1920年代から1950年代に制作された映画を気をつけて見ていると、クレジットタイトルに”Technicolor”とあることに気がつくことがあるかもしれません。
私はこのところ、ふと思い立って、フレッド・アステア(1899~1987)が主演したミュージカル映画を見ています。きっかけは、一年半ほど前にNHK BSプレミアムで3日連続で放送されたアステアの作品を録画してあったことです。
それを今になって見て、作品の素晴らしさを実感しています。
『足ながおじさん』(1955)を見て、本コーナーで取り上げたあと、『バンド・ワゴン』(1953)を見ました。昨日は3本目の『イースター・パレード』(1948)を見始めました。
本作は、はじめの30分ほどを見ただけで、この更新をしています。
内容を知らずに見始めましたが、作品はじめのタイトルで、ジュディ・ガーランド(1922~1969)が出演していたことを知りました。彼女は、『オズの魔法使』(1939)に出演したことで、一躍有名になった女優です。
『イースター・パレード』では、コンビを組んでいた女性ダンサーが去ってしまったことで、アステア扮するダンサーのドン・ヒューズが、新しいダンス・パートナーを見つけますが、ドンに見いだされたのがガーランドが演ずるハンナ・ブラウンです。
ハンナはフロアダンサーで、歌も歌います。しかし、ドンに見いだされた当初は、ダンスをうまく踊れません。そこで、ドンがハンナをトレーニングします。その場面まで、私がこれまで見た30分ほどで描かれています。
作品を見ていたハンナを演じたガーランドのことは、名前を知っているぐらいだったので、ネットの事典ウィキペディアで引きました。
その過程で、『イースター・パレード』について書かれたものにも目を通しましたが、冒頭部分に「テクニカラー作品として撮影された」とあり、私の関心はガーランドから「テクニカラー」に移りました。
デジタル技術全盛の今は、個人でも手軽に動画の撮影ができます。動画はモノクロやセピアでも撮影できますが、カラーで撮影するのが一般的です。
日常的にも当たり前に使うカラーでの撮影ですが、映画でそれを実現できるまでは、さまざまな試みがなされています。
以下は、にわか仕込みの知識です。
映画におけるカラーの草創期は、「キネマカラー」というものだったそうです。結果的には、1909年から1914年までの5年という短命で終わってしまいますが、その間、商業映画に用いられたそうです。
私は絵も描きますので、「色の三原色」は心得ています。
絵具で色を作る時、赤・青・黄の3色だけでさまざまな色が作れるとされ、これが色の三原色とされます。
理論上はこの3色だけであらゆる色は作れますが、油絵具を使う場合は、これに白と黒、茶を加えることで、より容易く色を扱えます。
色の三原色と似たものに「光の三原色」があります。
この3色は、赤と青は色の三原色と同じですが、光の三原色は、3色目が色の三原色の黄ではなく、緑になります。
この原理を用いたのがキネマカラーです。
当時からカラーフィルムがあったとすれば、それで撮影するだけでカラー撮影ができます。しかし、当時はモノクロフィルムしかありませんでした。
それをカラーに見せるため、撮影するときと映写するときに、色の三原色の赤と緑のフィルターを、1/32秒ごとに赤と緑が入れ替わるように回転させたそうです。
これを連続して映写すると、目の残像効果によって、色がついた映像に見えたということですが、のちのカラー映像とは、趣が異なったでしょう。
キネマカラーに代わって登場したのがテクニカラーです。
当初は、キネマカラーの改良版のようなもので、赤と緑のフィルターの代わりに、レンズから入った光をプリズムで分解し、1本のモノクロフィルムに、赤と緑の色調の映像を交互に定着させたそうで、これは二色法といわれたものです。
それを、本来の光の三原色に則り、青も加えた3色に分解し、3本のモノクロフィルムに同時に定着させるのが三色法によるテクニカラーで、テクニカラーといえばこちらを指すようです。
2色だけのときは、赤の色調のフィルムと緑の色調のフィルム2本を貼り合わせて映写機にかけたそうですが、映写された映像のフォーカスがズレやすいなど、問題点があったようです。
3色法の場合は、「ダイ・トランスファー方式」というもので、赤・緑・青の色調を持つモノクロフィルムを、映写用フィルムに定着し、二色法における欠点を解消し、色彩の彩度に優れたカラー方式として、1950年代まで広く使われたそうです。
ウィキペディアに書かれているものを請け売りで書きましたが、書きながら素人の私が疑問に思ったのは、カラーフィルムのなかった時代であれば、赤・緑・青それぞれの色調を持たせることが、モノクロフィルムでできたのか、ということです。
また、ダイ・トランスファー方式を用いるにしろ、その3色を合成しても、モノクロフィルムに定着したら、モノクロ映像になってしまいそうな気がします。
おそらくは、モノクロフィルム全体を、赤・緑・青に「着色」したのでしょう。
素人の私だから理解できないだけで、この方式によって、文句のないカラー映像が生み出せたのでしょう。
実際、この当時撮影された数々の名作は、のちの、カラーフィルムで撮影された作品よりも、純度の高いカラー映像を持ちます。
現代のデジタル技術におけるカラー映像を撮影するため、赤・緑・青それぞれを受け持つ3枚の撮像素子を持つカメラがあります。それのほうが、1枚の撮像素子で処理するよりも、より純度の高い色彩が得られる原理を、テクニカラーで実現していたことになります。
商業映画も、フィルムでなく、デジタルで撮影し、上映するようになりました。デジタルであれば、フィルムのように、退色したり、傷がつくということが起こりません。
初期のカラーフィルムは、のちのフィルムに比べて、退色が進みやすかったそうです。
テクニカラーは、カラーフィルムが誕生する前に撮影されていますが、原版は3色が別々にモノクロフィルムに定着されているため、保存状態さえ良ければ、色の再現性は変わらないそうです。
この利点は、デジタルによるリマスター作業が始まったことで、再評価された、とウィキペディアの記述にあります。
当たり前に接しているカラー映像ですが、誕生の裏でさまざまな試みがされたことを、ふとしたきっかけから知ることができました。
さてと、本コーナーの更新が終わりましたので、『イースター・パレード』の残り1時間少しを愉しむことにしましょうか。