私にはいろいろなことが習慣化された傾向があります。テレビ番組も、同じような番組を繰り返し見ます。
そのようにして欠かさず見ている番組のひとつに、毎週土曜日の夕方にNHK BSプレミアムで放送される英国のテレビドラマ「シャーロック・ホームズの冒険」があります。
直近の9日に放送されたのはシリーズ33話目の「サセックスの吸血鬼」(1924)です。
それを見ていて気がついたことをこれから書きます。文章を書き出す前に、本作の動画をご覧ください。
私がこれから書くことがわかりやすい場面から再生が始まるように設定してあります。ご覧になって、何か気がつかれたことはありまんか?
私が取り上げようとしているのは俳優の演技ではありません。映像制作時におけるカメラの動きです。
ホームズとワトスンがいる部屋に、老いた牧師が入ってきて、部屋にいたホームに近づき、握手をします。その場面をカメラはどのように撮影していましたか? 牧師の動きに合わせて撮影し、ホームズと牧師が収まる画角にしています。
椅子を勧められて牧師が座ります。座った牧師を撮るカメラは固定されたままです。
立ったまま牧師と話すホームズを撮るカメラも、ホームズが動かなければ動きません。
立っていたワトスンが椅子の方へ歩くと、カメラはワトスンを追うように動きます。そして、椅子に座るときは、ワトスンの上半身を画面に収め、座る動きに合わせて上から下へカメラを動かしています。
ホームズとワトスン、牧師の三人が映る画面から、ホームズがひとり動き、自分の椅子に座りますが、カメラはホームズの動きに合わせて動いています。
これが古典的で、王道のカメラワークというものでしょう。
以前、黒澤明監督(1910~1998)の作品におけるカメラワークについて書きました。黒澤も王道のカメラワークを採用し、俳優が動かなければカメラを動かさない。俳優が動けば、それを追ってカメラを動かす。というカメラワークを徹底したと聞きます。
映像制作に携わるプロは限られますが、今は個人でも動画を撮ることができ、カメラワークの基本的な考え方は知っておいても無駄ではありません。
ネットの動画共有サイトのYouTubeなどを中心に活動する若い世代の映像制作者の動画を見ると、無駄にカメラを動かすのが目立つように感じることがあります。
彼らの動画の中には、始終カメラを動かしているものがあります。被写体の周りを回ってみたり、被写体に近づいては離れて見たり。
それをファッショナブルと考えているのかもしれませんが、カメラは、必要でない限り、動かさない方が、格好いいように私が考えます。
カメラで撮る映像は、基本的には、それを見る人が見たいものを撮るべきなので、撮影の王道から外れるなとはいいません。それでも、基本的には、登場する人物の動きに合わせるのが良いでしょう。
今の新しい世代が作る映像作品は、王道を離れるのを目指しているのかもしれませんが、わからなくなったら、元の場所に戻るのが原則です。
それを踏まえたうえで、新しい表現を模索するのが良さそうです。