春を呼ぶとも形容される高校野球のセンバツ大会(選抜高等学校野球大会)が今週月曜日(18日)に始まりました。
今年は暖冬の予報でしたが、春本番を前に足踏みしています。ここ数日は、春近しとはとても思えないほどの冷え込みです。昨日(21日)の甲子園球場で雪がちらついたという報道もありました。
選抜大会には21世紀枠で出場するチームがあります。その一校は、北海道の別海町にある別海高校です。
大会期間中、朝日新聞の社会面には毎日ひとつ、大会にまつわる記事が載ります。昨日はそこに「もうこわくない 野球も人も」の見出しがついた記事がありました。
小学生の頃から長打力が注目されながら、一度はプレーから遠ざかった経験を持つ選手に焦点を当てた記事です。
大会3日目(20日)の第一試合に登場した別海高校で一塁を守り、3番を打った立蔵諄介選手(新2年生)が記事で取り上げられた選手です。
彼は別海町から約400キロ離れた札幌市で育ちました。すでに書いたように、小学校の頃から長打力によって注目され、中学に入ると、地元の硬式野球チームの一員となります。
ところが、指導者が厳しかったのか、「何をやっても指導者に否定された」そうです。彼は、「考えては嘔吐するほど」悩んだということです。
彼は中学2年の秋、チームをやめます。その頃、円形脱毛症になります。学校へも通えなくなりました。おそらくは自分の部屋に籠り、それでも野球への思いは断ち切れず、愛用のグラブを磨いたりして過ごしたようです。
息子を心配した父親が、札幌市内に新設される軟式野球のチームを知ります。そのチームは、ミスをしても「すみません」は禁句というようなチームでした。
とりあえず、練習を見に行こうと父親に背中を押されます。
チームを指導するのは小沢永俊さん(55歳)です。小沢さんは立蔵さんに「無理せず、見学していな」といいました。しばらく見ていた彼は立ち上がり、「仲間に入れてください」と自分からいい、練習に参加するようになったそうです。
たちまち、彼の本領が発揮され、本塁打を連発したそうです。
高校進学の時期が近づくと、複数の強豪私学から入部を誘われます。しかし、中学時代の苦い経験が脳裏を横切り、彼を迷わせました。
彼に誘いの言葉をかけたのは、立ち直るきっかけとなった軟式チームの指導者・小沢さんでした。
彼に「遠いけど、練習を見に行こう」と誘ったのが別海高校の野球部です。その野球部で小沢さんが外部コーチをするという縁がありました。
昨秋の北海道大会でベスト4まで勝ち進んだ別海が選抜されました。立蔵選手は、秋の大会で、1年生ながら4番打者を任されたそうです。
初の公式戦で、立蔵選手が「よっしゃー」と大声を出してグラウンドへ駆け出す姿を見た小沢さんは涙が溢れたそうです。そのときの思いを、小沢さんは次のように語っています。
プレー以外で野球で泣いたのは初めてでした。
3日目の第1試合、別海は創志学園と闘いました。その試合は私はテレビで観戦しています。もちろん、立蔵選手がそのような苦労をしたことは知りません。
チームで主将をする選手が捕手をしていましたが、負けている試合でも、チームのメンバーに元気に声を掛け、鼓舞していたのが印象に残っています。
今回、センバツに出場した32チームには、それぞれに「ドラマ」として語れるようなことがあるでしょう。しかし、それを知るのは関係者のみです。テレビの放送や球場で観戦する人は、純粋にプレーを注目して見ることになります。