このところ本コーナーでおなじみの、レコーダーに録画した古い米国映画を見る行為ですが、前回に引き続き、オードリー・ヘプバーン(1929~1993)が主演した作品を見ました。
ただ、今回の作品は、世間でイメージされる彼女の作品とは毛色が変わっていました。ヘプバーンが盲人を演じた『暗くなるまで待って』です。
米国で公開されたのは、1967年10月末。日本は翌年の1968年5月1日。当時、すでに大型連休というのがあるのであれば、それに合わせての公開になります。
時代背景としては、日本では、2年後に大阪万博が控えていた年になります。
昨今の話題に絡めれば、統一教会の文鮮明(1920~2012)が、この年に、同教会の政治部門を担う国際勝共連合を作っています。
日本の国民が、大阪万博に関心を寄せつつあった頃、韓国で生まれたカルト宗教が日本の政治に忍び寄り、日本人の目が届かないところで、日本を操り始めた年といえましょう。
今回取り上げる作品は、ヘプバーンが主演した作品であるにも拘らず、生臭い話題が似合います。
前回取り上げた『麗しのサブリナ』(1954)と同じチャールズ・ラング(1902~1998)が撮影監督をしたため、その興味も手伝った本作を見ましたが、意外な感触です。
テクニカラーで作られた作品ですが、発色が特別良いわけでなく、配色に気を使ったあとも見られません。
ズームレンズを使い、ワンカットでズームを使う場面も見られます。
ケネディ空港(ジョン・F・ケネディ国際空港)行きの小型旅客機が離陸するシーンが冒頭にありますが、その場面も、三脚は使っていると思いますが、画面が幾分揺れており、華麗に撮影された印象がありません。
作風に合わせ、ドキュメンタリータッチで撮影した(?)のかもしれません。
ネットの事典ウィキペディアを見ますと、フレデリック・ノット(1916~2002)の舞台劇『暗くなるまで待って』(1966)の戯曲を原作としています。
道理で、映画でも、ヘプバーンが演じるスージーという盲目の女性が住む、半地下のアパートの室内の場面が多いです。
彼女の夫のサムは写真家で、家を空けることが多いようです。その日も、別の土地で仕事を終えたあと、小型旅客機で妻とふたりで住むニューヨークへ戻ります。
空港についてサムがロビーを歩いていると、同じ旅客機に載っていた見知らぬリサという若い女から、少女の形をした縫いぐるみの人形を渡されます。
その場面は、会話の声は聞こえないように撮られています。ふたりの身振りから、サムが、仕方なくそれを受け取るように描かれます。このあたりも、ドキュメンタリー風です。
何気なく見える人形の中に、実は麻薬が忍ばせられており、運び屋のリサは、それをのちのち自分で売買することを考え、一時的に、自分の手から離すため、同じ旅客機にたまたま乗り合わせたサムを利用しようとしたのです。
リサから人形を無理に預けられたサムが自宅のアパートに戻ったことで、妻のスージーが、人形を取り戻しに現れるワルの連中との騒動に巻き込まれるサスペンス作品です。
ワルの男は3人登場します。
そのうちの2人は、過去にもリサと組んで詐欺を働いています。適当な夫婦を見つけては、リサが夫に近づいて関係を持ち、それを種にして金を脅して取る犯罪です。
この2人の男が、人殺しも辞さない本物のワルのロートと関わりを持つようになり、逃げるに逃げられなくなります。
悪党のロートを演じるのはアラン・アーキン(1934~)という俳優です。
キャスティングの段階では、ジョージ・C・スコット(1927~1999)とロッド・スタイガー(1925~2002)に依頼したそうですが、断られ、アーキンに決まったようです。
スコットといえば、『パットン大戦車軍団』(1970)で、実在したジョージ・パットン将軍(1885~1945)を演じ、アカデミー主演男優賞に選ばれました。しかし、スコットは「アカデミーショーなんて下らないお祭り騒ぎに関るのは御免だ」と同賞の受賞を断った逸話が知られます。
スコットがロートを演じたら、もっと充実した作品になったように思います。
ヘプバーン以外は、私が知らない俳優ばかりです。ロートを演じたアーキンにしても、短い髪の毛がさらさらです。丸い、真っ黒なサングラスをかけていますが、ワルとしては物足りないです。
もっとも、その程度のワルが悪さをするところを描くことで、より、ドキュメンタリーチックに見せる効果を狙った(?)と考えられなくもありません。
本作への出演をヘプバーンに持ち掛けたのは、当時、夫婦関係にあったメル・ファーラー(1917~2008)です。
ファーラーは女性関係が派手で、5回結婚しています。ヘプバーンは4番目の妻で、関係は、1954年から1968年までです。
ということは、本作が米国で公開された翌年に離婚していることになります。もしも、ヘプバーンがファーラーと一緒にいなければ、本作への出演はなかったでしょう。
冒頭で書きましたが、本作はヘプバーンが持つカラーからは外れています。日本の女優でイメージ的に例えれば、原節子(1920~2015)が任侠の世界を描く作品に出るようなもの(?)でしょうか。
ヤングは、『007』シリーズのスタイルを確立した『007は殺しの番号』(1962)〔1972年の再上映時に『007/ドクター・ノオ』に邦題を変更〕、『007/危機一発』(1963)〔1972年の再上映時に『007/ロシアより愛をこめて』に邦題を変更〕、『007/サンダーボール作戦』(1965)を監督しています。
ほかには、『夜の訪問者』(1970)、『レッド・サン』(1971)、『アマゾネス』(1973)が彼の監督作品になります。
どれも、A級映画とはいえないように思います。娯楽作品としてはA級かもしれませんが。いずれにしても、味わい深く見る作品ではありません。
中ワルの2人組のひとり、カルリーノを演じた、太めで頭の脳天が薄く、いつも帽子をかぶっているジャック・ウェストン(1924~1996)という役者の演技は面白いと思いました。
3人組は、スージーのアパートの前にワゴン車を停め、カーテンを引いた車内で、作戦会議をします。
カルリーノはロートンを疑っており、指示を出すロートンの顔を凝視するシーンがあります。彼が見せた粘っこい目つきが興味深いです。それは欧米人が生まれ持つ表情ですから、淡泊な日本の俳優が真似てもなかなか出せないように感じます。
ヘプバーンにとっての本作は、それまでの作品とは違い、真の意味での演技を要求されたといえましょう。ごく普通の主婦の役ですから、衣装で話題を取ることもできません。
それもあってか、撮影中に体重が15ポンド(7㎏弱)減った、とウィキペディアにはあります。アカデミー賞主演女優賞にノミネートされています。
ジョージ・C・スコットにいわせれば、関わりたくもない馬鹿なお祭り騒ぎでノミネートされただけの話になりますけれど。
彼女は、本作の監督のヤングに誘われて、『華麗なる相続人』(1979)に出演していますが、乗り気ではなかったそうです。
公開された作品は、評論家に酷評され、興業的にも失敗に終わったそうです。
今回取り上げた『暗くなるまで待って』は、繰り返し見たくなるような作品には感じませんでした。主演を演じたヘプバーンにとって、本作はどんな位置づけでしょうか。
今後、彼女の作品がNHK BSプレミアムで放送されることがあれば録画し、見たあとに、本コーナーで取り上げることにしましょう。