本ページの今月6日分の更新では、オードリー・ヘプバーン(1929~1993)がスティーヴン・スピルバーグ監督(1946~)の作品『オールウェイズ』(1989)に出演し、それがヘプバーンにとっての遺作となったことに触れました。
その中でも書いていますが、ヘプバーンといえば、先月27日にNHK BSプレミアムの「プレミアムシネマ」で、彼女が出演した『シャレード』(1963)が放送になり、私はそれを録画して見ました。
日本で公開されたのは、1963年暮れの正月映画としてであることがわかります。その翌年の秋にアジアで初となる東京五輪の開催が控えていた時期です。
その大会への期待が高まる中での上映であった(?)でしょうか。
本作を監督したスタンリー・ドーネン(1924~2019)は、『北北西に進路を取れ』(1959)のような作品を撮りたいと考え、本作で脚本も担当したピーター・ストーン(1930~2003)が、マーク・ベームと書いた同名の小説の映画化権をとったそうです。
『北北西に_』が公開されたのは1959年です。その作品に主演したケーリー・グラント(1904~1986)を起用し、相手役にヘプバーンを選んでいます。
グラントは『北北西に_』の4年後に本作に出演していますが、両作品を比較すると、グラントに年齢による衰えが感じられます。
よくあるような話(?)なので、ストーリーの話はしません。私が本作で面白いと思った話を書きます。
今では映画もデジタルで作られるようになり、あらゆる場面が、デジタル技術を使うことで可能となっています。
本作は今からちょうど60年前の作品になり、画面の合成技術にしても、今から見ると、かなりアナログです。
私が面白いと思ったのは、ヘプバーンが扮したレジーナという名の女性が、グラント扮する謎の男に出会い、夜のセーヌ川を、豪華な大型船で移動する場面です。
ふたりは船のデッキの席で、パリの夜景を眺めながら、食事をします。川には橋が架かり、その下を船が移動していきます。
当時の撮影機材でリアルに撮影したら、フィルムの感度が低いため、パリの夜景は、照明が点になって見えるだけになる(?)でしょう。
船のデッキにいるふたりとパリの夜景のどちらも観客に見せるためには工夫が必要です。その希望をドーネン監督が技術部門に述べ、おそらくは技術部門のアイデアでその撮影が実現できた(?)のかもしれません。
それは、「スクリーン・プロセス」という撮影方法です。この撮影方法を簡単にいえば、別に撮影した映像をスクリーンに上映し、俳優がそのスクリーンの前で演技をし、カメラがその両方を一緒に撮影します。
昔の映画ではこの撮影方法がよく用いられ、アルフレッド・ヒッチコック監督(1899~1980)の作品を見ていると、これで撮影されたシーンがよく登場します。
『北北西に_』でも、ケーリー・グラントが悪者に強い酒を無理やり飲まされ、ほとんど意識のない状態で、敵の追手から逃れるため、車を運転するシーンがこの技法で撮影されています。
本作では、川を行く船から撮影されたパリの夜景がスクリーンに上映され、その前に作られた、船のデッキを思わせるセットでヘプバーンとグラントが演技をしています。
これだけだったら面白いと思わなかったでしょう。私の眼を引いた、といいますか、この場合は「耳を引いた」場面があります。その場面を動画にして、下に埋め込んでおきます。
耳を澄ましてご覧ください。
いかがですか? 私が気がついて欲しいことに気がつかれましたか?
これはスタジオのセットで撮影されています。ふたりの台詞は、ふたりの上に固定されたマイクで収録されたか、アフターレコーディングで録音されたでしょう。
人の声は、それを発する環境で違った音に聴こえます。
注目して欲しいのは、ふたりを乗せた船が橋の下をくぐる瞬間です。その橋は石で造られているのでしょう。そのため、橋の下に潜った時は、トンネルの中にいるような環境になります。
トンネルの中で大きな声を出したら、声が周りの壁に反響して、響きますね。その「効果」が、本作のその場面で適用されています。
もう一度、同じ場面の動画を下に埋め込みますので、それを注意してご覧、といいますか、「お聴き」下さい。
物語を持つ映画は、本当にはないものや、ない場面を作りだし、それが本物であるように見せるところに一番の面白さがある、と私は考えます。
ですから、撮影現場でリアルに収録するのではなく、あとで手を加えて本物らしくみせることに私は魅力を感じます。
本作で使われている「スクリーン・プロセス」という撮影技術は、今では時代遅れかもしれません。しかし、今、それで作られた作品を見ると、物作りの楽しさが見えてきます。
今回のそれには音の効果も加えられており、楽しさがより増しています。
音声を担当する係の人が、橋の下を通る場面の台詞にだけエコーをかけています。
今は、デジタル技術を用いることで、素人でも動画を作れ、それをYouTubeなどで公開できます。
多くは、現実にあるものをありのままに見せているだけです。それをもう一歩進め、映像や音声を自分でコントロールした「作品」を公開することができたら、より楽しいと私は感じます。