私は古い映画が好きで、本コーナーで何度も取り上げています。そんな作品の中にはアルフレッド・ヒッチコック(1899~1980)の作品がいくつも含まれています。
こんなヒッチコックの作品でありながら、ある種のイメージが先行して、これまでしみじみ見たことがない作品があります。その作品が、先週の木曜日(8日)にNHK BSプレミアムの「プレミアムシネマ」で放送されるのを知りました。
ヒッチコック作品としてよく知られた作品ですが、私は直前まで、録画するかどうか迷いました。その日に放送されたのは『サイコ』(1960)です。
『サイコ』といえば、あの有名なシャワールームでの殺害シーンがあり、本作を見たことがない人でも、それが凄惨なシーンであることは知っているでしょう。
殺害される役を演じたのはジャネット・リー(1927~2004)です。リーはその後、米国の刑事ドラマ『刑事コロンボ』シリーズ32話「忘れられたスター」(1975)に犯人役としてゲスト出演しています。
リーはそのドラマで、かつては人気を誇りながら、今ではそれが衰えた女優を演じました。このドラマは本作の15年後に作られています。ドラマの彼女を見ると、年数以上に老いたように見えます。ですから、本作はもっと前に公開されたものと思ってしまいました。
その一方で、ドラマの中のリーは、引き締まった身体で、二階のベランダから木を伝って下へ降りるなど、軽快な実裁きを見せてくれています。ドラマのリーは、老いた女優を演じていただけ(?)かもしれません。
この回の『刑事コロンボ』もレコーダーに残したままにしてありますので、本作の演技と比べながら、見てみたい気になりました。
本作はシャワーシーンの殺害シーンがあり、それで私はヒッチコック作品でありながら敬遠気味にしていました。しかし見てみると、そのシーンは長くはありません。
そのほかの場面は、白黒の画面でしっかり撮られており、重厚な感じさえ受けます。俳優の演技を見るためだけに、何度でも楽しめそうです。
ジャネット・リーが演じるのは、米国アリゾナ州のフェニックスにある個人経営のような不動産会社で10年のキャリアを持つ事務員のマリオン・クレイです。
マリオンは結婚しておらず、出張で街を訪れるサムと情事を重ねることをしています。
マリオンが日中、サムとの逢引きを終えて会社へ戻ります。事務所にはもうひとり、別の事務員の女性がいますが、その事務員を演じたのはヒッチコックの娘のパット・ヒッチコック(1928~2021)です。
マリオンが彼女といるところへ、社長が商談を終えて、商談相手の中年男を連れて戻ってきます。男は不動産を手に入れることにし、4万ドルの札束を社長に渡します。
マリオンは頭痛がするから早退するといい、帰りがけに銀行へ寄り、4万ドルを会社の口座に振り込む約束をし、4万ドルをバッグに入れて会社を出ます。
マリオンは4万ドルを横領(横領罪)し、愛車であてもなく走ります。街を出ると砂漠のような風景が広がり、ある作品を思い出しました。
スティーヴン・スピルバーグ(1946~)がテレビ映画用に作った『激突!』(1971)です。もしかしたら、スピルバーグがあの作品で撮影したのは、本作と同じようなところだった(?)かもしれません。
マリオンが車を運転する様子を真正面から撮ったシーンがいくつもあります。これも、ヒッチコックがよく用いる、スクリーン・プロセスを使っています。リアウィンドから見える車の後方の景色がスクリーンに映る映像と合成されています。
夜になると、マリオンの顔に対向車のヘッドライトが当たっているように、照明が使われています。
マリオンは車を運転しながら、さまざまに不安な想像を巡らし、頭の中で、架空の言葉のやり取りが展開されるように、関係者の言葉が音声でかぶさります。
このあたりの描き方も、ヒッチコックは非常に計算しているように思わせられます。
雨が強く降って来て、旧道を走っていたマリオンは、たまたま見つけたモーテルで車を停めます。それが「ベイツ・モーテル」で、ここが殺害現場となります。
横並びの平屋の客室が鍵の手に十いくつ並んでおり、奥の小高い丘の上には二階建ての家が建っており、そこにモーテルの経営者が澄んでいる設定です。
撮影に使われたモーテルと家のセットは、ユニバーサル・スタジオ・ハリウッドに、本作のために造られたようです。ネットの事典ウィキペディアにその写真が添えられています。
モーテルの前を通る道路とは別に道路ができ、それが主要道路になってしまった関係で、今までの道路が旧道になってしまい、それもあって、モーテルは開店休業の状態にある、と経営者の若い男、ノーマンがマリオンに話して聴かせます。
ノーマンを演じるのはアンソニー・パーキンス(1932~1992)です。痩せすぎの体形で、見るからに神経質そうです。
パーキンスが演じるノーマンが、本作の終盤近く、自宅の階段を二階へ上がる様子を下から撮影したシーンがあります。その足の運びが内股気味で、私には女性の仕草に見えました。
あれは演技ではなく、パーキンスの地が出ているのでは(?)、と思わないでもありません。
マリオンが大金を持ったまま姿を消したことで、マリオンの妹のライラが、私立探偵を使って、姉の安否を確認してもらいます。ライラを演じたのはヴェラ・マイルズ(1929~)です。
ライラに雇われた私立探偵のアーボガストを演じるマーティン・バルサム(1919~1996)がなかなかいいです。バルサムの演技を見たいために、繰り返して見たいと思わせるほどです。
マーティン・バルサムといえば、『ティファニーで朝食を』(1961)にも出ていたんですね。何度か見ていますが、バルサムのことは特別印象に残っていません。
これもレコーダーに残してありますので、近い内に見てみましょう。ちなみに、『ティファニーで朝食を』は、本作の翌年に公開されています。
アーボガストはやり手の探偵で、マリオンが立ち寄りそうなモーテルをいくつも調べ、ノーマンのベイツ・モーテルに辿り着きます。アーボガストは短時間で、そのモーテルの1号室にマリオンが一晩泊まったことを割り出します。
夜、アーボガストが一旦、モーテルを車であとにするシーンがあります。カメラは見送るノーマンだけを撮り、アーボガストの車は映像で見せません。
立ったまま見送るノーマンをカメラが捉え、ノーマンにあてる照明をアーボガストのヘッドライトのように見せ、それが角度を変えるようにさせることで、向きを変えて走り去ることを観客に感じさせます。
シャワールームで殺害が行われたあと、血の混じった水が流れ込む丸く黒い排水口と、見開いたままのマリオンの眼をカットでつないで見せています。
昔、テレビで写真家・立木義弘(1937~)の作品と撮影風景を紹介する番組がありました。その中で立木が、組写真の組み方について話した内容を憶えています。
その手法を、ヒッチコックが本作で使っているのがわかる表現手段です。
本作の音楽は、『タクシードライバー』(1976)のテーマを遺作として残したバーナード・ハーマン(1911~1975)です。
本作の撮影方法で印象的だったのは、頭部を画面に収まるぐらいの大きさで撮影することが多かったことです。
人の感情は表情に現れます。心の動きを観客に感じてもらうため、ヒッチコックは撮影監督に指示して、そのような撮り方を多用した(?)のかもしれません。
もう一度はじめから見てみたくなりました。