストにもドキュメンタリーから一本を選んでいる。私が選んだのは、かつてNHKで放送されていた「にんげんドキュメント」。トークではこの番組が放送されていた年を勘違いしているが、正確には1988年から1989年まで、毎週木曜日の夜に放送され、そのあと間を置いて、2000年時点も放送されている。
この番組のテーマ曲は、加古隆(かこ・たかし)さんが作曲した『黄昏のワルツ』で、哀愁を帯びたこの曲が好きな私は番組宛てにリクエストしている。しかし、前日になって慌ててリクエストし、メッセージを添えた“本リクエスト”は放送当日の朝になってしまい、それもあってか番組では不採用だった。
この「にんげんドキュメント」で放送されたある回が私も忘れられない。今回のリクエストのために改めてネットで調べると、初回の放送は2000年9月14日に放送されているが、自分の記憶が正しければ、私はその年の年末に再放送された分を見ていると思う。
その回の番組につけられたタイトルは「さよならレザン・盲導犬とテノール歌手」。このタイトルを見ただけで、私にはあのラストシーンが甦ってくる。それほど、忘れがたい番組であった。
2000年といえば、5月に父が亡くなり、10月に姉が亡くなった年だ。母は亡くなって今年で19年になり、2000年の時点で、肉親と呼べる人はひとりもいなくなってしまった。そんな年の暮れに「さよならレザン」が秀作ドキュメンタリーの形で放送になり、両親や姉のことが思い出され、最後は涙でテレビの画面が霞んでしまった。
タイトルにある「レザン」というのは、番組に登場する盲導犬(「日本盲導犬協会」)の名前。飼い主は、テノール歌手をする天野亨さん(「音楽に心を乗せて 天野亨の雑記帳」)。放送された当時、天野さんはは36歳であった。
天野さんは、2歳の時に失明し、全盲となられたそうだ。その上、ご両親が離婚をし、父親の手で育てられている。天野さんには視覚がなく、耳から聞こえてくる音が外界を一番意識させてくれるものなのかもしれない。だからか、歌うことが小さいときから好きで、音楽大学へ進み、卒業後はテノール歌手として活動されている。
大学を卒業後は、自分ひとりで生きていく覚悟を決め、活動の“相棒”として盲導犬を飼うようになったそうだ。レザンは天野さんにとり、2頭目の“相棒”だそうだ。ちなみに、1頭目は、天野さんの膝の上で息を引き取ったそうだ。
天野さんにとって2頭目の“相棒”となったのがレザン。性別はメスだそうだ。盲導犬として訓練を受けた犬というのは、一緒に電車に乗っても、飼い主の足元に伏せをした格好でじっとしている。
天野さんはプロの声楽家として全国を飛び回り、“相棒”のレザンなくしてはその活動に支障が出てしまう。そのレザンは、普通の盲導犬にくらべて飼い主の活動範囲が広かったこともあるのか、後ろ脚を痛めてしまった。
レザンは地下鉄の駅などへ続く下り階段が最も苦手だそうだ。しかし、飼い主を安全に目的地へ運ぶ任務があるため、苦手などといっていられない。そうしたことが積み重なり、悪い脚をかばっていたために今度は背骨が曲がるなど、盲導犬としてやっていくことが難しいと獣医から判断が下される。
ペットとして飼っている犬であれば、脚が悪かろうと手元から手放す必要もないが、自分の“杖”代わりの犬であるため、新しい盲導犬に頼るしかない。また、レザンを自分のところに置いたまま新しい盲導犬を飼うと、焼きもちを焼いたりして好ましくないそうだ。そこで、レザンは新しい飼い主に飼ってもらうことを覚悟する。
レザンと生活をするようになって5年間。寝るときもベッドのそばにいるような生活をしてきた天野さんにとり、レザンは自分の家族であり、ときには自分の悩みを聞いてもらう“恋人”のような存在であっただろう。その“相棒”と別れなければならない。
その心境を問われ、天野さんは答えに困っていた。天野さんがレザンがある小学校に招かれ、子供たちの前で披露する場面がある。それが、レザンとの最後のステージになる。その場面を、音声で聞いてもらっている。ナレーションを担当しているのは斉藤由貴さん。
最後に天野さんが披露した歌は、これもNHKの「生きもの地球紀行」という番組のテーマ曲で、私もこの番組は毎週見ていた。曲名は『BELIEVE』といい、聴いているとジーンと来てしまい、私も大好きな歌だ。
この歌を子供たちの前で披露していた天野さんは、歌手生活12年目にして初めて歌が途切れてしまう。するとすかさず聴いていた子供たちから手拍子が起き、励まされるように天野さんの歌が続く感動的なシーン。レザンも、いつもと違う天野さんを心配しただろうと思う。
このあとはレザンとの別れ。前の晩、天野さんはレザンの“嫁入り支度”をする。レザンが使っていたエサを食べる皿や毛をとかすブラシなどを紙袋にいれてやる。ひとつひとつに思い出があるだろうと思い、それを見ているだけで切なくなる。
ラストシーンが近づいてくる。天野さんはレザンと一緒に、新しい飼い主のお宅へ向かう。レザンと一緒に歩くのもこの日が最後。犬の動きを知るハーネスにレザンをつなぐのもこれが最後。レザンの新しい飼い主となるのは優しそうなご夫婦だ。
天野さんは眼が見えないのに、見える人以上に明るい声でお話をされる。レザンとの最後の時間も、楽しそうに新しい飼い主と会話されている。番組のラストも音声で聞いてもらっている。
いよいよ別れのシーン。天野さんはレザンに「そこにいなさい」と最後の命令をする。いつもであれば、レザンは天野さんに命令に従ってその場でじっとしていただろう。しかし、自分を置いて立ち去る姿に居ても立ってもいられなくなり、天野さんのあとを追って玄関先まで来てしまう。
天野さんはレザンの飼い主となるご夫婦に挨拶して外へ出る。天野さんを見送るレザン。外に出た天野さんの脇にレザンはもういない。それまでレザンと天野さんを結んでいたハーネスを肩に掛け、白い杖で行く手を探りながら道を帰っていく。その場面に今回私がリクエストした『黄昏のワルツ』が流れる。
天野さんは眼が見えないが、それだけに、気配というものを見える人以上に感じるだろう。だから、レザンが自分の後ろ姿をどんな風に見送ったのかも察していただろう。それでも、後ろを振り返らずに歩いていく。
私事だが、19年前に亡くなった私の母は、私が子供の頃から病気がちで、まだ乳離れする前も病院に入院していた。父に添い寝されて眠った私は、父の耳たぶを触っていたらしい。母親の乳房を触る感覚で父の耳を触っていたらしいことをあとで知る。その癖があとまで残り、母の耳たぶをよく触っていたのを憶えている。
病気がちだった母は私が中学生のときに失明し、眼がまったく見えなくなった。盲目の天野さんの姿に、同じように眼の見えなかった母親の姿が重なったりしたこともあり、その場面の音声を聞いてもらったあとのトークが途切れがちになってしまった。お恥ずかしい限りである。しかし、こんな情けないのも自分ということでf(^_^)