レコーダーに録画しながら、見ていなかった昔の映画を見ることをなお続けています。
録画する映画は、NHK BSプレミアムで放送される作品に限っています。民放で放送されるものは、途中でコマーシャルが入り、興味が削がれるからです。
私は昔の作品に関心があり、中でも、1950年代の米国の作品はハズレが少ないように感じます。
今回見たのは、『翼よ!あれが巴里の灯だ』(1957)です。題名だけは聞いたことがあるかもしれません。私もその作品があることは知っていましたが、今回、初めて見ました。
監督は、私が好きなビリー・ワイルダー(1906~2002)。そして、主演が、これも好きな、ジェームズ・ステュアート(1908~1997)です。
本作が、大西洋単独無着陸飛行を世界で初めて成功させたチャールズ・リンドバーグ(1902~1974)を描いた作品であることを知る人は多いかもしれません。
個人的には伝記物をあまり好まず、それで今まで本作を見ようとしなかったのかもしれません。
映画はこの百年ほどで今の形になりましたが、航空機も、百年で信じられないほどの進化をしています。リンドバーグが、1927(昭和2)年に実現させるまで、大西洋を小型飛行機を単独で飛行することが夢とされていたのですから。
本作は、リンドバーグが残した”The Spirit of St. Louis“を原作とし、ほぼ忠実に描かれているのでは、と思います。
見始めたら非常に面白く、見終わったあと、すぐにもう一度見たくなったほどです。
描こうとするものはシンプルです。リンドバーグの大西洋横断です。それが成功していることを知っているため、どんな風に描いたのか、興味がありました。
作品は、その偉業が実行される前の晩に始まり、それが成功したところで終わります。その間に、リンドバーグのさまざまなエピソードが上手に射し込まれています。
同じ素材を日本の映画会社やテレビ局が映像化したら、感動を煽るように描き、リンドバーグに涙を流させたりしたかもしれません。本作には過剰な演出はありません。さすが、ビリー・ワイルダー監督です。
本作を見ることで、好きなはずのジェームズ・ステュアートについて、これまでまったく意識したことがなかったことに気づかされました。
それは、ステュアートが演じるリンドバーグが、その偉業を実現させるため、資金の提供者たちに話をする場面にありました。
彼はみんなから「ノッポ」とか「ノッポ君」と呼ばれています。スラっと背が高いのです。
リンドバーグを演じるステュアートがこんな台詞をいいます。
小学校のときはクラスで一番のチビだった。それで誓ったんだ、自分自身に。絶対に190センチのノッポになってみせるって。誓いよりも1センチ高くなってしまったけれど。
この通りの台詞ではありませんが、だいたい、こんな内容でした。
その場面を見ながら、リンドバーグを演じたステュアートも長身だったんだろうか、と気になりました。それで調べると、ネットの事典ウィキペディアに、彼の身長が191センチとありました。
これまで彼が主演した作品はいくつも見ていますが、彼がそんなに大男だと意識したことは一度もありませんでした。本作を見なかったら、それを意識することはなかったかもしれません。
本作でステュアートがリンドバーグを演じるにあたっては、あることが問題視されたようです。それは年齢です。
リンドバーグが大西洋単独飛行を成功させたとき、年齢は25歳だったそうです。それを描く作品でリンドバーグを演じたステュアートは、20歳以上年上の48歳ぐらいです。
本作が米国で公開されたのは1957年ですが、撮影には20カ月を要したそうです。ステュアートは1908年の生まれですので、48歳になった頃に撮影が始まり、どのシーンを最後に撮影したかわかりませんが、49歳の頃に終わった計算になります。
年齢のことは、見たあと、ウィキペディアにある記述で知りました。知らずに見ているときは、ステュアートがまだ若かった頃に本作に出演したのか、と考えたほどでした。
実際には、前年にヒッチコック(1899~1980)の『知りすぎていた男』(1956)に、翌年に同じくヒッチコックの『めまい』(1958)に出演しています。
『知りすぎていた男』では、共演したドリス・デイ(1922~2019)が歌う『ケセラセラ』(1956)は有名です。
ということは、50歳に近かったステュアートが、25歳の若者を見事に演じていたことになります。
当時は、誰が単独で大西洋横断飛行に成功するかを競っていたようです。リンドバーグは当時、郵便物を運ぶ飛行機のパイロットでしたが、その競争に加わります。
大手の航空会社の飛行機は、会社が決めたパイロットでなければ操縦させられないといわれ、サンディエゴにある家内工業的な航空機製造工場に専用の小型機の製造を依頼し、同工場の社長と意気投合したこともあり、特別に、63日間で製造してもらっています。
設計から製造の場面の描き方も面白いです。
無着陸でニューヨークからパリまで飛ばなければならないため、飛行機は1キロでも軽くし、連続飛行に耐えられるよう、頑丈なエンジンと十分な燃料が必要となります。
リンドバーグの注文で、燃料タンクは操縦席の前に取り付けることになりました。
出来上がった飛行機を見て驚きました。操縦席の前の窓がありません。本来は窓があるはずの高さまで、燃料タンクが塞いでいるからです。
それでどうやって、離着陸し、飛行するのかと素人目にも考えてしまいます。
社長の提案で、鏡を使ったミニ潜望鏡のようなものを計器盤に取り付けますが、見える像の大きさはスマートフォンの画面ぐらいです。それが、夜間にパリの空港に着陸したときにどの程度役に立ったでしょうか。
リンドバーグは社長に、操縦席の両側についている窓から外を見るから大丈夫と答えます。その窓も大きくありません。見たところ、新聞紙の1ページぐらいの大きさです。
窓にはガラスがはまっていません。エンジン音が大きく聴こえるため、リンドバーグは、綿をちぎって耳に詰めています。
できるだけ重量を減らすため、送受信機も積まず、進行方向を確認するための計器も省いてしまいます。狭くて殺風景な操縦席の頭のあたりに、方角を知るための小さな磁気コンパスがあるだけです。
この飛行機で、5,810キロの距離を33時間半飛び続け、目的地であるパリにあるル・ブルジェ空港に到着できたのでした。
この試みに挑んだほかの挑戦者は、テスト飛行中や、挑戦中に墜落し、亡くなっています。
リンドバーグを演じたステュアートは、実際に飛行機の操縦ができたのでしょう。先の大戦中は、航空軍に所属し、B-24爆撃機のパイロットをし、飛行時間が1800時間に及んだ、とウィキペディアの記述にあります。
日本にも何度も飛来し、東京大空襲にも参加した(?)かもしれません。そんなことを想像すると、本作を離れ、複雑な気分になります。
日本との戦争が始まったあとは、一本も出演した映画がありませんね。戦後に出演したのは、1946年の『素晴らしき哉、人生!』が最初です。
日本と違い、戦争の影がありません。
本作で、テスト飛行を終えた飛行機が滑走路に着陸したあと、プロペラが回転する飛行機がこちらに近づき、停まった機内からリンドバーグを演じるステュアートが出てくるまでをワンカットで撮影した場面があります。
それをどのように撮影したのかと思いましたが、飛行機の操縦がお手のものであれば、別に不思議がることもないです。戦時中に、大型の爆撃機を1800時間も操縦した経験を持つ彼であれば。
平和な時代、彼が自家用機を持ち、飛行を愉しんだのかどうかは知りません。
リンドバーグの到着を待っていた20万人のパリ市民が、夜、リンドバーグが乗った飛行機に殺到します。
そのあと、米国に凱旋したリンドバーグは、400万人に祝福されたそうですが、その場面は当時の白黒のニュース映像を使って紹介し、そのままエンドマークとなります。
最後にもう一度引き合いに出しますが、これを日本の映画製作者に任せたら、感動の押し売りをするであろうことが想像できます。
さらっと終える描き方を選んだビリー・ワイルダー監督はスマートです。