2011/01/25 筒美京平のお宝作品集

本日も、本コーナーは思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて更新しています。このところは朝一でトークをすることが増え、「夜にトークをすることが多い」とはいいにくくなってきましたが、今回もそのいいにくい朝にトークをし、そのあとに本ページの更新をしています。

本日分の内容につきましては、音声ファイルでご確認下さい。で、そうされない場合は、下にトークを要約して書き起こしていますので、それをお読みになって、トークのだいたいの流れをご想像下さい。

なお、音声ファイルはmp3方式にて紹介しています。再生箇所は前後に自由に移動させることができる、と思いますので、下の書き起こしで見当をつけ、聴いてみたい部分だけを“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(^ー^)ノ

インディの鞭の気まぐれトーク〔2011.1.25〕

トークを要約した書き起こし

今回も夜にトークをしている、と惰性でいってしまいそうになるが、今回は夜ではなく、朝にトークをしている。最近は朝にトークをすることが増え、いつしか、「いつもの朝にトークを」というようになる、だろうか。

話し始めたのが午前5時10分過ぎ。いつもであれば、まもなくNHKラジオ第1で始まる「ラジオあさいちばん」を聴くところだが、ラジオを聴きながらトークをするわけにもいかないので、今回はトークに専念することにする。

それにしても、毎日寒い日が続く。寒い地方に比べれば関東平野の寒さもたかが知れているだろうが、それなりに寒くて嫌になる。

冬になる前、今冬はどのように予想されていただろうか。3カ月予報を正確に憶えているわけではないが、特別寒くなるとはいっていなかったように記憶している。

すぐ上で話している「ラジオあさいちばん」を昨日の朝も聴いていたが、「ふるさと元気情報」のコーナーで、北海道に住んでいる地元の通信員(というのかな?)が、スタジオのアナウンサーに「寒いでしょうね?」と訪ねられ、「そんなに寒くない」と答えた。でも、気温を訊くと「-5℃」ほどだそうだ。

流氷の話も出ていたので、網走の辺りの通信員であったかもしれない。

これは個人的な話になってしまうが、網走と聞くと、2000年に亡くなった姉を思い出す。死の2年前の冬、網走へ旅行に行っているからだ。

1998年の冬には長野オリンピックがあった。姉は友達たちとオリンピックを見に行こうという話になった。しかし、前もって予約していなかったため、ホテルがどこも満室で予約が取れない。その代わりとして、流氷を見に網走行きとなった。

ついでまでに、羽田空港から網走へ向かう往きの飛行機はプロペラ機だったそうだが、窓から主翼が見え、それがバタバタと上下に動いているように見えて怖かったと話していた。しかし、これまでに飛んでいる途中で翼が落ちたという話は聞かないので、これは姉貴の思い過ごしだろう。

網走では、ガリンコ号という砕氷船に乗って海の上から流氷を堪能し、また、気球に乗って空からも真冬の北海道を見たそうだ。「素晴らしいから一度行ってみろ」といわれたが、出不精で寒がり私は、自転車で家の周りを走り回るのがせいぜいで、まだ行っていない。なお、このガリンコ号は紋別紋別港から出港するようなので、昨日の朝、「ラジオあさいちばん」で冬の北海道の話をしてくれた通信員は、紋別の人だったかもしれないと今になって気がついた。

そんなこんなで、昨日の午後、私は自転車で自宅の周りを走り回った。といっても、何の目的もなく走ったわけではない。

今年になって一眼レフカメラのレンズを立て続けに2本手に入れているが、昨日、レンズをもう1本手に入れた。レンズが届いたという知らせを受け、昨日の午後、窓から見ている分には暖かそうな日和に誘われて自転車で走り出した。しかし、空気はとても冷たく、手袋としなかったのと帽子をかぶらなかったのを悔やんだ。

今回手に入れたレンズも、私のお得意の中古。だから、3本のレンズを立て続けに買ったからといって、特別大金をそれにつぎ込んだわけでもない。値段的には、3本のレンズを合わせてやっと平均的な新品レンズ3本ぐらいの値段になるといったところ。

今回はレンズの話が本題ではないので、今回手に入れたレンズの話は詳しくしないが、今年に入って続けて買ったレンズはいずれもタムロンだが、昨日買った3本目は、同じく日本のレンズメーカー、シグマの望遠レンズ。

焦点距離が70~300ミリの「APO 70-300MM F4-5.6 DG MACRO」というモデル。

私はこれまで【200ミリ】までしか使ったことがなかっため、それよりも【100ミリ】望遠で撮影できるレンズになる。野鳥を撮影するのを趣味にしている人やスポーツ、モータースポーツを好んで撮影する人が望遠レンズのユーザーに多いのだろう。また、小さなお子さんをお持ちの人であれば、我が子の運動会へ行って、走る姿を拡大して撮影するのに使われたりするだろう。私はどちらの用途も今のところないが、とりあえずといった形で手に入れた。

私は昨年末から思いついたように家の中の整理をしている。昨日も、午後にレンズを受け取りに行くまでの時間を使って自分の部屋の整理をした。私には物を集める蒐集癖があり、録画済みのビデオテープも結構な数ある。

ビデオテープは専用ラックに収納している。引き出し式のケースが2列10段ある。ひとつの引き出しにテープを【12本】収納できるで、それだけで【240本】のテープがあることがわかる。それに入りきらないテープがほかに多数ある。

それらの録画済みのテープを改めて確認すると、ケースの下の段に入れておいたテープにカビが生えていることに気がついた。この際、内容に関係なく処分することにしたが、大きな段ボール箱のふたが閉まらないほどの数のテープを処分せざるを得ないことがわかった。

井上陽水『夢の中へ』でも「探すのをやめた時 見つかる事もよくある話で♪」と歌っているように、探し物は、見つけようと思っているときはなかなか見つからず、期待もせずに片付けをしているときに見つかったりするものだ。

昨日も、そんな風にしてふたつの物が思いがけなく見つかった。ひとつは、昔にフィルムの一眼レフカメラで撮影したリバーサルフィルム

1年前の今頃は、簡易なイメージスキャナを使い、懐かしいリバーサルフィルムをデジタルファイルに変換することをした。

リバーサルフィルムは、現像に出すときに、現像されたネガフィルムのように数コマがつながった状態で戻ってくる「スリーブ」と、スライドで上映しやすいよう紙のマウントに1コマずつ納めた「マウント」の2種類から指定できる。私は常に「マウント」仕上げを頼んだ。

昨年、そのように保存してあったリバーサルフィルムを1コマずつデジタル化したが、古いフィルムから順番に作業していくと、ある一定の期間のフィルムがすっぽり抜けていた。ヘンだと思いながら作業をしたが、昨日、部屋の片付けをして、空白期間のフィルムを見つけた。

どんなにお金を積んでも、昔の写真をあとで撮ることはできない。昨日見つかったリバーサルフィルムをまたデジタル化する作業が待っているが、作業をしながら昔を懐かしむことになるだろう。

もうひとつ見つけたのは、作曲家・筒美京平の仕事を振り返る『HITSTORY Vol.1』というCD4枚組のアルバム。

これが凝った装丁になっている。納められた曲が作曲された時代を意識させるように、LPレコードと同じ大きさの台紙にCD4枚が固定されている。

私が所有する筒美京平作品集CD4枚組アルバム”HISTORY”画像

また、同じ大きさの分厚い解説書が付いている。アルバムには「完全生産限定版」とあり、それほど多くは市場に出回っていない商品かもしれない。

私は購入したものに日付を記すヘンな癖があり、これには【1997.12.15】とある。この年が筒美の作曲家活動30年にあたり、それを記念するアルバム。筒美は多作で知られ、作曲の仕事を始めてからその年までに作曲された【2650曲】のリストが掲載されている。

アルバムに収録されているのは、そのうちの【89曲】。筒美は名うてのメロディメーカーで、当時の歌謡界の第一線で活躍したアイドルたちの曲を多く手がけている。

CD4枚に収録されている曲名と歌手名を追っていくが、トップバッターは、いしだあゆみ『ブルー・ライト・ヨコハマ』弘田三枝子ヴィレッジ・シンガーズオックスジャッキー吉川とブルーコメッツ橋幸夫と往年のトップスターたちの名前が並ぶ。

次の歌手の名を見て、私がNHK-FMのリクエスト番組「サンセットパーク」宛てにその歌手の曲をリクエストしたことを思い出した。その歌手は美樹克彦

映画音楽をかける木曜日宛てのリクエストで、ゴールデンウィーク明けに、「怪獣映画特集宛てにリクエスト」などと、メッセージにふざけて書いたのを担当の山本由布子さんが面白がって取り上げてくれ、そのリクエストをした翌週に「サンセットパーク」始まって以来の「怪獣映画特集」を組んでくれ、私がリクエストした美樹克彦さんが歌う『大巨獣ガッパ』の主題歌を番組でかけてくれた。

NHK-FMの「サンセットパーク」だが、年度替わりまではまだ2カ月を残しているが、今年度限りで番組が終了するという話が聞こえ始めた。私自身はまだ正式にその話を聞いているわけではないが、どうやらこれは本決まりのようである。

番組は、上で名前が出てきた山本さんともうひとり種村祐美子さんのおふたりが1日置きに番組の選曲とパーソナリティを担当する形になっていたが、種村さんが金曜日を担当した21日、番組の終わりの挨拶で「みなさんお元気で」というのを聞き、あることを想像させられた。

昨日の月曜日も種村さんの担当曜日だったが、昨日は終わりの挨拶で、「今月いっぱいで番組を降りることになった。26日水曜日をもう一度だけ担当する」と述べ、種村さんが26日水曜日の担当をもって「サンセットパーク」から“卒業”することを知った。種村さんが番組を降りたあと、3月まで全曜日を山本さんが担当するのかどうかはまだわからない。金曜日は山本さんがおひとりでカバーされることはわかっている。

私自身は、1983年の4月からNHK-FMの午後6時台のリクエスト番組を聴き、番組宛てにリクエストカードを出すことを続けてきた。もっとも、2000年までは洋楽がかかる曜日だけを聴いてリクエストすることをしていたが、その年の5月ぐらいからは全曜日を聴いて、たまにはリクエストするようになった。

あと2カ月ほどで4月になる。桜の季節が終わる頃、午後6時台にぽっかりと時間が空くことになり、慣れるまでは何をして過ごしていいか、自分をもてあますことになるかもしれない。ま、番組が終わっても本サイトは変わらず永遠に更新を続けることにしているが。そうだ。4月以降は午後6時台に「気まぐれトーク」の録音ができるかな?

「サンセットパーク」の話から筒美のアルバムに話を戻し、それまで追っていたスターたちの続きのお名前と曲名を確認している。

尾崎紀世彦『また逢う日まで』も筒美が作曲を担当している。坂本スミ子『夜が明けて』も、欧陽菲菲『雨のエアポート』もすべて筒美の作曲。いずれの曲も、日本人がそれまで耳に馴染んでいた演歌の世界とは異なり、今聴いてもハイカラに聴こえる。それだけ筒美が時代を先がけていたことになりそうだ

そのあと、時代はどんどん進み、今の若い人でも知っていそうなアイドルが登場してくる。南沙織『17歳』。ほかにも当時のトップ・アイドルの名前が続々と登場する。麻丘めぐみ『わたしの彼は左きき』浅田美代子『赤い風船』太田裕美『木綿のハンカチーフ』もそうだし、岩崎宏美『ロマンス』も筒美京平が生み出した曲だ。

このように、思いがけず見つかったアルバムから、筒美京平という作曲家の偉大さを再認識させられたりした一日であった。その片付けが一応終わってから自転車で望遠ズームレンズを受け取りに行ってきた。

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