新年を迎えて3日目の本コーナーで、映像作品における望遠レンズについて書きました。その中で、望遠レンズ好きが知られる黒澤明監督(1910~1998)も取り上げました。
その黒澤作品に、新年早々に出会いました。9日にNHK BSプレミアムで放送された『影武者』(1980)です。本作は、公開当時、東京都内の映画館で見ました。
本作はNHK BSプレミアムで何度も放送されており、過去に録画し、DVDに焼いて残してありますが、今回、ブルーレイディスク(BD)に録画し、再生させて見ました。
話の展開は忘れましたが、筋はシンプルです。武田信玄(たけだ・しんげん)(1521~1573)が敵方の鉄砲で狙撃されて没し、それでも武田家を護る重臣らが、それ以前に偶然見つけておいた、信玄に瓜二つの男を、信玄の影武者に仕立てるという筋です。
今再び、本作を見るにあたり、私はふたつのことを重視して見ました。ひとつは、Logのカラーコレクションとカラーグレーディングに興味を持つため、作品の色合いに興味を持ちました。
もうひとつは、望遠レンズについて書いたとき、ネットの事典・ウィキペディアに、次のように書かれていたため、それを確認しようと、そのカメラワークを注意して見ました。
黒澤はカメラの動きを観客に意識させないようにした[128]。カメラを勝手に動かすことはなく、俳優が動くときのみカメラを移動させ、俳優が止まればカメラも停止させた[122][128]。カメラが対象物に寄るのも不自然だと考え、ズームレンズは基本的に使わず、その代わりに望遠レンズを多用した[122]。黒澤は『野良犬』のワンシーンで初めて望遠レンズを使い、『七人の侍』から複数カメラの1つに採用した[129]。望遠レンズだと画角が狭くなり、被写体の遠近感が失われて縦に迫るように見えるため、迫力ある画面を生んだ[122][130]。また、望遠レンズを使うとカメラ位置が遠ざかり、その分俳優がカメラを意識しなくなり、自然な表情が撮れるため、黒澤はクローズアップも望遠レンズで撮影した[130]。
ウィキペディア:黒澤明 作風
タイトルがまだ出されない冒頭シーンは、カメラは固定されたままです。そのカメラが写すのは、三人の男です。正面に座るのが武田信玄で、その右隣には、信玄の実弟の武田信廉(たけだ・のぶかど)(1532〔1528という説も〕~1582)が座っています。
ふたりは兄弟であるため、顔がよく似ているといいます。何よりも、武将の恰好をし、同じような髭を生やしているため、実際以上に似て見えるでしょう。
信玄を演じたのは、当初の勝新太郎(1931~1997)から急遽変更された仲代達矢(1932~)。そして、信廉役は山崎努(1936~)です。山崎は準主役を演じます。
信廉は兄の信玄に似ているため、これまで、影武者を務めることが多かったそうです。
三人の男のもうひとりは、信玄らから一段下がったやや左前方に座る男です。三人が同じ衣装を着て、同じような髪形と髭のため、同じ人間が三人いるように見えなくもありません。
この男の名前はわかりません。仕置き場で逆さ磔(はりつけ)されるところを、信廉がたまたま通りかかり、兄の信玄にあまりにもよく似ているため、何かの用に使えるかもしれないと、城に連れて帰り、今、信玄に初めて男を品定めさせているのです。
この男が影武者になる男です。生まれは奥州(陸奥国)で、盗人です。信玄にたまたま似ていたことで、磔刑を逃れたことになります。
それぐらいの悪党ですから、信玄に向かっても生意気をいいます。信玄は鷹揚に盗人の悪態を許し、使える男かもしれない、と実弟の信廉に預けます。
盗人で、のちに影武者になる男を演じたのも、信玄と同じ、仲代達矢です。
これらのことが冒頭に描かれますが、それを写すカメラはまったく動きません。三人が入る引いた構図のままです。しかも、部屋を照らすのは一本の蝋燭だけという設定です。
もちろん、蝋燭の明かりだけでなく、蝋燭の灯かりだけに見えるように照明が工夫されているのでしょう。
観客にわかりやすい映画やテレビドラマを撮りたがる監督であれば、すぐに三人にカメラを近づけ、それぞれの顔と顔の演技をスクリーンやテレビの画面に大きく見せたがるでしょう。
しかし、黒澤が監督する本作では、一切そんなことをしません。じっと、三人が収まる引いた画面のみでこれだけのことを見せています。
映画館の大きなスクリーンで上映する場合はこれでいいですが、大きくないテレビモニタで見ていると、三人の表情がほとんど見られません。
信玄と盗人のふたりを仲代が演じているわけですが、どのように撮影したのでしょう。合成画面のようにも見えません。信玄と盗人が大事な演技をしているのですから、仲代によく似た別の俳優が演じているようにも見えません。
黒澤が当初、信玄役を勝新太郎にしようとしたのは、勝には兄で俳優をする若山富三郎(1929~1992)がおり、兄弟を使うことで、『影武者』を描けると思いついたから、というような話を聞いたことがあります。
しかし、最初の段階で若山に出演を断られ、勝に信玄と影武者の二役をさせることにしたものの、黒澤と勝が、演出の仕方などを巡って対立し、勝が出演から降りてしまったのでした。
そのときの心境を語った若山の次のような捨て台詞がウィキペディアの記述にあるのを見つけました。
何、黒澤明? そんなうるせえ監督に出られねえよ、俺は。
このいきさつについては、NHKが番組にまとめており、私はそれを見ています。
信玄には孫の竹丸という小さな子供がいますが、この竹丸が登場するシーンは、綺麗な色だったという印象です。他のシーンが、概して暗い画作りをしているため、余計に、このシーンが綺麗に見えます。
本作は黒澤プロダクションと東宝が製作していますが、松竹作品とはまた違った色合いであるように感じます。フィルムの現像は東洋現像所(IMAGICA Lab.)とクレジットされています。
本作のような作品を撮れる監督はなかなかいないのではないかと感じます。それは、合戦のシーンを見ていると強く感じます。
合戦場面は北海道で撮影されたそうですが、無数の足軽役をするエキストラを揃え、それらを動かすだけでも大変でしょう。その上、信玄の武田軍は騎馬軍とされ、大量の馬が登場します。
それらが一体となって、画面を縦横に駆け回ります。それを指揮できる監督は、なかなか現れないものでしょう。
歴史に残る合戦も、多くは暗闇の中で行われたかもしれません。敵陣に攻め込むには、自分たちの姿を隠す闇が味方になるからです。
史実にできるだけ忠実であろうとした黒澤は、髷のかつらにもこだわったと聞きます。それ以前の時代劇や、今の時代劇もそうですが、必要以上に綺麗な髷を結っています。
戦国時代に、武将であっても、髪を綺麗に剃っていたとは思えません。
そうした考えから、髷のかつらも、黒澤の考えで改良された、というような話だったと思います。
武田勝頼(本作では「諏訪勝頼」|1546~1582)は、信玄の息子ということになっていますが、正妻でない女から生まれた庶子であるため、複雑な心境を持ちます。勝頼を演じたのは萩原健一(1950~2019)です。
黒澤作品の重要な役どころを演じていますが、怯まずに演じていたように感じました。
勝頼だけは、影武者を利用する信廉ら重臣には反抗的で、最後には、勝頼の判断により、武田家が滅亡してしまいます。
合戦場面は常に強風が吹き荒れています。それが画面に勢いを与え、演じる役者やエキストラらも、気分が高揚した(?)かもしれません。
風が吹くのを待ち、風が吹いてきたらカメラを回したのでしょうか。無数ののぼり旗が、引きちぎれるほど風に靡いています。武田家の「風林火山」それぞれの色に染め抜かれたのぼり旗が印象的です。
黒澤は大雨を降らせることも好みます。『羅生門』(1950)でも『七人の侍』(1954)でも大雨を降らせています。
本作では、影武者であることが隠せなくなり、影武者から衣装をはぎ取り、盗人に戻して、屋形から放り出さす場面で大雨にしています。
個人レベルで動画を撮ってもわかると思いますが、動画に大雨として映るのには、相当の量の雨でなければなりません。本作であれだけの水を放水するには、どんな仕掛けをされたのでしょう。
ラストは、勝頼が率いる武田騎馬軍が、織田信長(1534~1582)と徳川家康(1543~1616)の連合軍に挑む長篠の戦い(1575)です。これも、灯かりが乏しい闇の中で行われたように描かれます。
合戦が終わったあとに残ったのは、無数の屍です。馬も無数に息絶え、中には、最後の抵抗をする人馬の動きがスローモーションで描かれています。
エキストラは演じられるとしても、馬はどのように扱ったのでしょうか。馬好きな人は、眼をそむけたくなるような場面です。
本作が公開された頃、本作のために黒澤が描いた絵コンテを一冊にまとめたアサヒグラフの特集号を購入しました。今も残してあると思いますので、見つけたら本コーナーで紹介しましょう。
黒澤は、映画監督にならなければ、画家になっていたかもしれません。はじめはその道を目指したそうですから。監督のように、世界的な画家になれたかどうかはわかりませんが。