いつ頃からなのか、素人が動画で情報を発信することが増えました。ネットの動画共有サイトのYouTubeを利用し、テキストでブログを書くように、動画でそれを発信する人が増え、そうした人が今は、Vloggerと自称したりしています。
「百聞は一見に如かず」で、文章で説明するよりも、動画で説明してもらった方が理解が速いことがあるのは否(いな)めません。私自身、知りたいことがあるとき、動画に頼る頻度が増えています。
このように、動画の強みは理解していますが、今のように何でもかんでも動画にする傾向は、疑問に思えないでもありません。
YouTubeの動画を見ていて、「その話なら、わざわざ動画にするまでもないのでは?」と感じることがなくもないです。Vloggerといわれる人の動画にその傾向が強いような気がします。
テキストのブログがそうであるように、その人の身辺の話題を動画にしようとする場合、行き当たりばったりで動画制作を始めてしまいがちです。
仮のケースを考えます。Aという人が、Bという話題を動画にすることを思いつきます。Aはカメラの前に座り、Bについて、思いつくままに話します。生放送でなければ、収録した動画を編集なりして配信します。
しゃべることを仕事にしていない人は、しゃべる訓練を受けていないことが多いでしょう。しかも、行き当たりばったりで始め、思いつくまましゃべるのですから、まとまりのない話になりがちです。
私も偉そうなことはいえません。私の場合は音声のみでしたが、本サイトで10年ほど前、思いついたことをそのまま話し、それを音声ファイルにして紹介する「インディの鞭の気まぐれトーク」というコーナーをやりました。
そのときのトークは、素人の私がしたのですから、まとまりのあるトークにはなっていません。話していて、思い出せないことがあると、しばらく黙ったままで、結局思い出せなくて、「思い出せませんでした」というしかない、といった具合にです。
だからといって、台本のあるテレビ番組の「語り」が素晴らしいかといえば、私はそうは思わないのです。
テレビ番組は、声優か俳優を語り部に使います。しゃべり方は上手で、声も魅力的になるでしょう。しかし、彼ら、彼女らの語りは、台本に書かれている活字を間違わずに読んでいるだけです。間違ったら、録り直して、正しい「語り」を使うでしょう。
そんな「語り」を使った番組のエンドテロップには、「語り」は誰々と名前が紹介されますが、台本を読んでいるだけなら、「語り」でも何でもないでしょ、と私は心で突っ込みを入れます。
どうしても「語り」をテレビ番組で使いたかったら、再生した動画に、台本なしの「語り」を彼らや彼女らにさせるべきです。それをしてくれたら、私も「語りは〇〇か。いい語りだった。語りが〇〇だったことを憶えておこう」と心の中でいいます。
話を、Vloggerに代表される素人動画の語りの話に戻します。
これを更新する前、YouTubeである動画を見ました。ある専門的なことがわからず、わかりやすく解説してくれていそうな動画を見つけ、次の動画を見ました。
このことは、本コーナーで書いたことがあります。
私が最近購入したZOOMのフィールドレコーダーF2には、ある有料オーディオソフトをインストールして使える特典がついていました。そこで、すぐに手続きをしたのですが、そのソフトメーカーのサイトでアカウントを作成する過程で、サイトからの確認メールが届かずに困っているのです。
そのため、解決の糸口を与えてくれることを期待して上の動画を見ました。
別に、動画の配信者を批判する気持ちはまったくありません。ただ、私が知りたかったことが得られず、途中で見るのを止めてしまいました。
これは私だけに限ったことで、動画のコメント欄を見ると、この動画のお蔭で悩みが解消された人が多くいます。
私が本コーナーで書く文章は、悪例となるようなVloggerの動画と似たところが多分にあります。
ネットにある、テキストを使った解説は、ピンポイントで問題点を手際よく解説してくれています。そんなテキストであれば、短時間で知りたいことが得られ、時間的にも有益です。
私が本コーナーでテキストにすることの多くは、解説的なものではなく、そのときに私が考えたり、感じたりしたことで、解説する要素が少ないです。ですから、最後まで読んでもらっても、何かが解決するわけではありません。
動画は時間の制約を受けます。
ネット環境が整ったこともあり、今は長い動画が増えています。
その傾向は、Vloggerの動画にも当てはまります。Vloggerのひとりが、動画を長くするよう、YouTubeからいわれている、と内幕を話していました。
私は、長い動画の場合は、端折って見るようにしています。その動画にだけ時間を使うわけにはいかないからです。
昨日見たVloggerの動画は、そのVloggerが「今ボクは、こんなことで悩んでいます」と延々と話しています。その配信者のチャンネルを登録している人は、答えのない動画でも、悩む配信者のしゃべりを楽しんで見ることができたりするのでしょうか。私にはできないです。
こんな感想のあとにこんなことを書くのはアレですが、下手なしゃべり方が良いこともあります。
プロのナレーターが、立て板に水の如く、一気にあることをしゃべるのを聴くのが私は苦手です。長い文章を段落なしに見せられて感覚になり、頭に全然入ってこないからです。
その反対が、しゃべり方の下手な人が、つっかえつっかえしゃべることです。これが私の理解のスピードにはちょうど良く、内容が頭に入りやすくなります。
10年とか、長い期間Vloggerをする人の中には、台本なしで、プロのナレーターのように、息もつかずに、延々としゃべり続けることができる人がいます。しかし、そんな人のしゃべりは、すぐ上で書いた理由で、しゃべったことが私の頭には入って来ません。
私の移動手段は自転車ですが、私は自転車で走るのが自分に合っており、好きです。
それと同じで、理解のスピードというものも、人間の頭に合わせたスピードがあるように思うのですが、どんなものでしょうか。
本日分の更新は、文章に残すまでもない内容でしたかもしれません。失礼しました。