大抵のものは、今のものが昔のものより優れています。ところが、芸術の世界では、この方程式が成り立つことがむしろ少ないです。
古今東西の絵画作品を見ても、昔の作品より優れた現代の作品は極めて限られます。
映画を総合芸術として見れば同じことがいえます。
本コーナーでは最近だけでも2回、旧い映画を取り上げました。今回は日本の旧い映画を取り上げますが、この出来も、今の時代に制作されるどの作品よりも力を持つように感じます。
昨日の午後、NHKBSプレミアムで『飢餓海峡』が放送になりました。これまでに何度も放送されていますが、私ははじめから終わりまで腰を据えて見ました。
原作は水上勉の同名作品です。映画になった作品がどんなに優れていても、果たして原作を上回る出来なのか確認するため、そのうちに原作も読むことにします。
本作の主人公は、三國連太郎演じる犬飼多吉、左幸子演じる杉戸八重、伴淳三郎演じる弓坂吉太郎の3人です。監督は内田吐夢です。
左幸子はいい役者ですね。
日本の敗戦から2年目の年。日本がまだ敗戦に喘いでいた時代の北海道から話が始まります。映像は白黒で、スタンダードサイズの画面です。
作品が公開されたのは1965年。東京オリンピックの翌年です。本コーナーに投稿したばかりの米国映画がそれよりも前の作品でありながら、戦争の影を感じさせないのと対照的に、日本で五輪が開かれた翌年であっても、日本の映画は戦争の影が濃く残っています。
台風が北上し、北海道が直撃を受けます。そんな荒波の中、北海道の函館港を目指していた青函連絡船が難破し、多数の犠牲者が発生します。
原作を書いた水上は、実際に起きた洞爺丸事故(1954)を本作に活かしています。
函館の海辺は荒れ狂う嵐の中、船の乗客の遺体捜索に当たるなど、混乱の渦にあります。その騒動に乗じて、函館から青森の下北半島を小舟で目指す男が3人います。
北海道内の質店に強盗に入り、一家3人を殺し、大金を盗んだうえに、証拠隠滅のため家に火をつけます。火は隣家に延焼し、街の大半を焼き払う大火となります。
犬飼が強盗殺人、および放火に加わっていたかどうかはわかりません。しかし、偶然出会った2人組の男に巻き込まれ、一緒に行動するようになってしまいます。
この男ら3人が、嵐の海に小船を漕ぎだし、下北半島を目指します。青函連絡船が難破するような海峡を手漕ぎの小船が渡り切れるだろうかと思わないわけではありませんが、これは創作物に許された特権でしょう。
おそらくは撮影所にプールを作り、そこで大勢のスタッフが波や大風、水しぶきを起こして撮影したのでしょう。白黒の映像ということもあって、リアルに撮られています。
対岸の下北半島に辿り着けたのは、体が大きく、ひげ面の犬飼ひとりでした。
難破事故の犠牲者に、身元不明者2人がいることがわかり、函館署の刑事・弓坂吉太郎が捜査を始めます。
昔に読んだ新聞に、弓坂を演じた伴順三郎が、監督の内田吐夢からしごかれた話が載っていたのを思い出します。
伴淳三郎といえば、朴訥な東北弁(東北方言)で人気者になったコメディアンというイメージを持つ人が多いでしょう。
その伴淳を弓坂刑事役に抜擢したのが誰か知りませんが、この役は伴淳以外には考えられないというほどのハマリ役となっています。
昔の新聞の記事を思い出しますと、伴淳と内田監督は昔からの知り合いだったという話です。
内田監督は撮影が始まると伴淳には鬼のようになり、演技にダメ出しを連発し、精神的に追い込んで追い込んで追い込み抜くようなことをしたそうです。
海岸でロケをしたときは、地元の人たちが大勢見学に訪れている中、内田監督が伴淳の演技を徹底的に貶し、精神がボロボロになりながら演じた伴淳に、やっとOKを出すこともあったようです。
こうしてみますと、伴淳の一世一代の演技の半分は、内田監督のお蔭といえる面がありそうです。
青森に生きて渡ることができた犬飼は、着の身着のままで飛び乗ったトロッコ列車で杉戸八重と出会い、八重を追うように、大湊へ行きます。
三國と左の演技はとてもよく、左が演じた八重がいじらしいです。今の作品で、この二人のような演技をできるような役者もいなければ、撮れる監督もいないでしょう。
八重は貧しい家の出の若い娼婦で、気立ての良い女です。無精ひげを剃った犬飼は無口な色男で、商売を抜きにしたように結ばれます。
そのシーンが原作でどのように描かれているか知りませんが、本作では、二人が敷布団の中で絡まり合い、布団が芋虫のように動きます。
八重は犬飼を「犬飼さん、犬飼さん」といって慕い、伸び放題になっていた爪を切って上げます。犬飼が去ったあと、部屋の片隅に犬飼の足の親指の爪が落ちているのを見つけます。
八重に情を感じた犬飼は、この金で自分の人生を切り開いていけと伝えるように、札の束を八重に渡して姿を消します。
八重はそれから、ひとりになると部屋の中で札の束に頬ずりし、大切に保存する犬飼の親指の爪を指でつまみ上げます。仰向けに寝転んだ八重は、「犬飼さん」といいながら、爪で自分の顔や体を刺激し、恍惚となるのでした。
昨年、永井荷風の『濹東綺譚』を電子書籍で読んで感心しましたが、舞台は東京の亀戸のあたりです。それを読むことで、当時のそのあたりには歓楽街があり、銘酒屋と呼ばれる店では、客に酒と女を提供していたことを知りました。
その頃の亀戸が本作に登場します。八重が東京に出て働いた街です。描かれた映像を見て、荷風の作品世界が重なりました。
音楽は冨田勲です。富田といえば、NHKの紀行番組『新日本紀行』のテーマ曲が有名ですが、それが作曲されたのは、本作の2年前の1963年であったことがわかりました。
冨田はアニメ作品の音楽も担当し、手塚治虫の『ジャングル大帝』(1965)の音楽も冨田作品です。
また、子供向けの特撮ドラマにも音楽を提供し、『キャプテンウルトラ』(1967)も冨田の音楽です。
才能を持つ者が集結しながら、才能に己惚れず、それを限界を超えるまで絞り出すようにして終結されたのが映画『飢餓海峡』といえましょう。