レコーダーに録画したものの、なかなか見られなかった米国の古い映画を見ることを続けています。
このところは、チャールズ・チャップリン(1889~1977)の作品をまとめて6作品見て、本コーナーで取り上げました。これで、レコーダーに録画してあったチャップリンの作品はすべて見ました。
それでも、レコーダーに残っている作品はまだあります。
今回は、オードリー・ヘプバーン(1929~1993)の作品を見ました。
彼女は、『ローマの休日』(1953)に出演したことで、一躍人気となりましたが、今回見たのは、その翌年の主演作品『麗しのサブリナ』(1954)で、本作の彼女が、最も美しく撮れているのでは、との評価もあると聞きます。
監督したのは、私が好きな監督のビリー・ワイルダー(1906~2002)です。ですから、作品としてはまったく問題がありません。
作品としては問題がないのですが、見始めて、あまりにも話が調子よく、演じるヘプバーンも、ちょっと調子に乗りすぎているのでは、と感じないでもありませんでした。
本作について書かれたネットの事典ウィキペディアに気になることが書かれています。共演した男優のひとりがハンフリー・ボガート(1899~1957)です。ボガートにとって本作は、晩年の出演作になります。
その彼が、本作を撮影中だったヘプバーンに対する態度が冷たかった、という裏話です。
当初、ボガートが演じた役は、ケーリー・グラント(1904~1986)が演じることになっていたそうです。それが、撮影に入る一週間前になってグラントに断られ、ボガートを急遽採用したそうです。
個人的には、ボガートが演じたことで、より大人の味が出て、よかったと思っています。
そのため、出来上がっていた脚本を大幅に書き直したそうです。撮影が始まっても脚本は出来上がっておらず、撮影中に間に合わないときは、監督がヘプバーンに仮病を装って休ませ、撮影を止めたこともあったようです。
出演料は、ベテランのボガートが30万ドルで、ヘプバーンが1万5000ドルといわれていますから、格の違いは明らかです。
後年、ヘプバーンの息子に語った話では、別にボガートに辛く当たられた話はなかったということですが、ボガートが本作を撮影していた頃のヘプバーンをひとりの女優として認めていないと当人が誰かに話した噂があったようです。
ボガートにしてみれば、ヘプバーンは『ローマの休日』の成功によって一躍有名にはなったものの、彼女の実力がそれに伴っていないように、映ったのかもしれません。
本作におけるヘプバーンは、はつらつな演技を見せ、存分に魅力を振りまいています。ただ、人気に火がついて、その勢いがそう見せるのか、ベテランのボガートにもそう感じさせたような、浮ついたところがなくもないように見えます。
当時のヘプバーンの作品には同じような懸念がなくもなく、作品としては悪くないものの、いわゆるヘプバーン的な匂いが共通してあり、もしも彼女以外の、もっとふさわしい女優が演じていたら、どんな感じに仕上がっただろうと思わないでもないです。
もっとも、本作の脚本を書き、実質的には、その後に舞台の戯曲も書いたサミュエル・テーラーは、彼女が主演のサブリナを演じることを前提にして脚本を書いたそうです。
ということは、彼女以外のサブリナはいないことになりますけれど。
本作は白黒作品で、ワイド画面でなく、古典的な4:3のスタンダード・サイズでしっかりと撮られています。
彼が撮影監督をした中で、私が知っている名作としては、『OK牧場の決斗』(1957)、ビリー・ワイルダーの『お熱いのお好き』(1959)などがあります。
ヘプバーンが主演作としては、本作のほかに、『シャレード』(1963)、『パリで一緒に』(1963)、『おしゃれ泥棒』(1966)、『暗くなるまで待って』(1967)があります。
『暗くなるまで待って』はレコーダーに残してありますので、あとで、撮影監督の目で見てみるのもいいでしょう。
途中でも書きましたが、本作はヘプバーン演じるサブリナという女性が、あまりにも調子よく生きているように見え、途中で一度、見るのを止めようかと思いました。
その調子よさは、村上春樹(1949~)が書く小説に登場する人間に共通するような感じです。
それでも我慢して見ていると、さすが、ビリー・ワイルダーも脚本に加わって仕上げた作品らしく、落ち着くところに落ち着いて、見るものを安心させます。
サミュエル・テーラーがひとりで書いた戯曲と、本作の脚本はラストが違うようです。比べていないので私の単なる想像ですが、最後の最後で変わる話が、戯曲にはない(?)のかもしれません。
撮影の技術的な話としては、白黒で撮られたことが幸いし、昼間に撮影されながら、夜のシーンが、夜そのものに不自然なく見ることができます。
また、走る車の車内や、ヨットのシーンで、背景に映像を使いながら、それほど違和感なく見せています。
本作の舞台は、米国の財閥が住む邸宅で、その家の運転手を20年以上務める男の娘がサブリナです。そのサブリナが、財閥の息子に恋をし、それが実るか、実らないかは見どころのひとつです。
ちなみに、サブリナの父を演じるのはジョン・ウィリアムズ(1903~1983)です。「刑事コロンボ」シリーズで唯一英国を舞台に描かれた回の「ロンドンの傘」では、被害者の劇場支配人を演じています。
本作におけるサブリナは、シンデレラストーリーそのままに、とんとん拍子で恋が実りそうになり、いくら映画でも出来過ぎた話だろう、と途中までは鼻白むのです。
サブリナが恋心を寄せるのがウィリアム・ホールデン(1918~1981)が演じるデビッドという次男坊です。ボガートが演じる兄のライナスが仕事一筋の独身であるのに対し、デビッドは恋多き男で、それまでに三度結婚し、三度とも短期で夫婦仲が解消されています。
サブリナの恋心に気がついたデビッドは、すぐにサブリナとも恋に落ちるものの、あまりにも身分が違い過ぎ、財閥の父親は大反対し、サブリナの父としても、相手が違い過ぎるとよい顔をされません。
サブリナの父は、サブリナが想うデビッドを月にたとえ、眺めるだけならいいが、手が届かないものに手を出しては駄目だ、と諭そうとします。
本作でもうひとつ特徴的なのは、『ラ・ヴィ・アン・ローズ(ばら色の人生)』という曲をテーマソングのように使っていることです。
サブリナは、この歌を口ずさんで恋心の募らせ、自分の心を慰めたりします。
ウィキペディアの記述によれば、本作の撮影で知り合ったウィリアム・ホールデンとヘプバーンは仲良くなり、彼女は一度は、彼との結婚まで考えたようです。
そうであったからでしょう。ヘプバーンがホールデンと絡むシーンは、いかにも嬉しそうな顔をしています。
ふたりがよろしくやっていることを知ったであろうからか、ボガートはホールデンをよく思っておらず、新聞記者にはホールデンのことを「あの能天気野郎」といったそうです。
本作では、ふたりがふたりを殴り飛ばすシーンがあります。
本作が、村上作品にない話になったのは、ちゃんと、大人の男を登場させているからです。それが、ボガートの演じたライナスです。
村上が、もっと大人向けの作品を書こうとするのであれば、大人の人間を登場させることですが、それができない限り、あり得ないと読者に思わせる作品しか生み出せないでしょう。
ヘプバーンが本作で見せたヘアスタイルは、公開当時の米国で「サブリナ・カット」といわれ、大流行したそうです。
現代においてもヘプバーンのヘア・カットは魅力的です。女性が本作を見たら、すぐに真似したくなるでしょう。