人には寿命がありますが、それが病死も含めた自然死であれば、当人であっても自分の命が尽きる時期を正確に見通すことはできません。
徐々に体調が悪くなり、自分が長患いすることの予想がつけば、体が動くうちに、自分の持ち物で必要がない物を処分することができます。
全ての人がそうだとはいいませんが、家族であっても、目に触れては困る物を隠し持っていたりするものです。
それが自分にとって不名誉な物であれば、どうせ死んでしまうのだから、死んだあとにどう思われようと関係ない、と口ではいいながら、自分の亡きあとを想像し、できることなら、死ぬ前に処分できるものは処分したい心理が働きます。
たとえば、仲の良い老夫婦がいたとします。そのどちらかの死期が迫り、身の周りの整理を考え始めます。これは妻に比べて夫に多いかもしれませんが、妻と付き合う前に付き合いのあった女性から受け取った手紙の類いを密かに保存していたりするでしょう。
一般的に、女性は男性に比べ、過去の恋愛を引きずらないと聞きます。みんながみんなそうという証拠はありませんけれど。しかし、大まかな傾向はどうもそのようで、過去の交際の痕跡は、夫の側により多く残るものかもしれません。
たとえで手紙を出しましたが、これも蒐集の一つと考えれば、蒐集癖も、もしかしたら女性より男性に多い癖かもしれません。私もこの癖を強く持ちます。
松本清張の作品を、Amazonの電子書籍で読みました。同サービスでは、本日6日まで、対象の作品に最大で50%のポイントが還元されるキャンペーンが行われています。
それを利用し、清張の『表象詩人』という作品を手に入れました。この本には、表題の作品のほかに、全体の37%の分量を占める作品がひとつ併載されています。
その話をこれから書きます。『山の骨』という作品です。
本作に、安原藤四郎という男が登場しますが、はじめから死んでいます。藤四郎は、千葉の市川で三代続く味噌製造販売業を営む家に婿養子で入った男でした。
その藤四郎が、40歳の若さで病死します。夫婦には子供がいないようで、妻の千代子は、夫亡きあと、実家の家業を一人で切り盛りしなければならない立場となります。
夫が亡くなって七七日忌がとうに過ぎたこともあり、千代子は女中や店員の手を借りで、住まいの大掃除をします。
この掃除の最中、座敷の天井裏から妙なものが出てきます。埃をかぶった風呂敷包みです。
中には何かを包んだ新聞紙の塊が現れますが、これにも埃がかぶって真っ黒になっています。
その新聞を広げると、若い女が身につけた次のような衣類が入っていたのでした。
- あまり上等でないワンピース(葡萄の模様と青と紫色のプリント)
- スリップ
- ブラジャー
- パンティ
いずれも、脱いだままの状態で、洗濯した跡がありません。
千代子には心当たりがなく、どうして夫がこんなものを天井裏に隠し持っていたのか見当がつきません。
世の中には、女性の衣服、中でも下着に趣味を持つ男性がいます。
女性の中にも男性のそれらに興味を持つ者がいるでしょう。
以前、ホテルでベッドメイキングをする若い女性従業員が、自分の職場で偶然目にしたものを不用意にSNSに上げ、騒動になったのを思い出します。
彼女が担当した部屋には、前夜、憧れの男性アイドルが宿泊したそうです。問題を起こした彼女は、彼が寝たであろうベッドに横になり、枕に顔を押し付けて残り香を嗅いだりした(?)、のでしたか。
この女性の行為からもわかるように、異性に対するフェティッシュな関心は、比率は多少異なるかもしれません、男性の専売特許ともいえないでしょう。
清張の『山の骨』に話を戻します。
不可解な物が自分の家から出てきても、それに事件性がなければ、事件にはなりません。
本作では、それが別のことに複雑に絡まり、話が展開されていきます。
藤四郎が天井裏に隠し持っていた女物の衣類の持ち主がどんな女性か気になる人は、本作を読んで確認してもらうよりほかありません。
生前に独りだけで絵の制作を続け、死んだあとにそれが発見され、世に知られる表現者がいます。
ヘンリー・ダーガーもそんな伝説的な一人です。
彼はアパートで独り暮らしをする男で、彼は雑役夫と認識されて生きていました。
彼がなんの取り柄もないと思われながら世を去ったあと、彼の部屋から膨大な作品が見つかり、表現者だった人間だったことがあとで”発見”されたのでした。
どんな人間にも、他人の目が届かないところに別の顔を持ち、それがあることがきっかけでひょっこり顔を出すことがあります。
それがどんな顔であっても、その人間の深みを増すだろうと思います。