長年食わず嫌いだったシャーロック・ホームズシリーズを、今年の2月に「解消」したことは本コーナーで書いたとおりです。
きっかけは、その時期に、NHK BSプレミアムでその時間帯に放送されていた米国の刑事ドラマ『刑事コロンボ』の放送が終了し、代わりに『シャーロック・ホームズの冒険』(全41話)が始まったことです。
本シリーズのドラマはこれまでに何度も放送されていますが、食わず嫌いをしていた私は見たことがありませんでした。
『刑事コロンボ』のシリーズが終わり、その時間帯が暇になることもあり、ものは試しと『シャーロック・ホームズの冒険』を見てみました。すると、予想外に楽しめ、以来、毎週録画して見るようになりました。
テレビドラマのシリーズを見始めたことで、アーサー・コナン・ドイル(1859~1930)のシャーロック・ホームズシリーズの成り立ちのようなものを理解しました。
『シャーロック・ホームズの冒険』のシリーズものとして、短編を『ストランド・マガジン』(1891~1950)に連載し、それが大変な人気を呼び、シリーズものを書き足すことを繰り返し、最終的には、長編4作品、短編56作品にまで及びました。
ドラマを見て興味を持った私は、本シリーズの原点である『シャーロック・ホームズの冒険』の原作を日本語訳で読みました。これには、12編の短編小説が収録されています。
この短編集を読んだ人であれば、この土曜日(3日)に放送されたドラマの『シャーロック・ホームズの冒険』第19話の「もう一つの顔」がどれを原作とするかはすぐに気がついたでしょう。
アヘン窟がある危険な一帯に、ワトスンがある人間を探しに行き、そこで、床に寝そべるようにしていた身なりの汚い男にしがみつかれます。
男の手を払おうとすると、それは、変装したホームズでした。
冒頭近くのこの場面を見たとき、『シャーロック・ホームズの冒険』にあった一話を原作としていることに気がつきました。
そう思って見ていると、ホームズに調査を依頼した女性の話が描かれ、ある建物の二階から、家に戻らない夫が顔を覗かせ、夫人は夫が姿を見せたアヘン窟がある建物の中へ入っていきます。
その後、自分ひとりではどうにもならないため、警察に届け、夫が顔を見せた二階へ上がっていきます。その部屋の中に夫の姿はありません。汚らしい男が床に寝転がっているだけです。男の顔は見るのも恐ろしいほど醜悪で、唇がねじ曲がっていました。
これで決定的です。
本ドラマの原作は、『シャーロック・ホームズの冒険』に12編収められた短編集のひとつ、『唇のねじれた男』(1891)でした。
汚らしい部屋の棚から、姿を消した夫の衣服を夫人が見つけ、部屋の脇を流れる川の底からは、夫のオーバーコートが見つかります。不可思議なことに、オーバーコートの両ポケットには、入るだけの小銭が詰めてありました。
また、川を望む窓の枠には血の跡があり、警察は、夫は口の曲がった男に殺されたものと見当をつけます。夫人に調査を依頼されたホームズも、警察の見立てで間違いがなかろうと考えます。
それでも夫人は気丈に、夫の無事を信じているのでした。
本作の原作題は”The Man with the Twisted Lip”で、翻訳された『シャーロック・ホームズの冒険』の題も『唇のねじれた男』です。それが、NHKで放送されるときだけ「もう一つの顔」に改題されています。
先天的に唇が曲がっている人がいるかもしれない。そんな人に嫌な感情を持たれないようにしよう。そんな配慮が働いた結果の改題ということ(?)でしょうか。
しかし、「もう一つの顔」としてしまうと、題が種明かしをすることになってしまいかねません。ですので、「唇のねじれた男」の題をそのまま採用し、この醜悪な男が一体何者なのか、関心を持って見てもらう方がいい、と私は考えます。
山口瞳(1926~1995)が「週刊新潮」に連載した「男性自身」の全集を読んでいると、今は決して遣われない言葉が出てきます。
たとえば、「跛」とあり、何と読むのかと思ったら「びっこ」です。この言葉も、今の人が書く文章には絶対に登場しないでしょう。
配慮が進んだ結果ですが、そのことで失ったこともあるのではないでしょうか。行き過ぎた「言葉狩り」の問題は以前から指摘されています。
たとえば、新聞や出版物は「子ども」と表記するよう決まっています。私は別に抵抗しているわけでもありませんが、「子供」と書くことを続けています。これが自分には書き慣れていて、差別の意識も持たないからです。
関係ありませんが、『刑事コロンボ』シリーズに、「もう一つの」という題のついた話があります。こちらは「顔」ではなく、「鍵」があとに続きます。
どんなことでも、行き過ぎると、それはそれで、別の弊害をもたらします。