このところは、レコーダーに録画したままになっていた、米国の古い映画を見ていますが、チャールズ・チャップリン(1889~1977)の作品が続いています。
今回紹介する作品で、私のレコーダーに残っているチャップリンの作品はなくなります。1952年10月16日に、米国より7日早く、チャップリンの祖国、英国で公開された『ライムライト』です。
日本で本作が公開されたのは、翌年の1953年です。
チャップリンは本作のワールド・プレミアを開催する英国行きを決めますが、一度米国を出国すれば再入国できないことを悟り、事実、その後、米国には戻れないままこの世を去っています。
その頃に制作されたことを知ると、感慨深いものがあります。
本作の舞台は、第一次世界大戦(1914~1918)が始まった1914年夏のロンドンです。といって、本作に戦争の影はまったくありませんけれど。
本作が公開された年、チャップリンは63歳です。88歳まで長生きましたので本作の公開後、四半世紀生きたことになり、晩年とはいえませんが、それまでの自分の人生を振り返るような作品になっています。
チャップリンが演じるカルベロは、一時期一世を風靡した喜劇の芸人で、今は人気も落ち、それでも、自分の芸の可能性を探って毎日を暮らしています。
その日の昼下がり、カルベロは千鳥足で自分のアパートに戻ってきます。アパートの前の通りで、子供たちが、カラクリ仕掛けの見世物箱(?)を覗き込んでいます。子供たちは、女の子がふたり、男の子がひとりです。
芸を離れたチャップリンの私生活の話になってしまいますが、彼は生涯に4度結婚し、子供が11人生れています。それをまとめたものがネットの事典ウィキペディアにあります。
一番多く子供が生んだのは4番目の妻のウーナ・オニール(1925~1991)で、8人の子供が生まれています。歳は、チャップリンより36歳下です。
面白いといったら語弊があるかもしれませんが、彼女との間で、チャップリンにとって初めて女の子が生まれています。それまでは男の子ばかりです。
こんなことを書いたのには理由があります。本作のオープニングに登場する子供たち3人は、いずれもオニールとの間に生まれた子供たちだからです。
酩酊状態のため、鍵が錠前の穴になかなか入れられずにいると、それを見た長女のジェラルディン・チャップリン(1944~)が、「(大家の)おばさんは留守よ」といい、次女が真似をして「るすよ」といいます。チャップリンが演じるカルベロは、自分の可愛い子供たちの演技に、心底嬉しそうに笑顔を浮かべます。
カルベロの部屋は3階で、よろけた足取りで階段を上ろうとしますが、何か臭いがすることに気がついて、階段の脇の部屋の前まで行きます。
ドアに開いた穴から中を覗くと、若い女がベッドの上で倒れています。ドアの下の隙間には、タオルか何か詰められいます。酔ってはいても、女がガス自殺を図ったことを悟ったカルベロは、体当たりしてドアを破り、若い女を助けます。
カルベロに命を救われた若い女はテレーズ(愛称はテリー)といい、バレリーナの卵です。
カルベロはテリーを自分の部屋まで連れて行き、体が良くなるまで面倒をみます。
カルベロは、それまでに5人の妻がいたとテリーにいいます。目下のところは独り身です
チャップリンの作品では、チャップリンが演じる主人公が、出会った若い女と仲良くなり、彼女たちを幸福に導きますが、彼女たちとの間で性的なことは一度も起きません。完全なプラトニックラブです。
今の作品では不自然かもしれませんが、チャップリンの作品では、それがわかっているため、安心して見ていられます。
カルベロは、アパートの大家をするおばさんの手前、夫婦ということにしておこう。今日から私がお前の臨時の夫だ。よくなったら即離婚しよう、といいます。
これで、テリーがすぐよくなり、カルベロの元から去っていったのでは映画として成り立ちません。テリーの具合はよくなったのですが、足が麻痺して動かない、といって悲嘆にくれるのです。
医者に診てもらうと、精神的なことで、足が動かなくなっているのだろう、とカルベロに説明します。
カルベロがテリーを優しく励ます場面がいいです。
若い人で、何かに悩んでいる人がいたら、本作を見ることで、励まされたり、慰められたりするでしょう。
たとえば、こんな風にテリーを励まします。
瞬間を生きればいい。素晴らしい瞬間ならいくらでもある。
自分と闘うのはやめないか。闘うのなら、幸福のために闘え。
みんな生きるために闘っている。それが人間の定めというものだ。
人生を恐れるな。生きていくのに必要なものは、勇気と想像力。それから、少々の金だけだ。
テリーを励ましながら、実は、カルベロは自分自身を励ましているのです。
芸人として晩年を迎え、最近は、自分が喝采を浴びていた頃の夢をよく見ます。舞台で自分の独り芸を披露し、客席を見ると、客がひとりもいないところで目が覚めたりします。
カルベロは物事を考えすぎるところがあり、深刻さが顔に出てしまったのでは、他人を笑わせる芸人には致命的、といつからか酒を飲んで舞台に上がるようになり、それが習慣になった今は、舞台を降りても酒に酔った状態です。
カルベロの芸のひとつに、「ノミの曲芸」があります。
舞台に独りで上がり、口上を述べます。昔は猛獣使いをしていたが、今は猛獣を手放して手元にいない。それでも芸を披露しよう、とノミを訓練した。これこそが、地上最大のショーだ。といって、フィリスとヘンリーという2匹のノミがいることにした芸を披露するのです。
テリーがカルベロに出会う前、テリーが片想いした若い作曲家(作曲家もテリーに想いを寄せていたのです)との話が出てきます。この作曲家のネビルを演じるのは、チャップリンの三男のシドニー・アール・チャップリン(1926~2009)です。
本作で特筆すべきなのは、チャップリンが活躍した時代、チャップリンと人気を二分した喜劇スターのバスター・キートン(1895~1966)と、最初で最後の共演をしていることです。
世界の三大喜劇王のハロルド・ロイド(1893~1971)を加えれば、「人気を三分した」が正確ですが。
ウィキペディアの記述によれば、チャップリンが誘って共演が実現したようです。
その場面は、本作のラストに登場します。
カルベロの芸が終え、何組も登場する出演者の時間調節をする男は、舞台の袖からカルベロに「早く舞台から降りろ」と命じますが、アンコールが鳴りやみません。
客席でカルベロの芸を大笑いして見ていたエージェントは、電話で舞台係に「アンコールに応じろ」と命じ、カルベロが、キートンが演じる芸人とふたりで舞台に戻り、芸を披露するのです。
その芸のおかしさは、私が下手な文章にするより、その場面の動画を見てもらった方が話が早いです。
チャップリンの長編作品を6本見ましたが、見ていて、涙が出そうになったのは本作だけです。
すでに忘れられたスターになっているカルベロが、売れっ子のバレリーナになったテリーに呼ばれて、テリーが舞台稽古する舞台に呼ばれます。
しかし、いくら待っていてもカルベロは呼ばれず、最後にはカルベロの存在が忘れられ、カルベロひとりだけが取り残されてしまいます。
ついていた照明がひとつ、またひとつと消され、カルベロにあたっていた光がすべて消え、真っ暗になる場面があります。
光の表現だけで、カルベロが置かれた立場を象徴的に描く場面です。
チャップリンは、本作でカルベロを演じながら、自分がそれまで歩んできた人生に重ね合わせたでしょう。
ときには挫折し、自分で自分を支えるしかなかった彼は、自分で自分を鼓舞したに違いありません。幸福を掴むために闘いをやめるんじゃない、と。
栄光を手にし、それが自分の手から離れていくことも見ているはずです。そのときは、どんなふうに自分を慰めたでしょう。
テリーを剥げますカルベロは、こんなことも口にしています。
人生の意味がわからないって?
人生の意味なんて、もっともらしく、とってつけたようないい方をしているだけだ。人生を決めるのは願望だ。バラはバラになろうと望んでいる。だからどこまでもバラなんだ。
さっきまで、君は人生を無意味と考えていたかもしれない。でも今は、臨時の夫である私と、住む家があるじゃないか。