熊澤被告の真の殺害動機は何か

11日、東京地方裁判所で、ある殺人事件に関する裁判員裁判の初公判が始まりました。

被告として出廷したのは、元農林水産事務次官の熊澤英昭被告(76)です。この名前を出しただけで、どんな事件の被告かすぐに思い当るでしょう。

今年6月1日の午後、都内の自宅で、実の息子を刃物で数十カ所刺して殺した事件です(今日、デジタル朝日にあった記事で、傷の数が36カ所以上あったことを知りました)。

被告の元エリート官僚は、少し前に神奈川県川崎市で発生した無差別殺傷事件を知り、自分の息子も同様の事件を起こしてしまうのではと危惧し、やむを得ず殺害したというような供述をした、と事件直後には報じられました。

殺された息子の英一郎氏(当時44)は、ひきこもりだったと伝えられ、それ以前から、マスメディアは事あるごとに、ひきこもりを問題視していたため、それに焦点を合わせるように大々的に報じました。

私はこの事件を報じた『週刊文春』を読むなどして背景を想像し、果たして当時の熊澤容疑者がいったとされた動機が真実のなのかと疑い、本コーナーでも取り上げています。

Yahoo!ニュースでも関連記事が多数表示され、たくさんのコメントが書き込まれていましたが、大半は熊澤容疑者を擁護するものでした。

それらの中には、被告の隣にある小学校で無差別事件が起きたかもしれず、それを未然に防いでくれた、と熊沢容疑者を称えるものまでありました。

警察に連行される熊澤英昭容疑者
警察に連行される熊澤英昭容疑者

警察に自首した直後、熊澤容疑者は確かにそのようなことを捜査員に述べています。事件当日は日曜日で、自宅に隣接する小学校では運動会が開かれました。

その騒音に英一郎氏が苛立ち、「殺す」などと口走るのを聞いた熊澤被告は、少し前に川崎で起きた事件を連想し、それは阻止しなければならないと、咄嗟に台所にあった包丁を取り、命を奪った、というような話がまことしやかに報じられました。

私はこの話を聞いただけでヘンだと感じました。

英一郎氏は44歳で命を落としています。一方の熊技被告は76歳です。しかも、英一郎氏の身体は熊澤氏より大きいと思われます。

この年齢と体力を考え合わせ、一方的に熊澤被告が英一郎氏の命を奪うことができるだろうかと疑問を持ちました。

しかも、やむを得ず命を奪ったというのに、遺体には数十カ所の刺し傷があったと報じられました。

先頃、同居する兄が、妹と3歳の甥を刺し殺す事件がありました。この事件でも、刺し傷は多数あったと伝えられました。

これも、妹と甥を思い、兄がやむを得ず殺したことにはならないでしょう。

数十カ所も相手を刺したとなれば、強い怨恨が疑わなければなりません。

この事件直後に報じた『週刊文春』に、熊技被告の実妹の声が載っていました。その締めくくりに次のようにあり、私は強い違和感を持ちました。

(兄は)本当に武士ですよね_

殺害場面を時代劇にした時のことを想像してみてください。熊澤被告の実妹が「武士ですよね」と最大限に評する被告は、刃物を実の息子の身体に数十カ所も刺しているのです。

この子殺しの侍役をたとえば高倉健に依頼したらどうでしょう。おそらく、高倉は、その脚本を渡された段階で、誘いの話を断るでしょう。

こんな無様な武士は演じたくありません。

とぶっきらぼうに。

黒澤明の代表作に『羅生門』があります。森の中で武士が殺され、それを調べるため、関係者に一人ずつ状況を訊く筋立てです。

その武士を殺した盗賊の多襄丸(たじょうまる)は、正々堂々と戦い、自分が武士をしとめたと自慢げに答えます。事件直後の熊澤被告の証言がこれに通じます。それを知った被告の実妹が、立派な武士と褒めたたえます。

この作品を私はリバイバル上映されたときにも見ていますが、印象に残ったのは、実に無様な決闘シーンを見たと語る杣(そま)売りの証言です。

その男が見たのは、武士と盗賊は互いに刀を抜いてはみたものの、自分の命を失う恐怖に打ちのめされ、腰を引けるだけ引いて、相手の動きを神経質に観察します。隙を見て、悲鳴を挙げながら刀をちょこっと前へ突き立ては、慌ててあとずさりすることを繰り返します。

これを両者が延々と繰り返し、何かの拍子に盗賊が武士の身体に刀を刺さり、仕留めることができたに過ぎないのでした。

時代劇の決闘シーンでこのように描くことはありません。しかし、ここで描かれたシーンこそが、武士たちの決闘シーンの真実であろうと私は考えました。自分の命を簡単に捨てられる人間など、人が刀で闘っていた頃にもいなかったでしょう。

熊澤被告にしても、実妹に「武士らしい」といった殺害はしておらず、実の息子を殺す恐怖で、自分でも悲鳴を挙げながら、無我夢中になってめった刺ししたでしょう。

昨日の公判で、裁判員から、川崎で起きた殺傷事件の影響について質問があったそうです。

これが肝心要なことで、それだから殺さざるを得なかったと被告は事件直後に述べ、その行動を称賛する無責任な一般人の声までありました。

ところが、産経新聞の記事には次のようにあります。

「(川崎の事件の)容疑者の境遇が長男と似ているという感じを持った」と答えた一方、川崎の事件を受けて、長男が自分を襲うという連想はしなかったと述べた。

このやり取りは少し変ですね。川崎の事件の犯人は、他人に刃物を向けたのであり、肉親にではありません。それなのに、熊澤被告は「自分を襲うという連想はしなかった」と述べたとされています。

事件直後は、隣接する小学校の児童を襲う恐れがあったから、咄嗟に殺したと述べていたハズです。裁判になり、被告の動機が様変わりした印象です。

また、犯行に使った刃物が未だに特定されていないように私には思われます。公判を報じる記事でも、それが揺れ動いているからです。

昨日の朝日新聞では「台所にあった包丁」とされています。一方、昨日の日経新聞は「被告が農水省勤務時に治水事業の記念品として贈られた」包丁、と検察側が述べたことを書いています。

命を奪われることになる英一郎氏は、事件の一週間ほど前の5月25日に自宅に戻っています。それまで、彼は東京・目白にある庭付きの一戸建てに独りで暮らしています。

この家は、母親が名義を持つ家で、英一郎氏が大学1年夏頃から住んでいたそうです。ということは、25年ぶりに実家に戻ったことになります。

被告の弁護士は、自宅に戻った英一郎氏に、熊沢被告がゴミ出しについて文句がましいことをつぶやいたことがきっかけでトラブルに発展し、被告を外まで追い回して暴力を振るうなどし、恐れた被告夫婦は、英一郎氏を1階に住まわせ、自分たちは2階に逃げて暮らした、と証言したそうです。

しかし、昨日の公判で、検察側はその証言に疑問を呈します。そのあたりは、今日の朝日新聞が伝えています。

被告が「妻と2階でおびえていた」というわりには、被告は妻とふたりで、犯行に及ぶまでのほぼ毎日外出するなど、普段と変わらない生活をしていた、という供述を被告から得ていたからです。

昨日の公判には、被告夫婦から損段を受けていた精神科医も参考人として呼ばれ、質問を受けています。

家では朝日、日経、産経、地方紙の4紙を取っており、4紙が伝える本事件の公判の記事に目を通しました。

地方紙は除き、主要3紙を比べますと、英一郎氏がアスペルガー症候群と診断されていたことを伝えるのは産経だけでした。

本コーナーで本事件を取り上げた中でも、英一郎氏が特定のことに強いこだわりを見せたとする同級生の話が『週刊文春』の記事にあったことなどから、発達障害の疑いについて書きました。

また、別の投稿で、ひきこもりを続けざるを得ない人の中に、発達障害を持つ人が少ないことを伝えたNHKの記事も本コーナーで紹介しています。

発達障害につきましては、11日の朝日新聞「声欄」で、「どう思いますか 大人の発達障害 ともに」として、4人の読者の声を紹介しています。

24歳になる発達障害を持つ娘を持つという女性は、ある日の出来事を紹介しています。

娘が自分の障害をわかって欲しいと熱弁を振るったそうですが、それを聞く家族と十分わかり合うことができなかったのか、堂々巡りになってしまったそうです。

すると、娘は烈火の如く怒り、号泣した、と書かれています。

投書の最後には、接し方にはまだ迷いがあるとあります。

ほかにも、苦心して息子や娘と接する親たちの声が寄せられています。

熊澤被告の場合は、息子との接触に疲れ、息子の命を一方的に奪うことで解決しただけでなく、当初は、川崎の事件に誘発されてやむを得ず起こしたもの、と弁護しました。

公判が始まると、当初の弁護は姿を消しています。結局のところ、息子への対応に困った父親が起こした事件に落ち着きます。

犯行の様子を被告が明らかにしていないようです。今日の朝日の記事には次のようにあります。

(夫婦で避難していたという2階から)1階に降りた理由や、刺した時の長男の様子を細かく問いただしたが、熊沢被告は「覚えていない」と繰り返した。

犯行に使った刃物にしても、それが台所にあった包丁と記念品にもらった包丁のふたつがあるありさまです。

また、当初私が直感したように、これは衝動的に起こしたものではなく、事件前から計画した犯行であることが強まった印象です。

公判の初日に、事件直前に被告が妻に宛てて書いた手紙を検察側が朗読しています。原稿用紙1枚に書かれたもので、同じ手紙がモニターに映し出され、そこには次のようなことが書いてあったそうです。

これまで尽くしてくれてありがとう。感謝しています。これしか(殺すしか)他に方法はないと思います。死に場所を探します。見つかったら散骨してください。英一郎も散骨してください。

被告が事件を起こす2日前、ネットで「殺人罪」「執行猶予」を検索していたことがわかっています。

これらのことから、事件当日、隣接する小学校で行われている運動会の会場を、刃物を持った息子の英一郎が急襲することを恐れ、台所にあった包丁で咄嗟に刺し殺した、という熊澤被告の証言の信ぴょう性はなくなったといえましょう。

少なくとも、事件の2日前には殺す計画を立て、事件を起こしたあとのことまで考えていたであろうことがPCの検索痕跡からも明らかになってしまったからです。

昨日の公判で、検察側から事件前の手紙と検索意図を訊かれた熊澤被告は、「記憶にない」などと説明したそうです。

熊澤被告はやつれ、「主治医にアドバイスを求めるべきだった。息子にはつらい人生を送らせてかわいそうに思っている」(今日の産経新聞記事)と述べたと伝えています。

また、日経の今日の時にも、「取り返しのつかないことをした」と話したことが書かれています。

今日の朝日の記事には、犯行時の様子が次のように書かれています。

胸や首を突き刺し、倒れて動かなくなった体も「3~4回刺した」と説明した。

重要な点は、犯行時の様子です。体力が一方的に上回るであろう英一郎氏を、熊沢被告は数十カ所もめった刺ししています。

これを可能にするには、英一郎氏が油断した隙を狙うしかありません。万が一、取っ組み合いになれば、刃物を奪われ、自分が刺されるかもしれないからです。

こうしたことからも、隣接する小学校に向かって「殺すぞ」と英一郎氏が叫んだため、咄嗟に川崎の事件が頭をよぎり、それを防ぐために犯行に及んだ、という被告の自己弁護は、跡形もなく崩れ去ったと見るべきでしょう。

実妹が兄に見た「武士」も幻影だったといわざるを得ません。もっとも、実在した武士にしても、真の戦いの場では、『羅生門』で描かれたように、無様なものであったでしょうが。

判決は16日にいい渡されます。

気になる投稿はありますか?

  • 痛ましい踏切事故痛ましい踏切事故 昨日(7日)の朝日新聞社会面に痛ましい事故の記事が載っていました。 6日午前9時頃、群馬県高崎市内を走る上信電鉄の踏切で、小学校4年生の少女が、走ってきた電車にはねられ、全身を強く打って亡くなる事故があったことが報じられました。 記事によると、その踏切は小規模なもので、遮断器や警報機がついていないそうです。 電車を運転していた運転士は、踏切に人影を発見し、 […]
  • 一方的に疑われ罰せられそうな紅麹サプリメント問題一方的に疑われ罰せられそうな紅麹サプリメント問題 小林製薬が製造・販売するサプリメント「紅麹コレステヘルプ」を服用して健康被害が出たとされている問題は、それが報道されて昨日で2週間となります。 本報道が始まった当初、私はその報道を見ても、そういうことが起こったんだといった程度の認識しか持ちませんでした。 その後、厚生労働省の職員らが同社の工場を立ち入り検査するなどの動きがあり、次第に注意深く報道を見るようになり […]
  • 大谷選手を巡る問題を時系列で見ると大谷選手を巡る問題を時系列で見ると ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手(1994~)を巡る問題は収まる気配がありません。 https://indy-muti.com/50714/ 本件を解く鍵が大谷選手の通訳を長年に渡って務め、公私とものサポートをした水原一平氏(1984~)にあると考える人が多くいるでしょう。 本件を早くから取材している米国のスポーツ専門局ESPNが、水原氏に電話取 […]
  • 大谷選手へ贈る「雄弁は銀」大谷選手へ贈る「雄弁は銀」 英語の諺に”Speech is silver, silence is […]
  • 大谷選手の通訳をした水原氏は窃盗犯なのか?大谷選手の通訳をした水原氏は窃盗犯なのか? 極めて順調に見える人生においても、「好事魔多し」を思わせる出来事です。 今シーズンからロサンゼルス・ドジャースに移籍した大谷翔平選手(1994~)の通訳を務め、公私にわたって大谷選手をサポートしていた水原一平氏(1984~)がドジャースから解雇されたとの報道は、韓国で行われたドジャースのオープン戦の期間中です。 私は大リーグには関心がなく、大谷選手の試合も見たこ […]